NORWAY トレッキング(まずはオスロ)


昨年のKungsladen,Swedenに引き続き、また北欧トレッキングへ行って来ました。今回の場所はTrollheimen,Norwwayです。
 
到着は夜遅くにOslo空港。
肩からは手荷物のバックをぶら下げ、トレッキング用のザックを背負い、スーツケースをガラガラ引いての到着です。
物価がとにかく高いと聞いていたので、おまけに空港到着してワインを一本買ってしまったものだから、荷物が重いことったら!
免税では無いはずだけど、多くの人が一目散にお酒を購入しているんですよね。その情報は聞いていたので、私もその波にのってみました(笑)。
 

人に聞き聞き、空港からの電車に乗り、向かうはOslo中央駅です。駅から徒歩5分ほどのホテルを予約していたけど、何せ初めての場所なので、あっちウロウロこっちウロウロ。
 
中級クラスのホテルは、1泊朝食付きで15000円くらい。フロントでビールを買ったら、60Nkr.=1000円くらいってとこでしょうか。
空港のワイン1本が99Nkr.だったから、大変な思いしてでも買って来てよかった〜
 
翌日はゆっくり起き、荷物を整理してスキージャンプ台のあるHolmenkolenへ。目当てはここにあるスキー博物館です。
私が尊敬するSIAの先生から「オスロでは絶対に行くべき」と言われていたし、ちょうどラストフロンティアの記事でスキーの歴史に触れていたので、タイミングばっちりなのです。

 
荷物はとりあえずホテルに預け、中央駅へ。
地下鉄で30分位のところにあるのですが、地下鉄はすごく解りやすく利用しやすかったです。


「ジャンプ台もありました。女子のRecordは沙羅ちゃん!」


「アムンゼンが南極探検に出かけたときに使用したスキーと服などなど。」


「昔々は狩りのためにスキーを履いてたから、ストックの先は、なんと槍!」


「な、な、なんと400年前のスキーの破片!800年前とかもありました。」

 博物館に大満足した後は、時間があったので新国立美術館へ行くことにしました。Norwayと行ったらムンク。そう、「叫び」を見なきゃですもんね。
私は決して美術系ではないので、あまり良く知らなかったのですが、ムンクの絵って元々ああいう画風じゃないんですねー
ふむふむ、勉強になります。
 
Osloの町は思ったより、すごく小さく、結構歩けちゃいます。美術館の後は、メインストリートをブラブラ歩きながら大聖堂へ。
今回のトレッキングの友・ヒロコさんと待ち合わせをしているのですが、予めGoogle Mapで雰囲気を調べ、5時半に扉の前ってことを決めていました。雨が降っていたら、扉が見えるどこかという事まで詳細にです。
いまどきは携帯時代で待合せが大体になっているから、なんだかとても新鮮な感じですよねー。

「駅前では、ビーチバレー大会が!日本で言うと東京駅の前でやってるようなもの。」
 
ヒロコさんは2ヶ月半ほどスウェーデンのレジデンスに滞在していて、実は今回トレッキングを決めたのも、その流れからでした。
 
無事に合流後は早めの夕食を食べ、ホテルへ荷物を取りに。トレッキングに不要なスーツケースは、中央駅のコインロッカーに預けました。これも予め調べておいたのですが、大きな荷物も預けられるから相当便利でした。
ちなみに係の人はいるけど、全て機械で操作します。英語での説明もあるのですが、いまいち良く解らなかったら、近くにいた利用者の人が優しく教えてくれました。
 
身軽になったところで出発まで、駅のバーでもちろんビール!
こんなに高いのに、みんな良くガブガブ飲むなーと感心しながら、私もガブガブ飲みましたとさ。


クングスレーデン・トレッキング


久しぶりに姉の住むスウェーデンへ来ました。5年ぶり位かなあ…
前回はアイスランドへ旅行したのですが、今回は北極圏に位置する「Kungsleden=王様の散歩道」というトレッキングが目的です。
 
パートナーは、トレッキング経験ゼロの二十歳の甥っ子。不安はたっぷりだけど、スウェーデン語は話せるので強い相棒となるはず。
 
Kungsleden」は北のAbiskoから、南のHemavanまで全長440kmありますが、今回はその途中に位置するNikkaluoktaからVakkotavareまでの約70kmのコースを選びました。
というか、ネットでも情報が少なく、姉が色々調べてくれてアレンジしてくれたのですが(苦笑)。

 
途中にある山小屋=Huttに泊りながらの5日間で歩ききるルート。なるべく安く行こうということで、ストックホルムから夜行寝台車で出発したので、全行程78日の旅でした。しかも2等の男女兼用に乗ったもんだから、中々シュールな旅となりましたよ。
 
アウトドアが大好きで、夏も冬もあちこち行く私ですが、今まで経験した中で最大級の大自然!
しかもアウトドア文化の違いというか、自然への接し方の大きな差を感ぜずにはいられず、色んな想いが交差した時間でした。
 
最初の2日間は、大勢の人が歩くメインルート。ちょうど「Fjallraven classic」というトレッキングの大会をやっていたこともあり、のーんびりという感じではありませんでしたが、日本では見た事ない光景も刺激的でした。走るように進んでいくグループもあれば、家族でゆっくり歩いていたり。
そして、とにかく犬連れの多いことと言ったら!
しかも全ての犬達が、こうやって自分たちの荷物も担いでいるんですよね。日本では、犬が洋服着ているというのに。あーあ、なんて違いだ。

 
またHuttが居心地いいんです。今回のルートは、大体15kmおき位にあって、全て管理人さんがいました。食事は全くなしですが、しっかりしたキッチンがあり、またひとつおきに簡単な売店もあります。
 
しかし甥っ子は大の日本食好きということもあり、今回はほとんど日本から食材を持ち込み、担いでいきましたが、、、
後にも先にも甥っ子曰く「僕は売店で売っているものだけだったら、無理!」との一言でしたが。
がんばって持って行って良かったー、と叔母サン心がくすぐられました(笑)。
 

2泊目のSingiの絶景!
 
一番楽だったのは、お水の確保。高層湿原もあるような場所なので、至るところに川が流れていて、ガブガブ飲めます。
まあ、神経質な人は無理かもだけど、私は全くお腹を壊すことなかったし、美味しかったです。
 
Huttでは、食器を洗ったりした汚水は、バケツに貯めて指定のタンクに捨てるという徹底ぶり。
そしてヨーロッパの人って、フツーに川に入って身体を流すんですよねー
なので、場所もしっかり別れています。サウナがあるHuttもあるし、お風呂に入れなくても何とか過ごせちゃう。
辛いのは水が冷たいことかなー

 
途中で、こんなに大きな川もボートで渡ります。

 
北極圏ならではと感じたのは、日が沈みきらないので、夜9時過ぎでもフツーに歩いて行動しているんですよね。お天気も午後から崩れやすいとかもないので、朝もゆっくりできるし。
私たちはHutt泊だったので、変な時間に行動しませんでしたが、テント泊の人たちは、みんな自由に行動していました。なんたって、Abisko周辺以外は、どこでもテント張っていいそうです。
自然の大きさと人の比率の関係がなせることなんでしょねー
 

トナカイの群れにも遭遇!けど、野生はいないそうでサーメ人たちが全て管理しているそう。
 

氷河を抱く山並みには、思うわず見とれてしまい、何度もつまづいちゃいました。
 
また機会があったら、Vakkotavareから南下していきたいなー
お金貯めないとね(笑)。


インカトレックの旅〜番外編〜


無事にマチュピチュまで辿り着き、インカトレックは終了した訳ですが、旅はまだ続いています。

その晩はアグアスカリエンテス(旧マチュピチュ村)で4日分の垢を落としたあと、大いに盛り上がり!
翌日は再びマチュピチュへ行き、ワイナピチュ(老いた峰)に登ったりとスッカリ観光気分。
私は人と少しズレているので(笑)、ひとり下へくだり博物館へ行ったり町を隅々まで歩き写真を撮ったりをして、インカ文明の探究心に火をつけたりして。

贅沢な時間をかけて歴史を堪能した後は、これまた超贅沢なことに「HIRAM BINGHAM」という、オリエントエクスプレス社系列の列車でクスコへと帰還しました。
美味しいお料理とお酒をいただきながら、ゴトゴト揺れる列車の旅。もう素敵なことったら!


おまけにBARで踊っちゃったりして。

そんな帰り道、、
あと少しでクスコという辺りで、Aさんが具合が悪くなってしまったということが耳に入ってきました。BARから席に戻ると、Aさんは辛そうに横たえています。
顔をのぞくと息が上がってて苦しそう。

「どうしたんだろか、、さっきまで元気そうに、BARにも来てたのに」

高度順応があまりうまくいってなかったみたいなので、また標高が上がってきたからかな?とか話をしつつ、様子をみていると、どんどん苦しそうになってきてしまいます。
電車からホテルまでのマイクロバスでは、ほとんど意識がなく、ホテルに着くと身体がとても冷たくなってきてしまってるし、どうしたものか。

とりあえずフロントのソファーで、酸素吸入を受け(クスコのホテルは常備されているみたい)、様子を見ることになりました。

身体をさすったり声をかけたりしても全く改善されないので、ミチコさんがお医者さんを呼ぶことに。

お医者さんが来てくれたので一安心ですが、どうやら高山病ではないらしく緊急入院することとなってしまったのです。

翌日に原因が判明したのですが、なんと「ジラルディア菌」とかいうのに感染してしまったそうなんです。インドとかにいる菌だそうで、その保有期間が5-7日あるから、一緒にいた人全員が気をつけるようにと。

そうですよね、同じ釜の飯というかほとんど同じものを食べてきた訳だし、私たちだって発症してもオカシクないはずです。

結局Aさんはクスコで2日間入院して、なんとかリマまで移動し、リマでもホテルのベッドでずーっと過ごし、なんとかかんとか日本へ帰ってきたのでした。

帰りにはゲッソリと痩せてしまい、それはそれは辛そうで、、

大阪から成田への飛行機が台風の影響で遅れたところから始まって、税関で足止めされ乗り継ぎミス、挙げ句の果てに感染してしまったAさん。
神さまはAさんに何を伝えたかったのだろか、、、?

もちろん、今ではすっかりお元気になり、このお話は笑い話になりつつあります。
なのでこのブログでもAさん直々に解禁OK!のお墨つきなのでございまーす。

といった「番外編」でございましたとさ。

さて、締めの写真はと、、じゃんじゃん!食事中だったらごめんなさーい。
クスコの一番で見つけちゃったしろもの。なんでしょねえ、、牛?
またしても1人で探索中に見つけてしまったんです。あまりにも強烈な匂いに手が震えてピントがずれちゃったんだい!



インカトレックの旅その7〜完結!〜


翌朝は「ご来光を見ましょう」とのミチコさんの粋な計らい。マチュピチュ到着を急がずに、手前で3泊目をした訳が解りました。これです!


左がMt. Salcantay(6271m)
残念ながらガスがスッキリ晴れずにご来光は見れなかったけど、最終日を飾るにふさわしい朝を迎えることができました。

そしてインカ道と遺跡はまだまだ続きます。


大きな一枚岩から創られた、こんな階段も。


今回の旅で私が一番好きな遺跡は、ここINTIPATA。遠くを望むと、ウルバンバ川が流れ、その遥か彼方から私たちが歩いてきた軌跡が感じ取れます。どこまでもゆっくりとした時間の中、参加を決めた日からここまでの道のりが走馬灯のように流れていきました。

Photo:たっちー

トレックの最後は、マチュピチュ山の裏側をぐるっと巻いて鞍部近くにある「INTIPUNK・太陽の門」へマチュピチュの後ろ側から到着します。

 Photo:たっちー
そこには、まるでフィナーレを飾るかのように色とりどりの花たちが咲き乱れていました。自然に咲いた「ラン」を見るのは初めてだったので、色の勢いの強さを身体全体に感じ、震えがくるほどに。

  Photo : たっちー
この旅で一番のお気に入りはこれ!朝露に濡れた笹なんです。まるで花火みたいでしょー
お花たちと笹の花火でお祝いしてもらっているみたいでした。


最後はガッツリ急登をして、息が上がったところで現れたのが念願の場所・INTIPUNK。ガイドブックや本を読み、どれだけ妄想してイメージしてきたことか、、、
門を越えた瞬間、目の前に広がった景色を、ただ私の脳だけが受け入れ感情がついていかずに涙だけが溢れ出てきました。


するとどこからかパチパチパチと拍手の音が。
そこに居合わせた観光客の方々が、みな讃えてくれたのです。

うわーん!
やっと自分を取り戻したときには、顔はくしゃくしゃでした。

ということで、腫れぼったい顔はナシとして、待っててくれたこの子でお許しくださーい(笑)


お誘いを受けたとき、悩みもせずに即決したインカトレックの旅。亡き母を懐かしみながら準備をして望んだこの日、最高のメンバーとともに時を過ごせたことが嬉しくて仕方ありません。
人生ってすごいなー
出会いって素晴らしいなー
生きていると数年前には想像もつかなかったことが広がってもくるんだなー

また来よう!
いや、絶対来る!

「Be Active, be lively 動くことは生きること!」
時にゆっくりになったり、立ち止まったりもするけれど、私は必ず前を向いていようとココロに誓った瞬間でした。

なんだかんだと二ヶ月もかかっちゃったね(苦笑)。

追伸 これで終わると思いなかれ!最初に言ったでしょ、何かあるときは続くもんだって。番外編あるよー


インカトレックの旅その6〜雨は夜更け過ぎに〜


翌朝は4:45に起床後、沢の水でバシャバシャと顔を洗い、眠たい目を覚まします。
無事に1st PASSを越えられたからか、お酒も少し入ったからか、ぐっすり眠れたのでお陰で気分スッキリ。

「さあ、今日も歩くぞー!」と深呼吸。

photo: たっちー

と、気持ち良さそうだけど、小さな蚊がブンブンと飛び回りうるさいったらありゃしない。
あちゃー、これが噂に聞く「インカの蚊」ねえ。いやだわー

3日目の行程は、Runkurakayという遺跡を見学しながら2nd PASS(3,950m)と3rd PASS(3,670m)を越えて最後のテン場へ。
普通の行程だと最終目的地のマチュピチュへできる限り早い時間へ着きたいから、Winay Waynaというテン場まで行くそう。ガイドのミチコさん曰く「そこより大分手前だけど、朝一番でマチュピチュへ行く経験より絶対に良いから、そこで泊ります」とのこと。

日本の登山道に比べ驚くほど整備されたインカ道を歩き続けていくと、アンデスの山々はその山容を益々深くしていきます。
その至るところに点在する精巧な石造りがなされた遺跡の数々と出会うと、歴史が頭の中でフラッシュバックして、ココロがざわざわと。



一体何故こんなところに道を作ろうとしたのか?
そのためにどれだけの人の命が懸けられたのか?
そこまで君臨したインカの王様は一体どれだけの人物たちだったのか?

たくさんの疑問が頭の中を巡っているのに、なぜか思考回路が止まってしまったような不思議な感覚に陥りつつ歩き続けました。

時代は巡り、他民族の私が「今、この時代」を歩いているのに、自然は変わらないのでしょうね。2nd PASS近くにできた池には鹿が水を飲みに来ていたり、雪山とサボテンのコントラストや肉厚な花々が咲き乱れていたりと、時を越えて受け継がれてきたものの存在がとても大切に思えて仕方ありませんでした。

photo:たっちー

5時間ほどの行程を終え、最後の宿泊地Phuyupatamarka(3,600m)へ到着。
展望の良いそこは、マチュピチュ山を望むことができ最終日に歩く道が見えています。だけど、山の裏側にあるマチュピチュ遺跡は全く見ることができないのです。

photo:たっちー

「うわー!あの裏側が目的地なんだ」と思うと、もう気持ちがいっぱいいっぱいになってきて、明日のクライマックスへ向けて心臓がバクバクしてきました。
そんな私を冷ますためかのように、雨が本降りに、、、

しかし雨は夜更けすぎに雪へと、、じゃなく満天の星空に変わってくれました。

photo:たっちー


インカトレックの旅その5〜標高4215Mを越えて〜


歩き始めてすぐ、不思議な光景を発見しました。

高地だというのにサボテンが咲いているのです。
サボテンの奥にそびえる雪を抱いた山々の姿が、それはそれは不思議でたまらなく、足元に気をつけながら、思わず何度も見とれてしまいました。
恐らく、緯度との関係なのかな?南緯10度くらいだそうですから。


2日目の途中までは村があって、古代インカ人の血を受け継いでいる人々が、普通に暮らしを営んでいます。私たちが歩いているインカ道は、生活道路として使われているので、村人たちがロバを使い物資を運んでいるのです。
もちろん、私たちトレッカーは村人たちを尊重しなければなりません。生活圏にお邪魔させていただいているんですからねー


さてインカ道ですが、しばらくは作り直した道が続くそうです。
そりゃそうですよね、人が暮らしているということは、それだけ道も傷みますもんね。ちなみに最高地点を越えると、古代のままのインカ道になるそう。

そして何よりは”ロバの糞!”
とにかく至るところに落ちているので、遠く景色を見ながら悠久の歴史に感動するのかというどころじゃなく、常に下を見て糞を踏まないよう歩くのに一生懸命な感じでした(笑)。

ほどなく小さな村に到着。どうやらお昼らしいです。
そうなんです。この旅はお昼付きで、しかもわざわざダイニング用のテントを張ってくれるという豪華版なのです。

まあ、後にも先にも私たちパーティは、途中ランチはこの1回きりでした。歩くの辛くなっちゃうしポーターさんも大変だから、テン場に到着してからにしてもらったんです。


キッチン用のテント。ポーターさんはコックさんでもあるのです。


気になって仕方なかったブーちゃん。いつか誰かのお腹の中に収まってしまうのかしら…

さて、すっかりお腹がいっぱいになってしまい、歩くのツライなーと思いつつ、歩を先に進めます。
「いやいや眠くもなってきたし、こんなペースで毎日歩き続けるのは大丈夫かな」と心配していると、あっという間に1泊目のテン場Waillabamba(3100m)に到着。

ガイドのミチコさんに聞くと、最初の検問所でテン場が決まってしまうそう。最初に通過した順に先のテン場になるらしいです。私たちのパーティは、通過が遅かったので下のテン場だったのです。
ということは明日は長い道のりなのね、、むむ、がんばる。

緊張の1日目が過ぎ、2日目はいよいよ1st PASS(4215m)を越えて行きます。
キーンと冷えた空気の中、朝の光がサンサンと輝くスタートとなりました。前日は緊張もあり、熟睡は出来なかったけど、体調は悪くありません。


若干調子がすぐれないAさんと、Nさん達は山の大ベテランさんなので、遅すぎずでも速すぎずという全く崩れないペースで歩いています。記事を書きたいと思っている私は、写真を撮るのでどうしても遅れてしまいます。「まずい!相当遅れた」と思っても焦らず慌てず、じっくり先頭のグループと距離を縮めることだけを気をつけました。


さすがに4000Mが近づいてくると、相当息が上がってきました。
うー!空気薄いっ
けど負けないっ!このためにがんばってきたんじゃないか!


到着した時は涙が出そうだったけど、ここでは絶対泣くもんか。まだまだ先があるんだもんねー

しばし休憩後、今度は長ーい下り。
2日目のテン場Paqaymayuは3500Mなんです。そう、1115M上がって700Mを一気に下るというPASSな訳ですから…
お膝ちゃん、がんばってね。

それにしてもポーターさんたちの速いことったら。20kgもの荷物を背負って、駆け下りていくんですよ。もう、驚くもなんもって言葉もありません。私たちゲストが到着する前に次の場所へいち早く行って、テントを立てて準備をしなくてはならないからなんですって。

お仕事とはいえ、申し訳ない気持ちがいっぱいに広がってきました。


そして2日目のテン場に到着!見よ、この絶景に包まれちゃうんですー
で、ですね。
何を隠そう、男子2名と私は最後の売店で、こんなもんGETしてました。もちろんプシューってやつです。むふふ。








インカトレックの旅その4〜いよいよ始まり!〜


インカトレッキングは1泊2日もしくは3泊4日の公式コースになっていて、必ずガイド及びポーターと共に入らなければなりません。また、事前にパーミットも貰わないといけないのです。

ようは、国をあげての観光産業になっているという訳です。
が、それだけの史跡を守るのだし、地元の潤いがあっての観光だと思うので、あたり前のことでしょう。話はそれますが、我が国・日本は観光に対する感覚が甘いというか、寛大というか、、、そのものが重要な資源だという認識が薄いように感じる今日この頃です。

前日の夜は荷造りです。
ポーターさんに1人10kgまで預けられるので、何をどうするかを試行錯誤なタイム。
大分前にモンテローザのヘリスキーで、標高4000M以上を経験しているけど、バババババッと飛んで行って、シューッと滑って降りただけだから(とは言っても相当息が上がった)、歩いて越えるのは未知の世界。
やっぱり荷物は出来るだけ軽くしたいもんだなーと。

Iさんがなんと簡易的な計りを持って来てくれてて、図っては一喜一憂(笑)。

えっ?そんなに厳しいの?って。

そうなんですよ。かつては、無制限だったらしいのですが、そうなると大変なのはポーターさん。
あまりの激務に規制ができて、ポーターさんは1人20kgまで!ということになってそうです。しかも検問があるからねー

翌朝、眠い目をこすりながらバスへ。
出発地点の82km地点というとこを目指します。


バスのエンジンが壊れちゃうんじゃないの!?と、気がきじゃない峠道を下ったり、遠くに見える雪を被ったアンデスの山々に感動したり。

クスコから2時間ほどするとウルバンバ村(2863m)に出ました。この村は今も農業が盛んで、トウモロコシが有名だそうです。そこに流れるウルバンバ川沿いを北西へと下っていきます。ウルバンバ渓谷は「インカの聖なる谷」と呼ばれていて、両側に迫る山々と滔々と流れる川の神秘さに、いよいよ始まるんだなーと闘志がみなぎってきました。

ちなみにペルーは太平洋に面しているから、そっちへ流れるように思いますが、アマゾン川の支流になるこの川は、遠くでアマゾンの本流と合流して、大西洋への続くのでした。ふむふむ。

ボーッと景色を眺めていると、何やら賑わった村へ到着。
えっ?ここが目的地?と思いきや、そうではなくてオリャンタイタンボという村です。インカ時代、要塞としてスペイン軍と闘った地で、数々の遺跡が残されているそうです。オリャンタイというのはインカの将軍の名前で、タンボは旅籠の意味。遥か昔はインカ道の中継地だったんですねえ。


今回は遺跡を見るのではなく、参加者のNさんがトレッキングポールの石突につけるキャップを買うために寄りました。遺跡を守るためにキャップは必須なのです。

さて、そこからの道が辛かった!
クスコから車で遺跡を巡ってマチュピチュへ行くツアーの多くが、この村からは電車らしいです。
何故かって?
そう…舗装されてない道が延々と続いていたのでした。

1時間も揺られたでしょうか。
ようやく出発点の82km地点に到着!いよいよ始まります。


広場では、世界各地から集まったたくさんのパーティが準備をしています。荷造りしたり、トイレに行ったり。
さてどんな旅が待っているのでしょうか。
日本から抱えてきた期待と不安が大きく大きくふくれて、いっぱいいっぱいの私がいました。


検問所。ポーターさんの準備含め全てが整うと、ここから橋を渡って出発できます。


ウルバンバ川。この奥の奥に目指すマチュピチュがありまーす。電車に乗っていく人たちと、ばいば〜い。


インカトレックの旅その3〜まずはアンデスの歴史から〜


その日の夕方、タッチーとAさんはクスコへ無事に到着しました。
どうやら、コロンビア経由でしかも再び飛行機をミスしながら、なんとか来たようで、お二人ともフラフラ…

そりゃそうですよねえ。

私はというと、控えめにしつつもお昼からビール飲んだりして、今のところ無事に高度順応をしている感じです。あっ、ビールは飲んだけど、さすがにまだワインには手を付けず(笑)。

そして一夜明けて、翌日はガイド・みちこさんの案内でクスコ郊外の遺跡見学となりました。

そもそもインカ帝国って?一体いつの時代で、どんだけ栄えたの?マチュピチュって天空の都市って言われるけど、一体なあに?

と、博のなさを出してしまう私ですが、ここで少し勉強した姿をチラッと。

突然現れて、あっという間に滅びたと思われがちなインカ帝国ですが、その誕生には紀元前2500年ごろから生まれては消えていった多くのアンデス文明(プレ・インカ)の礎があるのです。
アンデス文明の母体とされるチャビン文化は、紀元前1000年頃から200年頃まで、信仰の中心としてアンデス世界の広範囲に影響を及ぼしました。そしてその文化が衰退していく紀元後は、北部海岸地方を拠点とし、芸術性の高い陶器や金製品で有名なモチェ文化や、南部海岸に発展した地上絵で有名なナスカ文化、ティティカカ湖周辺で高度な石造建築技術の元に栄えたティワナク文化など、地方発展期となるのです。

紀元600年頃ティワナクの影響を強く受けたワリ文化が登場して、あっという間に勢力を広げたそうです。その文化は神殿ではなく都市を中心とした統治を行ったそうで、インカ以前にアンデス全域を支配した唯一の国なのです。そして各都市を繋げた道が、後のインカ道に受け継がれていきました。

ゆ「なるほどー」

ワリ文化が衰退した900年頃からは、再び地方王国期が始まりました。
その中でモチェ文化の金属工芸技術を継承したシカン文化、そしてそれを征服したチムー帝国の勢力は海岸一帯の南北約1300kmを支配下に置いたそうです。

それでもアンデス全域を支配するには至らずに、大小様々な国が領土拡大のためにせめぎあっていた15世紀になり、クスコの一帯を支配するインカ族が台頭してきたのです。

インカ帝国の最盛期の勢力は、北はコロンビア南部から南はチリの首都サンティアゴまで至ります。その広さは、な、な、なんと!南北はおよそ五千キロメートルに渡り、100万平方キロメートルを超える面積だそうです。
しかも僅か三代の皇帝によって築き上げたのですー

「では何故インカ族は強大な権力を持つことができたのか?」じゃ、じゃん!

国境を接していたチャンカ族との戦いに勝利したことがキッカケだったのです。
当時、勢力があったチャンカ族を、後の第九皇帝パチャクティが、わずかな兵で倒した事で周辺の部族もひれ伏したそうです。

「インカ帝国が繁栄したのは何故?」じゃか、じゃん!

インカといえば石造建築技術が有名ですが、経済基盤は実は農業だったのです。アンデス地域は3つの地域に分類され、乾燥した海岸砂漠地帯の「コスタ」、高度差による多様な環境を持つ「シエラ」、広大なジャングル地帯の「セルバ」で成り立っています。
元々アンデスの世界では、インカ帝国以前から土地の所有観念のようなものがなく、この異なった地域から効率よく産物を集め公平に分配することができる者が評価されました。
3つの個性的な地域が、近接、相互依存していたことによって領土支配ではなく人間支配という豊かな国家を作り上げたのでしょう。

と、
かなり長い歴史話となりましたが、そんなインカ帝国の産物である遺跡に思いを馳せてみました。

●サクサイワマン遺跡


多分、正規の入口から逆から入ったみたいだけど、犬連れのセキュリティーの人がすぐ来て、入場券をチェック。


すごく大きな石が使われていてビックリ!大きいのだと5Mを超えるものも。要塞だったらしいけど、あまりに大きな石を使っていたため、70年近くかけて造り上げたとか?領地争いがなくそれだけ安全だったのかなあ。かつては、3つの大塔がそびえたってたんだって。


クスコの高台にあるから、街が一望。要塞の意味がわかるねえ。

●ケンコー遺跡


サクサイワマンの近くにある「祭礼センター」。ようは色んな儀式をするとこで、ケンコーとはジグザグという意味だそう。遺跡の中に入れて、ここではミイラを作ったとか?

●タンボマチャイ遺跡




インカ皇帝によって作られた休浴所。一年中、一定の水が流れてくるそうだけど、未だにどこからこの水が湧き出てるのかが解ってないそう。

今回は長い長い悠久の歴史旅でした!
おつきあいありがとうございまーす。

さてさて、本日も高山病予防のために「コカ茶」を飲みます。









インカトレックの旅その2〜クスコ到着〜


さて翌朝、いよいよクスコへのフライトです。リマからは約1時間半。
眠たい目をこすりながら、窓の外に広がる初めてみる南米の景色を、ボーッと眺めていました。

茶色い大地と、白い雪を被ったとんがった山々…
「念願のインカの地にやってきたんだなー」

私の母は活発な人で、学生時代は山岳部に所属。結婚して、子育てが一段落してからは、アチコチ海外に出かけていました。神話や遺跡が大好きで、南米も「オンナ独り旅」をして、子供のころにペルーの遺跡の写真をたくさん見せられた記憶があります。
その当時は、別段興味がなかったのに、刷り込みって大きいですよね。今ではスッカリ、亡き母の後を追うような経験を積んでいると思います。

何十年も前に、母もこの景色を見たんだな、と思うとココロの奥がキュン。一緒に見たかったな…

そしてやってきました!目的地クスコです。
空港の標高は、3248Mという高地なので、いきなり空気薄いー


ゆっくりゆっくり歩きながら、荷物をピックアップして出口へ向かうと、バケツのような大きい箱に入った沢山のコカの葉っぱが目に飛び込んできました。
そう、ここでは古くから高山病予防のためにコカを常用する習慣があるのです。あれですよー、日本では違法のコカインですからね。とはいえ、若葉ではなく乾燥させたコカの葉をお茶などにして飲んだりするのです。

近づいてクンクン嗅ぐと、落ち葉の匂い。周りの人はみんな掴んで口に入れるので、もちろん私も。
クチャクチャ噛むと、「じぇじぇー!まずい!」
けど、身体のためにとガムのように噛み続けました。

さて、リーダーを失った私たちは一体どうしたら良いのでしょか?
この時点で、タッチーとは連絡が取れず。

待合室へ出ても誰もいない。
Iさん曰く、「確か現地のガイドさんがいるとか、いないとか言ってたような。うーん。ちょっと探してきます。」とのこと。
おおー、心強い!

しばらくして戻って来たIさんは、見事に現地ガイドさんを発見して来てくれたのです。ぱちぱちぱちー!

その方は長くクスコに在住する日本人のミチコさんという女性でした。ミチコさんには、タッチーからメールが入っていたそうで、Aさんと無事に会えてコロンビア経由で何とか向かっているとのこと。いえーい。

ホテルにチェックインして、しばし休息後、残りのメンバーでランチ&観光に向かうこととなりました。


アルマス広場


めっちゃきれーな遺跡の道。SORETO STREET。


12角の石なりー


インカトレックの旅その1〜ペルーは遠いなあ〜


ペルーから帰ってすぐに風邪をぶり返した私。
キッカケを失って中々書き出せなかった「インカトレックの旅」を、ようやく書こうと思います。

たっくさんな経験があったから、長いですよー(笑)
気長におつきあいくださいな。

この旅のリーダーは小樽近郊にある「ガイドオフィス・ノルテ」の立本さん(通称タッチー)。
冬も夏も山のガイドをお願いしている登攀ガイドさんです。

参加者は私を含めて5名。
東京から参加のお二人は以前ご一緒したこともありますが、関西から参加されるお二人は初対面。
タッチーからの前情報では、山岳会に所属する相当なツワモノの女性たちと聞いていたので、かなりドキドキ。

当日の成田では、北海道からのタッチー&東京組3名は無事に合流。
が、台風の影響が残る日本だったため、飛行機が遅れていて、大阪組はギリギリになりそうだとか。

むむむっ

出だしがつまづくと、必ず色々起る旅になるんですよねー(私だけかもだけど)

と、不安がよぎりながらでしたが、成田発の飛行機が遅れていたこともあって、無事に合流となりました。

が!

この「飛行機が遅れた」というのが、ひとつの起点となったというのをその時点で、全く気づいてない6名だったのです。

南米までは本当に長い長い旅です。
まずは北米のヒューストンへ行き、トランジットしてペルーの首都・リマへ。リマでは入国手続き後、7時間もの待ち時間を過ごしてクスコへという予定でした。

ヒューストンでのトランジットは予定では2時間あったので余裕のはず。
しかーし、そうなんです。成田発が1時間遅れていたんですよね。大抵フライト中にスピードをあげて、取り戻すはずなのに、しっかり遅れて到着したのです。

アメリカは乗継ぎでも、税関から何から何まで全てチェックを受けます。
入国審査も大分時間かかって、みんなして焦っていました。それなのに、最後の税関のところで大阪からの方・Aさんが、止められてしまい別室へ連れて行かれちゃったのです。

しばらく待っても出て来ない、乗継ぎのリマ行きの出発時間は迫っている。
ということで、「とりあえず女性3名が先へ行って、事情を話してギリギリまで待ってもらってくれ」とタッチーの判断。

よっしゃー!と私たちは走り出しました。
そう、搭乗ゲートがものすごーく遠かったんですよ、、とほほ。

汗かきかきゲートへ到着して、係の人に事情を話ました。
しかし「10分前まで待つけど、その後はダメ」という連れない言葉。
「もし乗れなかったらどうなるの?」と聞くと、「リマへ行く便は翌日の同じ時間しかない」と。じぇじぇじぇ!

私たちもギリギリな位だから、あっという間に出発10分前。
「早く乗りなさい!」とセカされても「うーだこーだ」と時間を稼いでいたところに、東京組の男性・Iさんが走ってきました。

おおー!間に合ったと思いきや、、

「まだ出て来なくて、とりあえず先に行くということになりました。なんとかしましょう。」だと。

おいおい、いきなりバラバラかい。
この先どうなるんだーい。


みんなして不安を抱えながら、到着したリマは真夜中。
最大の難関は4人で6人分の荷物をピックアップして、再度チェックインしなくてはならないということ。規制あるのに大丈夫なのかなあ、、

ところがどっこい、Iさんは凄い方でして。
スターアライアンスのゴールドカードを持っていたので、難なくクリアしたのです。しかも、長い列に並ばずに済んだりして。ぱちぱちぱち!

ちょこっとだけ安心した私たちは、ペルーに来たらこれ飲まなくちゃ、ということでINKACOLAをググッと飲み、おせんべでお腹を満たして、シェラフにくるまれて待合室で寝ることとなりました。


はーあ、、
タッチーとAさんは一体どうなったのかしら?
ところでクスコへ着いた私たちは、どうなるのかしら?

と眠さで朦朧としながらも、頭の片隅は不安が溢れている私なのでした。

つづくー!


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