インカトレックの旅その4〜いよいよ始まり!〜


インカトレッキングは1泊2日もしくは3泊4日の公式コースになっていて、必ずガイド及びポーターと共に入らなければなりません。また、事前にパーミットも貰わないといけないのです。

ようは、国をあげての観光産業になっているという訳です。
が、それだけの史跡を守るのだし、地元の潤いがあっての観光だと思うので、あたり前のことでしょう。話はそれますが、我が国・日本は観光に対する感覚が甘いというか、寛大というか、、、そのものが重要な資源だという認識が薄いように感じる今日この頃です。

前日の夜は荷造りです。
ポーターさんに1人10kgまで預けられるので、何をどうするかを試行錯誤なタイム。
大分前にモンテローザのヘリスキーで、標高4000M以上を経験しているけど、バババババッと飛んで行って、シューッと滑って降りただけだから(とは言っても相当息が上がった)、歩いて越えるのは未知の世界。
やっぱり荷物は出来るだけ軽くしたいもんだなーと。

Iさんがなんと簡易的な計りを持って来てくれてて、図っては一喜一憂(笑)。

えっ?そんなに厳しいの?って。

そうなんですよ。かつては、無制限だったらしいのですが、そうなると大変なのはポーターさん。
あまりの激務に規制ができて、ポーターさんは1人20kgまで!ということになってそうです。しかも検問があるからねー

翌朝、眠い目をこすりながらバスへ。
出発地点の82km地点というとこを目指します。


バスのエンジンが壊れちゃうんじゃないの!?と、気がきじゃない峠道を下ったり、遠くに見える雪を被ったアンデスの山々に感動したり。

クスコから2時間ほどするとウルバンバ村(2863m)に出ました。この村は今も農業が盛んで、トウモロコシが有名だそうです。そこに流れるウルバンバ川沿いを北西へと下っていきます。ウルバンバ渓谷は「インカの聖なる谷」と呼ばれていて、両側に迫る山々と滔々と流れる川の神秘さに、いよいよ始まるんだなーと闘志がみなぎってきました。

ちなみにペルーは太平洋に面しているから、そっちへ流れるように思いますが、アマゾン川の支流になるこの川は、遠くでアマゾンの本流と合流して、大西洋への続くのでした。ふむふむ。

ボーッと景色を眺めていると、何やら賑わった村へ到着。
えっ?ここが目的地?と思いきや、そうではなくてオリャンタイタンボという村です。インカ時代、要塞としてスペイン軍と闘った地で、数々の遺跡が残されているそうです。オリャンタイというのはインカの将軍の名前で、タンボは旅籠の意味。遥か昔はインカ道の中継地だったんですねえ。


今回は遺跡を見るのではなく、参加者のNさんがトレッキングポールの石突につけるキャップを買うために寄りました。遺跡を守るためにキャップは必須なのです。

さて、そこからの道が辛かった!
クスコから車で遺跡を巡ってマチュピチュへ行くツアーの多くが、この村からは電車らしいです。
何故かって?
そう…舗装されてない道が延々と続いていたのでした。

1時間も揺られたでしょうか。
ようやく出発点の82km地点に到着!いよいよ始まります。


広場では、世界各地から集まったたくさんのパーティが準備をしています。荷造りしたり、トイレに行ったり。
さてどんな旅が待っているのでしょうか。
日本から抱えてきた期待と不安が大きく大きくふくれて、いっぱいいっぱいの私がいました。


検問所。ポーターさんの準備含め全てが整うと、ここから橋を渡って出発できます。


ウルバンバ川。この奥の奥に目指すマチュピチュがありまーす。電車に乗っていく人たちと、ばいば〜い。


インカトレックの旅その3〜まずはアンデスの歴史から〜


その日の夕方、タッチーとAさんはクスコへ無事に到着しました。
どうやら、コロンビア経由でしかも再び飛行機をミスしながら、なんとか来たようで、お二人ともフラフラ…

そりゃそうですよねえ。

私はというと、控えめにしつつもお昼からビール飲んだりして、今のところ無事に高度順応をしている感じです。あっ、ビールは飲んだけど、さすがにまだワインには手を付けず(笑)。

そして一夜明けて、翌日はガイド・みちこさんの案内でクスコ郊外の遺跡見学となりました。

そもそもインカ帝国って?一体いつの時代で、どんだけ栄えたの?マチュピチュって天空の都市って言われるけど、一体なあに?

と、博のなさを出してしまう私ですが、ここで少し勉強した姿をチラッと。

突然現れて、あっという間に滅びたと思われがちなインカ帝国ですが、その誕生には紀元前2500年ごろから生まれては消えていった多くのアンデス文明(プレ・インカ)の礎があるのです。
アンデス文明の母体とされるチャビン文化は、紀元前1000年頃から200年頃まで、信仰の中心としてアンデス世界の広範囲に影響を及ぼしました。そしてその文化が衰退していく紀元後は、北部海岸地方を拠点とし、芸術性の高い陶器や金製品で有名なモチェ文化や、南部海岸に発展した地上絵で有名なナスカ文化、ティティカカ湖周辺で高度な石造建築技術の元に栄えたティワナク文化など、地方発展期となるのです。

紀元600年頃ティワナクの影響を強く受けたワリ文化が登場して、あっという間に勢力を広げたそうです。その文化は神殿ではなく都市を中心とした統治を行ったそうで、インカ以前にアンデス全域を支配した唯一の国なのです。そして各都市を繋げた道が、後のインカ道に受け継がれていきました。

ゆ「なるほどー」

ワリ文化が衰退した900年頃からは、再び地方王国期が始まりました。
その中でモチェ文化の金属工芸技術を継承したシカン文化、そしてそれを征服したチムー帝国の勢力は海岸一帯の南北約1300kmを支配下に置いたそうです。

それでもアンデス全域を支配するには至らずに、大小様々な国が領土拡大のためにせめぎあっていた15世紀になり、クスコの一帯を支配するインカ族が台頭してきたのです。

インカ帝国の最盛期の勢力は、北はコロンビア南部から南はチリの首都サンティアゴまで至ります。その広さは、な、な、なんと!南北はおよそ五千キロメートルに渡り、100万平方キロメートルを超える面積だそうです。
しかも僅か三代の皇帝によって築き上げたのですー

「では何故インカ族は強大な権力を持つことができたのか?」じゃ、じゃん!

国境を接していたチャンカ族との戦いに勝利したことがキッカケだったのです。
当時、勢力があったチャンカ族を、後の第九皇帝パチャクティが、わずかな兵で倒した事で周辺の部族もひれ伏したそうです。

「インカ帝国が繁栄したのは何故?」じゃか、じゃん!

インカといえば石造建築技術が有名ですが、経済基盤は実は農業だったのです。アンデス地域は3つの地域に分類され、乾燥した海岸砂漠地帯の「コスタ」、高度差による多様な環境を持つ「シエラ」、広大なジャングル地帯の「セルバ」で成り立っています。
元々アンデスの世界では、インカ帝国以前から土地の所有観念のようなものがなく、この異なった地域から効率よく産物を集め公平に分配することができる者が評価されました。
3つの個性的な地域が、近接、相互依存していたことによって領土支配ではなく人間支配という豊かな国家を作り上げたのでしょう。

と、
かなり長い歴史話となりましたが、そんなインカ帝国の産物である遺跡に思いを馳せてみました。

●サクサイワマン遺跡


多分、正規の入口から逆から入ったみたいだけど、犬連れのセキュリティーの人がすぐ来て、入場券をチェック。


すごく大きな石が使われていてビックリ!大きいのだと5Mを超えるものも。要塞だったらしいけど、あまりに大きな石を使っていたため、70年近くかけて造り上げたとか?領地争いがなくそれだけ安全だったのかなあ。かつては、3つの大塔がそびえたってたんだって。


クスコの高台にあるから、街が一望。要塞の意味がわかるねえ。

●ケンコー遺跡


サクサイワマンの近くにある「祭礼センター」。ようは色んな儀式をするとこで、ケンコーとはジグザグという意味だそう。遺跡の中に入れて、ここではミイラを作ったとか?

●タンボマチャイ遺跡




インカ皇帝によって作られた休浴所。一年中、一定の水が流れてくるそうだけど、未だにどこからこの水が湧き出てるのかが解ってないそう。

今回は長い長い悠久の歴史旅でした!
おつきあいありがとうございまーす。

さてさて、本日も高山病予防のために「コカ茶」を飲みます。









インカトレックの旅その2〜クスコ到着〜


さて翌朝、いよいよクスコへのフライトです。リマからは約1時間半。
眠たい目をこすりながら、窓の外に広がる初めてみる南米の景色を、ボーッと眺めていました。

茶色い大地と、白い雪を被ったとんがった山々…
「念願のインカの地にやってきたんだなー」

私の母は活発な人で、学生時代は山岳部に所属。結婚して、子育てが一段落してからは、アチコチ海外に出かけていました。神話や遺跡が大好きで、南米も「オンナ独り旅」をして、子供のころにペルーの遺跡の写真をたくさん見せられた記憶があります。
その当時は、別段興味がなかったのに、刷り込みって大きいですよね。今ではスッカリ、亡き母の後を追うような経験を積んでいると思います。

何十年も前に、母もこの景色を見たんだな、と思うとココロの奥がキュン。一緒に見たかったな…

そしてやってきました!目的地クスコです。
空港の標高は、3248Mという高地なので、いきなり空気薄いー


ゆっくりゆっくり歩きながら、荷物をピックアップして出口へ向かうと、バケツのような大きい箱に入った沢山のコカの葉っぱが目に飛び込んできました。
そう、ここでは古くから高山病予防のためにコカを常用する習慣があるのです。あれですよー、日本では違法のコカインですからね。とはいえ、若葉ではなく乾燥させたコカの葉をお茶などにして飲んだりするのです。

近づいてクンクン嗅ぐと、落ち葉の匂い。周りの人はみんな掴んで口に入れるので、もちろん私も。
クチャクチャ噛むと、「じぇじぇー!まずい!」
けど、身体のためにとガムのように噛み続けました。

さて、リーダーを失った私たちは一体どうしたら良いのでしょか?
この時点で、タッチーとは連絡が取れず。

待合室へ出ても誰もいない。
Iさん曰く、「確か現地のガイドさんがいるとか、いないとか言ってたような。うーん。ちょっと探してきます。」とのこと。
おおー、心強い!

しばらくして戻って来たIさんは、見事に現地ガイドさんを発見して来てくれたのです。ぱちぱちぱちー!

その方は長くクスコに在住する日本人のミチコさんという女性でした。ミチコさんには、タッチーからメールが入っていたそうで、Aさんと無事に会えてコロンビア経由で何とか向かっているとのこと。いえーい。

ホテルにチェックインして、しばし休息後、残りのメンバーでランチ&観光に向かうこととなりました。


アルマス広場


めっちゃきれーな遺跡の道。SORETO STREET。


12角の石なりー


インカトレックの旅その1〜ペルーは遠いなあ〜


ペルーから帰ってすぐに風邪をぶり返した私。
キッカケを失って中々書き出せなかった「インカトレックの旅」を、ようやく書こうと思います。

たっくさんな経験があったから、長いですよー(笑)
気長におつきあいくださいな。

この旅のリーダーは小樽近郊にある「ガイドオフィス・ノルテ」の立本さん(通称タッチー)。
冬も夏も山のガイドをお願いしている登攀ガイドさんです。

参加者は私を含めて5名。
東京から参加のお二人は以前ご一緒したこともありますが、関西から参加されるお二人は初対面。
タッチーからの前情報では、山岳会に所属する相当なツワモノの女性たちと聞いていたので、かなりドキドキ。

当日の成田では、北海道からのタッチー&東京組3名は無事に合流。
が、台風の影響が残る日本だったため、飛行機が遅れていて、大阪組はギリギリになりそうだとか。

むむむっ

出だしがつまづくと、必ず色々起る旅になるんですよねー(私だけかもだけど)

と、不安がよぎりながらでしたが、成田発の飛行機が遅れていたこともあって、無事に合流となりました。

が!

この「飛行機が遅れた」というのが、ひとつの起点となったというのをその時点で、全く気づいてない6名だったのです。

南米までは本当に長い長い旅です。
まずは北米のヒューストンへ行き、トランジットしてペルーの首都・リマへ。リマでは入国手続き後、7時間もの待ち時間を過ごしてクスコへという予定でした。

ヒューストンでのトランジットは予定では2時間あったので余裕のはず。
しかーし、そうなんです。成田発が1時間遅れていたんですよね。大抵フライト中にスピードをあげて、取り戻すはずなのに、しっかり遅れて到着したのです。

アメリカは乗継ぎでも、税関から何から何まで全てチェックを受けます。
入国審査も大分時間かかって、みんなして焦っていました。それなのに、最後の税関のところで大阪からの方・Aさんが、止められてしまい別室へ連れて行かれちゃったのです。

しばらく待っても出て来ない、乗継ぎのリマ行きの出発時間は迫っている。
ということで、「とりあえず女性3名が先へ行って、事情を話してギリギリまで待ってもらってくれ」とタッチーの判断。

よっしゃー!と私たちは走り出しました。
そう、搭乗ゲートがものすごーく遠かったんですよ、、とほほ。

汗かきかきゲートへ到着して、係の人に事情を話ました。
しかし「10分前まで待つけど、その後はダメ」という連れない言葉。
「もし乗れなかったらどうなるの?」と聞くと、「リマへ行く便は翌日の同じ時間しかない」と。じぇじぇじぇ!

私たちもギリギリな位だから、あっという間に出発10分前。
「早く乗りなさい!」とセカされても「うーだこーだ」と時間を稼いでいたところに、東京組の男性・Iさんが走ってきました。

おおー!間に合ったと思いきや、、

「まだ出て来なくて、とりあえず先に行くということになりました。なんとかしましょう。」だと。

おいおい、いきなりバラバラかい。
この先どうなるんだーい。


みんなして不安を抱えながら、到着したリマは真夜中。
最大の難関は4人で6人分の荷物をピックアップして、再度チェックインしなくてはならないということ。規制あるのに大丈夫なのかなあ、、

ところがどっこい、Iさんは凄い方でして。
スターアライアンスのゴールドカードを持っていたので、難なくクリアしたのです。しかも、長い列に並ばずに済んだりして。ぱちぱちぱち!

ちょこっとだけ安心した私たちは、ペルーに来たらこれ飲まなくちゃ、ということでINKACOLAをググッと飲み、おせんべでお腹を満たして、シェラフにくるまれて待合室で寝ることとなりました。


はーあ、、
タッチーとAさんは一体どうなったのかしら?
ところでクスコへ着いた私たちは、どうなるのかしら?

と眠さで朦朧としながらも、頭の片隅は不安が溢れている私なのでした。

つづくー!


粉雪を求めて…CMHの旅その7(完結)


 そして迎えたCMH最終日は、5日間でさいこー!というどっぴーかん。
さあ、そのお天気のように有終のフィナーレを飾れるのか??

朝ごはんを食べてるとConieが来て、「今日はスキーに行く?」と。
私はもっちろん「いえーす、おふこーす!」と満面の笑み。今日は移動だから午前中だけになっちゃうしね。

グループボードを見ると、またまたTomと一緒でしかも丹羽さんとの3人のみ。Andreaたちは、飛行機の都合で朝の移動になるそうです。そんなこんなでまたスタッフの女の子・Christineが入ることになりました。


ガイドのPeteは、とっても話好き。
日本人のお友達がいるそうで、その彼は北大雪で天狗キャットというのを始めたんだよとか、Face bookやってるんだったら帰ったらすぐにAdamantsにアクセスするのがお約束!とか(笑)。

いつも通りヘリに乗り込んで、向かうはアルパインエリア。思えば、初日に比べてヘリの乗り降りも大分慣れてきたなーと感慨深くなりつつ、、、
雲ひとつなくどこまでも澄んだ青空の中をヘリが飛んでいきます。気温はベースロッジで−10度と低く、最高のコンディションは間違いなし。

最初に着いたのは、Clamshell。

朝の光が雪に反射して、キラキラ煌めく粉雪の中を滑り出す。どこまでもどこまでも澄み切った空気を吸い込むと、透明人間になっちゃったんじゃ?と感じるほど、全てが無になってゆく。
自分の刻むシュプールの音だけが、広大な山々の中に反射し始めると、今ここに自分が生きている!ということが痛いほど伝わり始めてくる。

何も要らないね
みーんなここに在るんだね

ただ、ただ、産まれてきたこと、そして生きてこれていることに感謝できる自分がいました。

そして下の方へ滑り降りると、大きなデブリが待ち構えています(デブリとは、雪崩が起こって雪が滑り落ちたとこにたまること)。

Peteによると、
昨日ConieとPeteで私たちの安全確保のために、アバランチコントロールをしたそうです。
これがその跡。



山の稜線の下に雪が切れている線がありますよね。その右の上の方に黒くなっているところに、爆薬を仕掛けて雪崩を起したそうです。この写真だと伝わりにくいですが、かなりの広範囲でした。

北米の雪質は日本とは全く違います。
大陸性のためか、とってもドライで密度が濃い感じ。日本の雪は降雪のあと、時間をかけながら雪の結晶同士がつながって、安定してきますが、こちらは逆なんです。
時間が経てば経つほど、雪同士はつながらなくなって雪崩の危険性が増してくるそうです。

なので、山だけじゃなく街のあちこちでもアバランチコントロールして、街全体を守っているそうです。

私たちが来る前から降り続いていてかなりの降雪があったので、雪崩も起こりやすくなってきていたんですね。

そして最高の6ランを終えて、憧れのCMHヘリスキーが無事に終了。

トータル滑走標高差は33,380M。八方のリーゼンコースを約42本滑りきりました!

ガイドのみんなとHugしてお別れ、、、
バイバイ!また絶対来るからね!



お話には登場しませんでしたが、仲良くなったシアトル在住のChiristopheが撮った動画がこれ。同じグループになれなかったので、私は映ってませんが、大体こんな感じ。かなり完成度高いですー



私もChristopheを見習ってがんばってみましたー
Andreaも出てくるよ!



CMH Adamantsの動画がこれ。今年の3月に撮ったみたい。4:20位に出てくる青ウエアの人は、2日目のガイドのCraigっぽい。速いよー!



おまけ♬

気になるTomは良いひとなのか悪いひとなのか??

帰りのバスでのこと。
丹羽さんと私は途中下車の旅で、バンフで降りました。みんなとHugしてお別れしていると、Tomがやってきました。そして、、、

「Thank you Yuki, it's wonderful time to go skiing wish you !」んで、Hughug.

ふんだ、、結局良い人だったんじゃないさ(涙)。




粉雪を求めて…CMHの旅その6


 突然の登場にもうココロがはち切れそうになり、Hugしようとすると…

A「No,no! please don't touch!」と。

精密検査で頭も背骨も異常なかったそうですが、相当なむち打ちなのでしょう。両腕がまだ痺れてうまく使えないそうです。
もちろんスキーはNGだけど、残りの日程はロッジで過ごして、Emanuelたちと一緒にNew caledoniaへ戻れるとのことでした。

あーん、本当に良かったよう(涙)

そして翌日は…


朝からピーカン!しかも気温も低く、さいこーのPOWPOWDAYになりそうな予感♬いえーい。

が!
グループのボードを見ると
な、な、なんとTomと一緒じゃありませんか!

げげげー

一瞬かなり落ちたけど、私は悪い事してないんだしと気を取り直して、さあ行くぞ!

今日のガイドはKonie。
そしてグループ1だったので、一番早い出発で向かうはアルパインエリア!ひゃーん!!←なんと表現してよいかで失礼しました(苦笑)。


ヘリ2台で5つのグループをオペレーションしているのですが、グループ1だと先頭だから広大なアルパインエリアの隅々まで誰のシュプールも無い中を滑れるんです。

そしてその日は、常に先頭を滑ろうとするEmanuel達を、あのTomがしきって「今回はあなたたち2人が先頭行きなさい」って言ってくれたりして。あれ?なんか良いひと??でも騙されないっ

Konieのシュプールの横に、ターン弧を合わせて、標高差700Mを一気に滑り降りる快感!
筋肉痛が悲鳴あげたって、息があがったって、そんなもん”へっちゃらへーのへー”なんだもんねー(笑)。

[後ろにそびえる山々はMt.Adamants]

[アルパインエリアは雪崩の危険性が高いので、斜面はメロウ]

でもですね、
良いことばかりじゃありませぬー

斜面の向きによってはウィンドクラストになっていたんですが、私たちが滑ってそれをKonieが無線でヘリのパイロットや他のガイドに連絡して、そこを外して滑っていたみたいなんですよね。
そう、捨て石ってやつ(苦笑)。

ランチの時に他のグループの人と情報交換したら、その事実が判明。
だって、みんなは「We have no crust」って言うんだもん。

そんなランチはこんな感じ。お腹を空かせたゆっちんが滑り込むの図。

ヘリで温かいスープやらサンドイッチやらお野菜やら運んで、雪でテーブルセッティングした、素敵なおもてなし。



食養生中&アレルギーのある私は、行く前に食べ物のリクエストをしておきました。
するとランチにまでこんな気配りが…(涙)Yukiko用の特別メニュー、ポットの中は美味しいスープ♬


とにかく滑り倒した4日目。その距離、標高差にして10,970M!
ちなみに八方のリーゼンコースの標高差は約800Mだそうです。

いろいろあったけど、ここに来れて良かったよーう。
数年前の辛い闘病生活を考えると、今生きていることへのココロからの感謝とともに、涙がちょちょぎれたのでした。

さあ、いよいよ次がラストです!






粉雪を求めて…CMHの旅その5


 その日は会う人、会う人に「事故があったんだって?」「どうしたの?」とか、たくさん聞かれました。もちろんみんな心配してのことです。

そして夕食前にラウンジにいると、Tomがやってきて私に向かってこう言いました。

「今日のアクシデントのことは聞いたよ。あなたたちは速すぎるんだよ。僕の言っている意味解るかい?」と。

英語だから細かいニュアンスは解らないし、もしかしたら私の理解間違いかもしれないけど、感じたのは、あなたたちの滑りが速すぎるから招いた事故だと…

そのときはそのまま言葉を飲み込んで夕食を食べました。
でも考えれば考えるほど頭にきました。その状況を見ている訳でもないし、私たちは常に最後を滑っていたのも知らないはずだし、なんでこんなことを言われるんだろうと。

あまりの怒りと悲しさに夕食後は、丹羽さんに事情を話ながら思わず涙が…

丹羽さんはオトナです。
「TomはCMHの主のような人だし、Lowyerという位だから厳格なんですよ。ルールに厳しそうだし、事故があったことに対しての忠告のつもりなんじゃないかな」と。

酔っぱらった頭と悔し涙で、その晩は更けてゆき…

翌日は、どうしようもないほどの全身筋肉痛で目覚めました(苦笑)。
あいたたたたーな身体を引きずりつつ、朝のストレッチクラスでゆっくり身体を目覚めさせると、だんだん気分が上向きに♬
Andreaのことはとても心配だけど、気持ちを切り替えて楽しまないとですもんね。

私たちのグループには、Andreaがいないのでスタッフの女の子が入りました。

私たちゲストは最低補償の標高差というのを事前に払っています。もし、天候が悪くてヘリが飛ばずにその標高差を滑れなかったら払い戻しがあります。また、天気も雪も調子良くそれをオーバーしたら、オーバーチャージを支払います。

毎晩、その日に滑ったコースと標高差が貼り出されるので、これ以上滑っちゃったら支払い大変だから早めに帰ろうとか自分でコントロールもできます。
もちろん疲れちゃったとかもあるしー

そうやって空いたヘリの席に、スタッフの子たちが代わりばんこに入って滑るのです。

3日目のガイドはDock.茶目っ気があって、気遣いが優しいナイスガイ♬

[青が丹羽さん、黄色がDock、私の隣がFrederic、右端がEmanuel]

今日も滑るだろうなーと思いつつ、丹羽さんも私もさすがに疲れていたので、今日は早めにロッジに帰る決意!

Dockは多分、一番若いガイドさんなのかな?
いろいろ注意を言ってくれます。

「この先、左側にとっても良さそうなバーンが広がってくるけど、そっちは絶対言っちゃダメ!」とか、「最初に滑る人は僕のラインに近いところを滑って。そうじゃないと後の人はどんどん離れていっちゃうから」とか。

確かにそうなんです。すぐ後ろを行く人にガイドのラインを外されちゃうと、後ろから行く人はどんどん外れて行っちゃうんですよね。

とにかく先が見えないツリーランでも、ながぁーい距離を一気に滑って行っちゃうから、見つけるのが大変なんですよ(苦笑)。

”ありゃりゃ、どこ行った?”と立ち止まると、遥かとおーくの方で「イエ―オ!!」ってヨーデルが聞こえてきて、”ああ、こっちだこっちだ”な感じ。

そんなこんなで楽しいツリーランを6本ほど滑り、その日は終了してロッジへと戻りました。

[6本目の最後はこんな感じ。斜面の下にいるヘリが前のグループを乗せて、飛び立ったら私たちが滑り降ります]

スタジオでゆっくり身体をほぐし、その後はビール片手に雪山の絶景を見ながらジャグジー!
もうもう、パラダイスぅ♬

[ジャグジーの先に見えるのが、Mt.Adamants]

全身筋肉痛は続いているけど、身体もココロも軽くなって、夕食前に丹羽さんとバーラウンジへ行きました。
しばらくすると、誰かが私の肩をトントンと叩きます。

振り返ると…

そこには笑顔のAndreaが立っていました。



粉雪を求めて…CMHの旅その4



ほんでもって2日目のつづき。

大抵はグループの中で先頭をチェンジして滑るのが普通です。
が、彼らは常にサーッと滑りだしてしまうので、丹羽さんと私はほとんど後ろを滑ってました。
人数多かったら、交代しようと言うべきとこだけど、5人くらいだったらさほど体制に影響ありません。まあ、ツリーランだと厳しい部分もあるけど、逆にライン外せて良いとこ発見できたりもするし(笑)。

そして午後が始まって数本目のこと。

Craigに続いて彼らが滑り出し、丹羽さん、私という順番でした。完璧なノートラックのオープンバーンを気持ちよく滑っていて、左へストンと落ち込んだ斜面に入ったとき、私の左前方に転んだ人の姿が飛び込んできました。

あれ?誰か転んじゃった?と思い、止まってみると、Andreaが唸っています。

ゆ「Wow! Andrea, are you allright ?」
A「uuuu ! whoooo- ! NO! NO!」

私は気が動転しました。
みんな下降りちゃってるし、ゲレンデじゃないから誰か滑ってくる訳でもないし。

落ち着け!ゆきこ!あんたはインストラクターでしょ!!百戦錬磨、いろんなことやってきてるんだから、最善を尽くしなさい!!

Andreaはフランス人なので、うめきながらフランス語っぽいのを発しています。もちろん何を言っているのかは解らないし、目は閉じたまま半分意識が遠のいているような感じ。でも時折足を痛そうにしてました。

とにかくCraigに知らせないとと思い、無線を手にしました。
ちゃんと伝えられるだろうか…

ゆ「Craig! This is Yuki. Andrea fell down and he can not move !」
C「OK, Yuki. Can he speak ?」
ゆ「No, but his right leg looks painful.」

そこまでの会話は覚えているけど、正直あとは何を話したか覚えてません。とにかく必死で英語で伝えたことだけ。

Natterlyが行くからというのが解ったので、Andreaを介抱しながら待ってました。するとだんだん彼の意識が回復してきて、無線で仲間のEmanuelたちとフランス語でやりとりできるまでなってきました。
あとで解ったんですが、Emanuelたちはドクターだったんです。

ここからがCMHのオペレーションの凄いところ。

そうこうしている内に、斜面の下からヘリが、ドババババババーと轟音とともに現れて、Natterlyが来てくれ、次のヘリでCraigや同じパーティの仲間たちも来ました。
そして他のガイドたちも。

Andreaはうまく手が握れないらしく、もしかしたら頸椎を損傷しているかも…という診断で、首を固定して担架に乗せられ、一番近い街Revelstokeまでヘリで搬送されていきました。

そしてその後は、あっという間に元のグループ体制に戻ってスキーが再開したのです。
その間1時間くらいだったのでしょうか…

とにかく何もできなかった私なのに、AndreaもEmanuelたちもガイドのみんなも口々に「Thank you Yuki ! You help him.」なんて言ってくれて…(涙)

ずーっと標高の高い雪の中で止まっていたもんだから、気がつけば手が氷のようになっていました。冷たいなーと思い握ったり繰り返してたら、Craigが気がついてくれて自分の手袋は暖かいからチェンジしようと言ってくれたんです。

近くにいたConieも、これ使いなよってホカロンくれたりもして。

あったかかったです(涙)。

あーん、Andreaが元気で戻ってきますように。







粉雪を求めて…CMHの旅その3


 2日目の朝、ストレッチクラスで充分身体を起こし準備万端。

グループボードを見ると初日とは構成が変わっていて、Andrea, Emanuel,Fredericというニューカレドニアから来たフランス人の3人組と一緒になりました。
そう、あのニューカレドニアですよ!天国に一番近い島って言われている南の島からです。

いやー驚きました。
NZへよく行ってたころ、飛行機の上から「きれいだなー、1度行ってみたいなぁ」なんて思っていたところからなんですから。

そしてガイドはCraig。
CMHには10年いて、最初の3年はMonasheesで、ここAdamantsは7年になるそうです。
真ん中がCraig, 赤がAndrea, 青は丹羽さん

年齢的には初日よりグッと若返りました(笑)。

お天気があまり良くないときは、森林地帯の上のオープンバーンにヘリが着陸して、メロウなオープンからスタート。その後は尾根沿いを滑ってから急なツリーランに滑り込んで行くというのが大体のパターン。



とにかくツリーランは急&木の間隔がタイト。そのため木の存在が大きく、先が全く見えない不安もあります。
でも、雪がめっちゃ極上&たっぷりとした積雪だったので、もうもう楽しいのなんのって!

というか、必死なんだけど征服感があるんですよね。

狭い木々の間を抜けると、その先にはものすごい落差がお出迎え。慌てて足を伸ばしても届かない!身体全身を使ってリカバリーして次のターンへつなげてゆく…

私もう歳だから、、とか
体力ないから、、とか

言ってる場合じゃありません。
まあ、その日のあとは猛烈な全身筋肉痛が襲ってきたんですけど(苦笑)。

そうこう言っているうちに、数本目が終わってヘリにピックアップしてもらったときのこと。

全員が持っている無線はガイドさんやヘリのパイロットも同じチャンネルで、常にいろんなやりとりしてオペレーションしているんです。

でもペラペーラな英語だから、ほとんど耳に入ってこない私ですが、何やらあったような雰囲気が伝わってきました。耳の穴、大きく広げて聞いていると…

ゲストの1人がツリーウェルにはまってしまってNatterlyが救出に向かっているそう!!げげげっ
私たちの乗ったヘリが低空飛行して木の間を探していきます。あちこち旋回していたそのとき、いました!発見です。Natterlyが懸命に雪を掘っているのが見えました。

オープンバーンにヘリが着陸すると、Craigが「すぐに行くから」と言っています。慌てて準備して滑りだしたら、無線が入って無事に救助できたとのこと。

よかったー

そんなこんなでヘトヘトになってお待ちかねのランチタイム♬

Craigから「これから天気良くなって来そうだから、アルパインエリアへ行くよ。もしロッジに帰りたいなら、今がタイミングだけどどうする?」と。
もちろんもちろん「I wanna go out !」

コトバもでないほどすごい景色が広がってました。岩山と雪と氷河のコラボレーション!
そう、私は氷河を見ると興奮するんです。だって、その下にもしかしたらマンモスが冷凍保存されているかもなんですよー(笑)。

まだ動きに慣れてないせいで写真がちゃんと撮れなくて残念。

そしてアルパインエリアを滑って数本目に…

長くなるので、続きはその4で←すみません、出し惜しみじゃないんですーあまり長いと読むの疲れちゃうかなと(苦笑)





粉雪を求めて…CMHの旅その2


 一夜明けて…時差ボケなんてなんのその!しっかり睡眠とって、朝のストレッチクラスへ。

ここには2人のセラピストがいて、マッサージやらストレッチクラスやらをやってくれます。長時間の移動で硬くなりきった筋肉をひとつひとつ丁寧に伸ばして…

なーんて思ったらキツいキツい(苦笑)ヨガを取り入れたストレッチは、なかなかハードなおもてなしでした。

朝食を食べ終わったころには、ボードにグループ分けが貼り出されます。
ゲストは総勢30名で、うち10名はSKI TOURING。これはヘリである程度上がってから、シールで登って滑ってをするグループ。残りの20名が4つのグループに分かれるという感じです。

実はCMHの通常は11人のグループだけど、今回のプログラムはSmall Groupってやつなんです。

初日のガイドさんはNatalieというめっちゃチャーミングな女性。背は高いし、スタイルいいし、笑顔も素敵だし。女性のガイドさんっていうと、なんだか男勝りってイメージあるけど、まったく違ってました。でもですね、やるべきことはしっかりやるし、頼りになる存在!見習わないとねー
黄色がNatalie、手前は丹羽さん

グループメンバーは、一緒に来た丹羽さん、New Jerseyから来たPaulとGersson、CMHハードリピーターのTomの5人。

初日ってですね、みんなけん制し合うんですよね。こいつどの位滑れるんだろう?とか、どんなやつなんだろう?とか。

まあ、私は女性だしー、むふふふふーなノリでしたが(笑)

そんなこんなでワクワクしながら、ヘリに乗り込み、さあ憧れのCMHヘリスキーがスタートです。
向かって左がPaul、右がドアマンTom

天候は雪、気温はベースで−6度くらい。
あっ、そうそう朝食のときに、必ずガイドさんがチンチンチーンとグラスを鳴らして、今日のコンディションとか予定を教えてくれるんです。

朝から耳を澄まし精神集中させて聞く必要がある私ですが(苦笑)

最初の1本目。Paulが何回も転んでしまうとう事態になってしまいました。旅の疲れもあるし、聞くとこによると彼は68歳。しかもある程度の標高があるから、転べば転ぶほど息もあがって苦しくなっちゃいますもんね。

すかさず時間をゆっくり取ろうという気配りか、Natalieのツリーウェル脱出の講習が始まりました。ツリーウェルというのは、木の幹のところにできる空洞のこと。

日本ではツリーホールと言うのですが、そんなにナーバスにならないんですよね。でもここではめっちゃナーバス。それもそのはず、その深さは積雪分になるそうで、今は3Mだという…唖然。

頭から突っ込んでしまった場合、足から突っ込んでしまった場合、さまざまな注意と自力での脱出方法を習います。もし腰まで入ってしまったら、無理に動かず無線で救助を頼むとのこと。

で、救出する方は必ず斜面の下から三角形に掘っていくのです。

いやー絶対にはまりたくない!怖いよー

な、スタートでしたが、最高の雪質の中オープンバーンからスタートするツリーランを堪能させていただきました。



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