検査を受けるということ


昨日は書きたいものが、ふたつになってしまい、どちらを書こうかと悩んでいたら、結局かけずじまい…とほほ。
明日の夜、土曜日にやった都連フィットネスの理論バージョンがあるのだけど、治療に入ってしまったゆっちんは行けないので、参加者の方からの質問を書いていたら、なんとあっという間に2時間が経過してしまいました。
当然ブログを書く気力なく。。

今日は<検査を受ける>ということについて書こうかと思います。
前にも伝えましたが、現在日本女性の20人に1人が発病すると言われる乳がん。それは検査の受診率があがったので、早期で発見できる人が増えたからだそうです。アメリカでは、なんと8人に1人!しかしアメリカの死亡率はじょじょに減っているのに対して、私達日本人では増えているそうです。なぜなのだろう・・・これには食事の変化だとか様々な説があるみたいですが。

ピンクリボンや芸能人の告白などによって、検査が盛んになり本当に良かったとつくづく思いますが、まだまだ検査率が低いのが日本の現状。おそらく、私はまだそんな年齢じゃないとか、仮に検査を受けても経過観察で安心したりしてませんか?

今や35歳から疾患率があがり40代前半から50代にかけてがピークになる、発症年齢がどんどん若くなっているのが現実です。かかりやすい人には、遺伝性(母親、姉妹に乳がんがいる)、初潮が早い&出産経験がない(これは長い間エストロゲンというホルモンにさらされているから)、背が高い(これはなんでだろう?)など色々あるようです。ちなみに私は母親を乳がんで亡くしましたし、出産経験がありません。おまけに背も高い。リスクは当然高いのですが、ひとことでリスクが高いから発症したと思いたくありません。なぜなら、遺伝なんて言ったら、それこそ変えられないの?と本末転倒だし、癌は自分でコントロールできるということに気がついたから。
そう、癌にかからない生き方をすればいいのです。この話を始めると横道にそれてしまうので、一旦棚の上に上げておいてと。もちろん肩甲骨を下げながらね。

では検査はどうやって?
私がここまでかかって発見した道のりをまずお話したいと思います。4年前の2003年の春に健康診断を受けました。そのとき、実に私は心も身体もボロボロ状態で、案の定、肺に影がみつかり精密検査となりました。健康診断の前にアレルギー性喘息を発症していたのだからだと思います。その際に年齢も年齢だし胸だからと、乳がん検診も受けたのが最初でした。そのときの診断は乳腺症。これは、硬いしこりができたり、水がたまったり、痛みが出るのですが、それ自体は悪性ではなく、乳がんが見つかりずらいということで経過観察になります。それからは半年〜1年に1回の検診を受けていました。
そして2005年の9月に受けたマンモグラフィーの検診で、両乳房石灰化現象、左胸局所的非対称性組織と診断され、3ヶ月〜半年に1回の検査になりました。2006年4月に再度受診して同じ診断。今から思うとここで安心せずにもう少し詳しく調べていれば…という思いは消すことができません。
そして私自身も忙しさにかまけてたのと、そんなに深刻に考えてなく、次に受けた今年の5月に決定的なものになったというのが流れです。もちろん、これはあくまでの私の例で、ほ〜んとに様々なパターンがありますのでね。

しかし、ここでひとつ検査を見直してみました。2005年からは東京のとある検査機関で受けているのですが、石灰化があった時点で、もう少し詳しく話ししてくれていたらと思います。石灰化=乳がんではありませんが、石灰化していることで見つけずらくなるのだと思いました。石灰化というのは、乳管にたまったお乳が垢となって、そこから外にこぼれ落ちて石灰化という現象になります。これ自体はがんではありません。がんは最初、乳管の中にでき(乳管がんの場合)その中にとどまっているものは非浸潤がんで、その段階で発見できれば、100%近く完治できます。そこから管を破って浸潤がんとなり、血管やリンパに転移すると考えられてます。管にあるがんの真ん中の方は栄養がもらえなくなり、死滅して、お乳の垢と同じように外へこぼれ落ちるときに発見されるのですが、そのときの画像がお乳の石灰化と似ていて見つけづらいのだそうです。

私の場合はまさしくその状況で、今年の春に、とある検査機関から高井戸東クリニックというところを紹介されて、そこで検査をして
もらい見つかったのです。
私はしこりになるタイプではなく、乳管を広がっていくタイプで触診&エコーではほとんど見つけることができませんでした。実際に詳しい検査でも触診、エコーともに異常なし。マンモグラフィーで、その先生はどうしても気になるから細胞を取りましょうということで見つけてくれたのです。乳がん=しこりと思いがちですが、私のようにしこりにならないタイプの全体の25%ほどいるそうです。最近では、TV番組で色々な乳がんの特集もやっていますが、しこりにならないタイプの発見について、取り上げていないのが気になります。なので今回はあえて私の例をだして、伝えようと思いました。

いまやただ検査を受ければいいという時代ではないと思います。
的確にその検査を読み取る力のある先生のもとを訪れなければなりません。私が見つかったのはラッキーだったのかどうかは神のみぞ知るだけど、とある検査機関でまた見逃していたら、飛んでもないことになっていた可能性大です。

何故、今日はこちらのお話にしたかというと、昨日は病院の日だったのですが、私の主治医の川端先生が市民開講講座で講演をすると聞いたので、興味のある方、男性でも奥様や恋人のために聞いておこっとと思う方、お時間があれば是非にと思ったからです。
詳しくは0120-701-220 市民公開講座 乳がんってどんな病気?11月6日(火)18:30〜20:00会場は
http://www.miraikan.go.jp/
港区医師会が後援で参加無料だそうです。ちなみに川端先生は本も執筆していたり、毎年開かれる国際会議にも出席して毎年変わる乳がん治療のガイドラインをきっちり勉強されている方です。
まあ、あまり愛想は良くないけど、質問にはきっちり答えてくれます。私が手術方式で散々迷ってたときにはじつに50分もかけて相談にのってくれました。
そうそう、川端先生はエコーでも発見してました。まあ、先生いわく「あるという前提のもとで見てるからね」というけれど、他の先生は「う〜ん、川端先生はどうやって範囲を特定するんだろう?」と悩んでましたが(^^);

とにかく、ゆっちんの結論としては、検査は早めに、そしてちゃんと結果が読める先生のもとへGO!です。

追伸:がんの診断はあくまでも私の現在の知識の中なので、心配な方はちゃんと調べてくださいね♪


ジャイロキネシス


みやのゆきこから呼ばれた気がして、
飛び出してきたやまもと“ゆきぷう”ゆきえです。
あ?呼んでない(笑)。

きょうはみやのゆきこが大好きなエクササイズ「ジャイロキネシス」に
ついてジャイロキネシス認定トレーナー、
キネシス大好きゆきぷうが書かせていただきます。

ブルース・リーの名言「考えるな、感じろ!」はジャイロキネシスのこと。
このエクササイズは「感じる」がキーワードかなと思うゆきぷう。

エクササイズのスタートはセルフマッサージから。
自分のからだを目覚めさせ、エネルギーが
流れ込む場所を作ったり、眠っている場所を起こしたりします。
それはもう全身。髪の中からおへそまで。
感覚をすべて呼び起こすように叩いたり、こすったり。

そして、イスに座ってのエクササイズパートは
シンプルな背骨の動きがメインです。
丸める、反る、ねじる、横に傾ける・・・
そして、ジャイロの独特な動き「ウエーブ」。
24個の背骨を海の波のように動かします。

丸める、反るなどの動きを止まることなく続け、
繰り返していく独特なムーブメントは、
楽譜をイメージしていただくとわかりやすいかもしれません。

たとえば、漠然と並んだ音符は演奏をしないと音楽にはなりません。
次の音へつながるなめらかだけれども消え入りそうな響き
・・・こまぎれにならず流れるようにつながるムーブメントはまさに音楽!
全身で音楽を奏でるように。そして全身がオーケストラのように音楽を
奏でる・・・それがジャイロキネシスなのです。

フロアでのエクササイズに発展しても
音楽のようなムーブメントは続きます。
シンプルな曲がオーケストラでの重厚な演奏へ発展するかのように、
たくさんの関節動作の組み合わせになってきます。
最後の腹筋は、あまりのきつさに(笑)壮大な交響曲のように
感じられるから不思議です。

そして余韻。
すばらしい演奏を聴いたあと、
アタマから音楽が離れずにからだがふわふわすることがあります。
ジャイロも終わった後、ふわふわします。
からだのなかに動いていたときのマグマのようなエネルギーが
流れ続けているのが感じられるからです。

背骨は人間なら誰もが持っています。
どんな人でも、動きの大きさに差はあっても
感じることはできるはずです。
エクササイズを通じて、背骨の根っこである仙骨や丹田から、
全身のつながりや自分と地球とのつながりを感じる。
手や足はパーツだけれど、本当はからだはすべてつながっていることや
動くために必要な大地と自分とのつながり・・・地に足がついてないと
しっかりと動けないし、空の方向に伸びていくことはできません。
大地があって、空があって・・・そして自分という存在がある。
ジャイロキネシスをしていて思うのです。

「ひとりじゃないんだなー」

なので、手術当日、ゆきこさんがジャイロキネシスをやったと聞いたとき、
本当にうれしかったです。ひとりじゃないってことや
生きていくためのエネルギーをジャイロキネシスから感じたんだろうな、
と思ったからです。

そして、手術後のリハビリとして
「ゆきぷ、キネシスやろうよ。やりたい!」と言ってくれて
スタジオまで足を運んだ9月。
動き始めは患部を気にしていたゆきこさん。
エクササイズをしているうちに、芯からからだがつながっていることを
からだで感じ、動きを修正した瞬間を私は見逃さなかったです。

怪我や患部が気になってしまうのは誰でも当たり前。
そこが100%動けるようになりたい、元の状態に戻りたい・・・
そういう気持ちになるのは当然です。
でも、本当はからだはつながっていて、そこだけでなく
芯からのつながりが感じられるところで無理なく動けば
自然と気持ちよく動けて、焦らなくてもいいことを自分自身で
感じることができる・・・ジャイロキネシスを通して、
ゆきこさんが私に教えてくれました。

今までジャイロキネシスが大好きだったけどますます好きになりました。
なので、再手術後もやりましょう。ね、ゆきこさん!
そして、健康なかたはもちろん、
リハビリとしてからだを動かしたいかたにも
このエクササイズを知ってもらえたら・・・と思います。
出張、出前、なんでもやります。
理学療法士でもあるteam FUKUOKAのひとり、樋野まっきぃも
この「ジャイロキネシス」が大好きです。











手術当日


一昨日はゆきぷうの、マイムマイムが目白で開かれて大盛況だったらしい!ゆきぷうのブログでその楽しさが伝わってきて、なんだか私の心の中でもマイムマイムが鳴り響いている感じがしました。友人の成功がこんなに嬉しいなんて、前の私なら思わなかったなーと反省もしきり。そんな月曜日を迎え…

気持ちよい日が続くので、最近はできるだけ自転車や歩いていくようにしています。中でも自転車は本当に便利だなーとつくづく感動。だって一方通行もないし、どこでもチャレンジしていけるし。
病気をしてから、自分の家の周りをかなり散策するようになり、昨日は目黒の小山の方にある<りんしの森公園>へ。そして今日は尾山台の歯医者さんへ行って、その足で私の大好きな場所&御札ももらっている<等々力不動尊>へ。何を隠そう、等々力不動は、幼稚園の運動会をやった思い出の場所なのです。

手術後の有酸素系のリハビリは、まず自転車から始めました。乳がんの本には、自転車に乗るのはとっさの行動ができるようになってからと書いてあるけど、そんなことは言ってられないと、右手中心でのハンドルさばき(手術は左側)でたしか手術後2週間くらいで乗りだしたと思います(もちろんままチャリね)
今でも、段差や道が悪いところでは、傷が痛むので辛い場面もあるけど、何を感じてるかって、アスファルトの感触がかなり左右するのだということ。昔は夏にずっとインラインスケートのトレーニングをしていて、そのときにもアスファルトの良し悪しがとても気になっていたのですが、今もそんな気分。かなりマニアックだけど、「このアスファルトは気持ちいいなあ、ここはダメ!」とかそんな感じ。それで、気がついたこと…世田谷区は目黒区よりアスファルトが綺麗<−いや〜本当にマニアックだ。

そんな一日を過ごしながら、今日は手術当日を振り返ろうと思います。

その日はやはり暑い日でした。私は午後からの予定だったので、午前中は飲まず食わずで待たなくてはならなくて、かなりしんどかった記憶があります。とにかく気を紛らわそう&心のリラックスを求め、屋上(すっごく暑かった!)でジャイロキネシスをしました。ジャイロは、ゆきぷうのオハコのエクササイズで、ピラティスのように色々と考えながらやるのと違い、とにかく動いて気持ちいいじょ〜という感じ。ビルの谷間の屋上という空間から見上げる小さな空と、アスファルトに拒まれる大地との間に生きているんだという事。ちっぽけだけど雑草のように逞しいんだと、思いながらひたすら身体を動かしました。とにかく動けなくなる私の身体さ〜ん、がんばりましょうという気持ちを込めて。。。
セルフマッサージは自分の身体の全てのパーツを自らが触ります。動きは、関節やチャクラなど色々なものを開きながら動きます。そのあたり、まだあまり詳しくないので、折をみてゆきぷうに書いてもらおっと。

そして手術の時間になり、私は姉と看護士さんと手術室へ向かいました。そうそう、実はストレッチャーに乗って、それらしく行くのかとおもったのですが、なんと歩いて行ったのです。そして自ら手術台の上へあがるという訳で、その時にふと思ったことがひとつ。。
まな板の上の鯉になった気持ちでど〜んといってらっしゃいと言うけど、鯉は自らまな板には乗らないのにな。

手術は終わり、看護しさんに起こされたところで私の意識が戻りました。いや、正確に言うと、おそらく手術中に私の意識が一度戻ったのだと思います。書き出すと、キリがないので深くは追求しないけど、あれは絶対夢ではない!と心の中で思います。あ〜怖かった。

回復室に戻った私には、まずは痛みとの戦いが待ってました。痛くなったら我慢せずにすぐに言ってくださいねという言葉に素直に、痛いですうと言っても、そうそう薬漬けになるわけにもいかず…この日は当たり前だけど、身体をどう動かそうとか、そんなことは考える余裕などなく、とにかくひたすら時が過ぎるのを待つのみ。

<身体の状態>
とにかく重だるい痛み(わきの下から腕、背中のあたり)と傷のちくちくした痛み。
手首のあたりまではれているような感じでぼーっと感覚が鈍い。

指先を動かしたり、手首を動かすことをする。肘も少し動かすけど、10度くらい。

翌日からは、いよいよ術後のリハビリの開始です。この続きは次回書きますね。


暑き入院の日


はげましのお言葉をたくさん頂き、本当に嬉しい想いでいっぱいです!ありがとうございます。思えば思うほど書きたいことがたくさんあって、またしても頭の中がぐるぐる回っているのですが、ゆっくりペースで進もうと思います。ゆきぷうとまっきーが時にお助けまん(古!)になってくれるので、どうぞよろしくお願いします。

今の身体の状況を書きたい気持ちがたくさんあるのですが、それを書くには順を追って進まないとならん!
と思っています。その前に今日の出来事をひとつ…

今日は東京都スキー連盟のオフシーズンの行事がありました。スキーヤーでもある私は、今まで生きてきた大半をスキーというスポーツと共に進んできたのであります。スキー連盟の役員になって早10数年という歳月が流れました。ときには辞めたいと思いましたが、続けてきた背景にはやはり仲間がいました。そして今年のオフシーズンは、昨年度から立ち上げていたスキーにおいてのBODYWORK(ピラティスメソッドによる身体の使い方やフィールドトレーニング)の行事が企画でき本日2回目が開かれました。
昨年のシーズン中は雪上でも数回、研修と称して私も講義に携わることができ、オフの企画は立ち上げから関われたので、なんとしてもやり遂げたいものでした。ガンと解ったときには、執行部の方に話をして全てを諦めたときもあったのですが、人生とは本当に摩訶不思議なもので9月と10月の2回の開催の日程が全て治療のサイクルの良いコンディションとばっちりマッチングしてくれたのです。そんなひとコマをぱちり。


そして話は7月の入院の日に戻りたいと思います。
その日はとても暑い日で、ミンミンゼミの鳴き声とともに動くだけでも汗がしたたり落ちる日でした。一通りの入院作業をした後、まず私が行ったのは面会室でのストレッチ。面会室といってもナースステーションの近くにでソファが置いてある空間です。人目を気にしながら(動けない人もいるからね)だから、そんなに伸び伸びというわけには行かないけど、まずは動こうと思ってのことでした。とにかく手術を受ける前にできるだけ身体を動かして、良いコンディションにしておきたかったのです。
ただ、手術のあと自分がどういうコンディションになるのかは皆目検討もつきません。膝の手術(半月版)をやったときは腿を鍛えておこうとか、少しは知識があったのですが、今回はまったく未知の世界のこと。ただひとつ言えるのは、しばらく動けなくなるのだから、全てが硬くならないようにしておこうというだけのものでした。
まず意識して行ったことは<呼吸>これは精神的なものもあるけど、胸が痛かったらピラティスで行っている肺を動かすのは痛いだろうから、複式だと思い、お腹を意識したものです。そしてできるだけ何も考えずにリラックスすることに努めました。瞑想までいかないと思うけど、それチックな感じ。
あとはストレッチで気持ちよく伸びること。とにかく暇さえあればサイドストレッチはいつもやっていたかなー。

一番すごいなーと感じたのは、プレピラティスのエクササイズが全てベッドの上で出来ることを実感したことです。創設者ジョセフピラティスも凄いけど、アンドリュー先生(これからはアンディと呼びます)の編み出したビギナーエクササイズは、病院の小さなベッドの空間で全てできるもので、コンディションを整えるには充分だったことです。

心からありがたいと思いました。

病院という限られた環境で行うことができる全身を意識できるエクササイズは、そう存在するものではありません。このビギナーエクササイズは後にも先にも、私のリハビリ生活の指標となるものとなり、このブログにもたくさん登場するエクササイズになります。
時間の経過とともに、ひとつひとつ紹介していきたいと思っていますので、楽しみにしていてください!


プロローグ


伝えるために生きている!

その言葉を編み出したのは、ゆきぷうこと、やまもとゆきえちゃん。
私の大好きな仲間であり、このブログを育てていく1人である。
彼女はピラティス&ジャイロのトレーナーとして、日本中で一番熱い(私が思うとこ、これ本当)ハートの持ち主で、日夜飛び回ってハートのこもったレッスンをしている女性です。

そんな彼女から一通のメールが届き、この言葉が書き記されていました。
最初その言葉を見たときに「ううっ泥臭い!今どきないでしょ〜」というのが第一印象。
でも、その文字を何度も何度もよ〜く見ていくと、何やら心のどこかでドキドキし始める自分がいたのです。

このブログを立ち上げるにあたり、3ヶ月近くものあいだ、こうやったらどうだろう?こんなアプローチは?と悩んでいたのですが、考えれば考えるほどアリ地獄のように頭の中はぐるぐる回りだし、このまま止まらずにバターになって溶けちゃったトラのようになるのかなーなどと思ったりしてました。

結局自分がやりたい事とは<伝える>ということで、それをこの言葉はシンプルに表現してくれたんです。

そしてもう1人の相棒は、マッキーこと四国高松在住・ひのまきこ。
彼女は私のピラティスイントラ時代の同期でお互いに会ったその瞬間に同じ匂いを感じたのです。そういえばその昔とあるTV番組で「ひとめあったその日から、恋の花咲くこともある!見知らぬあなたと見知らぬあなたの…」な〜んていうフレーズがあったっけ?<古っ!

でもそんな感じにびびっときた瞬間だったのでした(ちなみに両想い♪)。
理学療法士でもある彼女は、私の苦手な解剖学を常にサポートしてくれ(今でも)納得いく答えを編み出してくれる頼りになる女性です。

そして私は、ゆっちんことみやのゆきこ。このブログの言いだしっぺ。
肩書き的にはピラティストレーナー&プロスキーヤーですが、ここではひとりの人間として、女性として私が体験してきたこと、感じていることを伝えていきたいと思います。

それは<乳がん>という私と同じ病気に苦しんでいたり、ちょっと悩んじゃったりしている人やその人をサポートする周囲の方々へ向けて…キーワードは心と身体のリハビリ。

<がん>とは身体の中の免疫の崩れから起こるもの、なので見た目の変化はあまり解りません。しかし乳がんは筋肉より外側にある乳房で発症するために外科的手術を受けると、見た目も変わってしまう病気です。
そしてそれは女性の象徴とも言われる乳房を切除するという、身体はもちろんのこと、心に対するダメージは計り知れないものになります。そして身体と心というのは実に密接につながっていて、そのどちらかのバランスが崩れて悪い方向へ行ってしまうと、その後の人生はとっても辛いものになってしまうのだと思います。

今から思うと私は<乳がん>になる準備をしていたような気がします。
スキーを長く続けていくために四苦八苦していたころに出会ったピラティスというボディワーク。身体というあまりの奥深さに、どんどん興味を持ち、インストラクターの資格を取り、自分改造に努めました。そしてそのピラティスはコルセットをしめ、痛み止めを飲みながらスキーレッスンをする私の身体をがらりと変えてくれたんです。それでもそれはスキーをするためではなく、<乳がん>の手術によって変わるからだを受け入れる準備期間だったのだと感じています。

2007年7月27日、温存法で手術を受け、リンパ節転移が陽性だったためリンパ節切除を行いました。その時の気持ちは…後日書くとしましょう。まずやってきたのは変わった自分自身のからだを受け入れるということ。そして次は、新しく生まれ変わるために最大限自分の身体の能力を引き出すこと。これは逆に考えると、健康だったからこそ見逃していたウィークな部分まで見えるようになるので、そこまでついでに治しちゃおうという発想にもなります。

転んだら起きればいいだけ…あっそう。

私が大好きな言葉♪でもとある人に言われました。みやのさんは、ただでは起きないですよね〜って。
なのでこの言葉を私なりに変えたいと思います。

せっかく転んだなら、何かを掴んで起きればいいだけ…あっそう。

毎日がリハビリです!寝ること食べること笑うこと歩くこと、ひとつひとつが大切なリハビリ。手術から2ヶ月半、一歩進んでは二歩下がる日もあります。それでも、時にはジャ〜ンプ!できる日もあります。どうやって腕を動かしていけばいいのだろう?とか、ここまでしか上がらないのは何故なんだろう?とか、すっごく肩が凝るようになっちゃったとか、切が無いほどやってくる問題。ひとりの患者として、ボディワーカーとして、自分自身が対面している問題を通して、このブログを訪れた方の何かのキッカケになればいいなと思い、伝えることを決心しました。

私の恩師である福岡「ピラティズジャパン」のアンドリューが言ってくれた言葉。
「ゆきこはもうダイジョーブ、トンネルの出口の光が見えてます。光が見えたのなら、立ち止まってはダメ。一歩ずつでも進めば必ず出口に到達できます」


Team FUKUOKA は、私たちが出会ったキッカケでもある、そのアンドリューが暮らす福岡にちなんで、ゆきぷうがつけてくれた名前。

2007年11月、再手術を受けます。再び、苦痛の時間がやってきます。でも光が見えているからダイジョーブ。2度の手術による身体の変化も、また神様が私に与えた勉強なのだと思い、せっかく転ぶんだから、何かを掴んで起き上がります。そしてそれもまた、ひとつひとつゆっくりと伝えていこうと思います。



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