そんな初冬ですが、スキー場オープンと合わせ、21/22シーズンのスタートを切りました!
もう嬉しくてですね(涙)
思い起こせば、昨年の今頃は膝のリハビリで、すんごく辛い時期でした。
窓辺から降る雪を眺めつつ、とにかくまずは歩けるように、動けるように、滑れるように…と毎日懸命にトレーニングをしていたことを思い出します。
なんと言っても、階段生活(居住スペースは2階のため)が、ありえないほど大変で、真面目に引っ越しを考えたくらいです。
今では、軽〜くトントントン!と、上り降り(一応そのつもり)。
という訳で、膝の不安は抱えていますが、滑り出せたことがとっても嬉しいのです。
で、話はブーンと飛びますが。
このブログのお引っ越しすることを決意しました。
2007年の闘病生活からスタートし、今年で丸14年という月日を、このブログと共に過ごしてきました。
一体、幾つの記事を書いたんだろう?
その間、自分の生活や気持ちもドンドン変化して、カテゴリーはなんと20個!
正直を言うと
想いが詰まった分、まとまりがつかなくなっているなぁ…と、感じていました。
また文章を書くことが好きな私なので、想いだけじゃなく、しっかりと作品としても出していきたいと考え、noteに集約していくことにしました。
noteはコロナ禍が始まった2020年春にスタートしていたんですが、あまり考えがないまま始めてしまったので、結局、書き続けられなかったんですよね。
けど、今はいろんなものがまとまってきたので、先日再スタートを切ったところです。
https://note.com/activemotion/
このブログは赤子から育て上げた大切な宝もの。
なので、もちろん残します!
新しい場所から再スタートになりますが、引き続き応援をお願いいたします!!
2021年12月7日
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雪が降ってくれれば、だいぶ気持ちも変わるんですけど。
まぁ、今やらねばならないことは冬の準備。
と言い聞かせ、先日ようやく重い腰を上げて、雪囲いを終わらせました。
よっこいしょっと笑
そんなニセコの晩秋を過ごしつつ、一体私はいつ「歴女」になったんだろう?と、ふと考えていました。
というか、そもそも学生の時には、全くと言っても過言でないほど社会や歴史に興味がありませんでした。
「なんで、昔のことを年号と照らし合わせて覚えなきゃならないのよ!」
と、憤慨する位、嫌いでした。
それが今では、あり得ないほどの歴史好き。
テレビと言ったら大河ドラマはもちろんのこと、「その時歴史が動いた」をオンデマンドで見たり、スペシャルものも、じっくり見ちゃいます。
けど、いつの時代が好きなのか?とか
日本の歴史が好きなのか?とか
そう考えると、これって答えはないんですよね。
多分、人間のルーツに興味を持っているんだと思うのです。
「私たちは、どこから来てどこへ行くのか…」
そんなわかりっこない謎解きのために、過去を知りたいのかなーと。
昨年コロナの影響で中止となった「熊野古道・伊勢路ツアー」を再開し、Part?を歩いてきました。
西国一の難所と呼ばれる「八鬼山越え」をする約40km。
今回歩いた場所は、大部分に熊野古道らしい石畳が残っていて、所々に歴史的な遺産が残り、それはそれは歩きごたえのある道でした。
伊勢路と言えば、伊勢神宮からいくつもの険しい峠を越え、熊野三山を目指す信仰の道です。
江戸時代には「お伊勢さん」と称し、多くの庶民が歩いた道です。
当時はワラジを履き、何足も履き潰しながらだったとか…
また山賊や獣に襲われたり、病気になったりと行き倒れになった人も多かったようで、あちこちに「行き倒れの巡礼碑」がありました。
「人は何のためにその道を歩き、何のために熊野を目指したのか」
ガイドブックには載っていない「人々の気持ち」を探しに、私は歩いているような気がしています。
それが歴女となった由縁なのかなぁ…
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日本中の八百万の神々が、出雲へ出かけてしまうので「かみなしつき」と呼ばれています。
全ての神様がいなくなってしまっているのかというと、実は全員じゃなくて、お留守番をしてくれる神さまもいるそうです。
うん。
安心、安心。
ちなみにそのお方はというと、代表格は「恵比寿さま」。
有名な七福神の一柱と聞けば、誰もが思い浮かぶ様相だと思います。
古事記によると、イザナミとイザナキとの間に生まれた最初の神さまでヒルコと呼ばれたそうです。
この子を作る際に女神イザナミから先に、男神のイザナキに声をかけたことが原因で、グニャグニャな子として生まれたので、葦でできた船で流されてしまったとか。
気の毒な身の上なのに、福の神としてお守りくださるだなんて…
そう思うと、じーんときちゃいますよね。
だいぶ話が逸れました(苦笑)。
さてさて、出雲に集まった神さまたちが何をされているかというとですね。
会議です。
そうミーティングってやつ。
人の運命や縁(恋愛だけに限らず、さまざまな人間関係も)などを話し合って、「誰と誰を巡り合わせましょ」とか「この二人は結婚させちゃうか」を決めるんですって。
なんだか素敵です。
「運命の糸」って言うけど、やっぱり神さまたちが決めてたんだなーと思うと、真摯に受け止めないとですよね。
全ては旧暦のお話なので、実際は11月ですが、私としては10月から「神無月」が始まっているなーと思っちゃったりして。
ご不在ちゅ〜
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おそらく気温差が激しかったからかな。
夏にものすごーく暑い日が長く続き(ありえないほど)、その後、まるでカーテンをザザっと開けたように、冷え込む日が増えたから。
その素晴らしいタイミングで、先週末は「リトリートキャンプ」を開催しました。
このキャンプは、私の想いが詰まっていて、特に石橋を叩きまくっている今の私にとっては、とても重要な位置付けかなーと思いながら…
リトリート=Retreat
普段暮らしている土地を離れることで、日常を忘れ、疲れた心と身体を癒す時間を過ごすこと。
これは「自分を取り戻す」ことだと、私は思います。
最初の頃は「リフレッシュキャンプ」と名して行っていたのですが、何回か行っているうちに、なんとなくネーミングがしっくりこなくなったんですよね。
リフレッシュというと、なんとなくアクティブに過ごすイメージがあって、私が提案したいのは、それではなかったんです。
逆に普段アクティブに活動している人にもRetreatすることって大切だと思うのです。
最近いろんな意味でRetreatに注目が集まっていますが、あまり固定観念にとらわれずに、自分の心と向き合って、「心が喜ぶ=ワクワクすること」をして欲しいと思っています。
大切なのは、ワクワクしたことを言葉にすること。
それは何に対してなのか?
どんなタイミングだったのか?
なんでワクワクしたのか?
今回、その気持ちを参加者の方々に言葉にして発信してもらいました。
十人十色とはよく言ったもので、本当にさまざまなワクワクがあり、私も勉強になったし楽しかったな♪
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「よく石橋を叩いて渡るって言うけど、ゆっこは石橋があることすら解ってないよなぁ…」
ぎょ?
それってどういうこと?
要するに、「用心に用心を重ねて物事を進める」という意味合いに対して、私は用心するどころか、そのものにすら気づかずに邁進するってことだそうです。
一体どういう風に受け止めたら良いのかしら?
と、当時は悩んだものです。
自分自身で考える「わたし」という人間は、とても心配性なので慎重に慎重をヌリヌリ重ね塗りして挑むタイプ。
それなのに、「わたし」をよーく知っている人生の大先輩から見ると、大胆不敵に行動するらしいのです。
まあ平たく言うと、あまり物事を深く考えずに…
というより、「考える前に動いてしまう」と言いたかったようです。
はい。
おっしゃる通りに大正解です。
かのブルース・リー氏の有名なことば。
Don’t think, feel. 考えるな、感じろ!
まさに私の生き方そのものなのですが、最近、私は石橋を叩いて叩いて、叩きまくっているんです。
以前のブログでお伝えしましたが、8月からブランディングの実践カレッジを受講しています。
笑っちゃうほど大変だけど、めちゃくちゃ楽しくて、新しい自分(いや、知らなかった自分)を発見しまくりです。
そこでやっている内容が、まさに石橋を叩きまくることなんですよね←私にとっては。
それは何かというと。
「自分の思考を言葉というアウトプットにすること」
とにかく深く掘り下げて、頭に浮かんできた言葉をすぐにメモっています。それがやってくるのは、歩いている時もあれば、車を運転している時もあり、大忙し。
歩いているときは、すぐに立ち止まって携帯を出しメモメモ。
運転中は危ないので、口で呪文のようにブツブツ言って、停めたらすぐにメモメモ。
まさに石橋という自分の思考を端から叩きまくっている気分なのです。
ちなみに、前回の「旅ってなんだろう?」も叩いているもののひとつ。
さてさて、石橋をぜーんぶ叩いて壊しちゃったら、もう渡れないですよねー
どうなることやら?(苦笑)
そろそろ渡れる部分(ひとすじの道)を残す作業にとりかからないとっ
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そもそも私は物心つく前から、あちこちの旅に連れて行ってもらっていました。
日本国内のみならず、わずか10歳でグアム島の体験プログラムのようなものに、たった一人で参加させられ(これはもう旅を越えて冒険)、13歳では45日間に及ぶヨーロッパ列車旅。
これは旅好きの両親のおかげ。
大切な宝もの♪
もちろん今でも毎年いくつかの山登りや古道歩き、バックカントリースキーのツアーを企画して、お客様を旅へと連れ出しているのですが、最近その「たび」という2文字にとっても考えされられているのです。
そもそも「旅」ってなんだろう?
まだちゃんとした答えは見つかっていないけど、ひとつ言えることがあります。
それは、私の中では確実に「旅行」とは違います。
うーん…違うというか「旅」という括りの中に「旅行」がある感じ。
「旅行」というと、「畑の宝石さくらんぼ狩りツアー」とか「名湯ほにゃらら旅館に泊まり、魚介を満喫1泊2日」とか、大義名分があって、それを遂行しに行くような感じ。
けれども「旅」というと、もっと身近なものでもいいし、逆にもっと壮大なものでも良いのかなと。
身近なもので言うと散歩もしかり。
毎日同じルートを通っていたとしても、同じことが起こることは決してないし、風景も日々変化するので、そのひとつひとつを丁寧に感じ取ると、散歩も非日常になると思うのです。
<近所の散歩道>
うん。
そう考えると「日常から非日常へ脱出すること」なのかなぁ。。。
2007年に乳がんの最初の手術で入院していた時のことです。
病院の方向性として、同じフロアに一つの診療科目の人が入院するのではなくて、結構ごちゃ混ぜだったんですよね。
この意図は深くは分かりませんが、何はともあれ、私の病室(4人床)の他3名の方は鬱病患者さんでした。
私はこの性格だし、外へ出たくてたまらなく、先生の許可を取らずに腕に患者さん印の輪っかをはめたまま、スタバに行ったりとしていました。
しかし同室の方々にとっては、外出して散歩すること自体が治療で、すごくすごく大変でハードルの高いことだったのです。
おそらく日常(ベッドの上)から非日常(外出)へ飛び出すことは、大きな旅とも言えたのでは?と感じていました。
今なお続くコロナ禍で「旅行」には全く行けない日々が何年も続いています。
しかし非日常を味わう「旅」は、誰にでも叶うことなのかなーと。
まだまだ「旅」についての模索は続きます〜〜〜
]]>その予定を入れ込むために、結構スケジュールを調整していたので、なんだかポッカリと雲の切れ目ができたように、ふわふわな気分。
これもメッセージかなぁ…
直感に従って「山瞑想」へ行くことにしました。
私の考える「山瞑想」は、山で座禅を組んで心を無にするのはありません。
テクテク歩いて登っていると、だんだん身体が熱くなり汗が出始め、心拍も上がってきます。
「フゥ〜〜」っと深呼吸しながら、ただひたすら登っていると、いろんな雑念が消えて、ただ足を一歩前へ出すだけになってくるのです。
そんな時に、ふと足元に目を向けると、小さな高山植物が佇んでいて、その姿に「潔さ」を感じます。自然界の生き物(植物や動物、虫たちも)は、「こうしたい」とか「こうなりたい」という煩悩がありません。
ただ、与えられた命を全うする…その「潔さ」が心に響いてくるのです。
人間に生まれたからには、煩悩まみれ!
もちろん私も煩悩だらけ!!
あれしたーい、これしたーいetc.
だからこそ人間なんだし、欲がなくなったら人間じゃなくなっちゃいます。
でも時折、それがとっても苦しくなるので「山瞑想」へと出かけます。
ニセコは、すっかり季節が変わり始めました。
里はまだ夏の余韻が残っていますが、山は秋色が目立ち始め、これでもか!という勢いでグングン伸び続けていた木々も、その勢いを止め冬への準備が始まってきたようです。
色づく森の中、鳥たちの声や葉のざわめきを聴きながら、揺れる足元のバランスをとり、前へ前へと歩を進める。
「山瞑想」で、心が穏やかになった一日となりました。
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いや、ズンズンではないかも。
立ち止まり振り返り、時には100Mくらい下がったりもして…けど有意義な時間を過ごしています。
そのキッカケとなった本のことを書くつもりでしたが、先ほど「コロナのばかやろうワクチン2回目」を受けたので、しばし思考をストップしようと思います(笑)。
いや〜〜〜〜
口の中が未だ大変なことになっている状況で、ワクチン打ってもいいのか??と、実は若干後悔しましたが、もうこうなったら仕方なしです。
事前の問診で、先生に口の中を診てもらいOKとのことだったので「まな板の上の鯉」になる覚悟を決めて、ブスッとしてもらいました。
考えてみると、私は一体何回「まな板」に乗ったのでしょうか…
切り刻まれては復活しを繰り返すこと3回。
切られる分だけ、その記憶は身体の結合組織に残ると言うけど、切られたのではない!刻まれたのだ!それが私の勲章なのだ!と思うことにしています。
今朝は大好きなカフェ・グラウビュンデンで、Morning Pilatesでした。
オーナー淳子さんが、帰り際に手作りパイをくださったので、今は「ばかやろうワクチン」のご褒美中♪
まだ若干の食欲不振が続いてますが、愛ある食べ物はココロで食べちゃいますよね!
これからどうなるか?
未知数ですが、回復に努めてまたブログ書きまーす。
]]>あっ、これは前回のラストに書いたコトバです。
昨日、インプラントの大手術を受けました。
もともと歯が弱く日常的に歯医者さんにはお世話になっているのですが、数年前より気がかりな歯があったんです。
いつかは手をつけないとならなくて、でも大ごとになるのは解っていたから、「やだなー、なんとかならないかなぁ」と先延ばしにしていました。
そんな気持ちの面もあったのですが、仕事をどうするか?という問題も大きかったのです。
どうしても身体を酷使することが多いから、絶妙なタイミングじゃないと受けれないんですよね。
しかし流石に先延ばしにする時間が段々短くなってきていた頃…
とある本に出会い(←これは後日書きます!)、講座を受けることを決め、こうなったらその「思考の道」へ潜伏している間に、思い切って歯の治療もしちゃおうと決心した次第です。
えっ?なんで「思考の道」と歯の治療が一緒になるのかって?
そりゃあ、考えてみてくださいよ←偉そうですみません(苦笑)
頭が先か?手足が先か?
と言ったら、考えるより前に動いちゃう私です。
動き出しちゃう前に頭(心)を働かせたいわけです。
そうとくれば、否が応でも動けない状況がベスト、というか如何にも私らしいでしょ(←実はあまり考えがない)。
話がインプラントに戻りますが。
いや〜4時間に渡る、結構大変な手術でした。
歯茎も移植したので、今はお口の中が、それはそれは縫い糸で混んでいまして…
抜糸が済むまで左側では一切噛めないし、前歯も使っちゃダメという状況なので、小さく切って切ってして、右奥に突っ込まなければならないのです。
ふぅ〜〜〜〜〜〜
ご飯が美味しくないんですよね、、、
だけど今日のお昼は、野菜を細かく刻んだチャーハンにしてみました。
作っているときに、ふと、かれこれ18年前に母の介護をしていた頃を思い出しちゃったりして。
<大好きなぬか漬けも小ちゃくね>
飲み込みが悪くなってきた頃に、そういえば母の好きそうなものを小さく刻んで料理を作ってたなーと。
あーあ、私も誰かに作ってもらいたい!
話がだいぶアチコチいきましたが、何が言いたいのか?といいますと。
ものごとには何にでもタイミングってあると思うのです。
よし、やるぞ!と思っても、どうもこうも状況がそうはさせてくれなかったり、逆に状況が許したからといって、やる気になっているかというとそうじゃなかったり。
それが不思議とタイミングが合う時があって、そのときは絶対逃さずにLet’s do it !
だと思うのです。
あっ、ちなみに「コロナのバカやろうワクチン」も、そのループにハマりました。
そんな行動パターンを意識的に作っていくと、いいのかなーと思うのが最近の私です。
]]>「ゆっこちゃん、羊蹄山に登りたい人いるんだけど、ガイド頼める?紹介していい?」
一瞬固まり、「えっ、どうしよう。膝の調子も良くないし、私にできるのか??」
その頃の私は、7月の旭岳縦走ツアーへ向けて、徐々に負荷を上げている段階で(荷物を重くしたり、獲得高度を上げたり)、まだ夏の仕事がどうなるか未知数だったとき。
正直、旭岳も膝が言うことをきいてくれなかったら、中止またはゲストガイドにお願いしようと思っていたくらいでした。
すったもんだ考えたあげく、旭岳が終わった時にお返事させてもらうことに。
いやいや悩みました。
日頃の私のガイドスタイルは、ほぼほぼリピーターさんで同年代の女性が多いし、体力的なことや山登りのスタイルが大体わかっています。
しかし今回は、全く面識もなく、しかも山登りの経験もあまりないというご家族グループ。しかも羊蹄山に登りたくニセコにいらっしゃるという!
けどね。
ガイドとして認めてもらい紹介してもらった嬉しさがすごく大きかったし、初めての方々に山の楽しさを知ってもらいたいという想いが強く、結果としてお引き受けすることにしました。
いや〜〜〜
それからは自分で自分自身に相当プレッシャーをかけていたと思います。
羊蹄山は日帰りだと、相当厳しい山。
普通の行動時間を考えても最低10時間かかるし、ましてや初心者となれば、12時間はみなくてはなりません。標高すら低いけど高低差を考えると富士山と同じだし、道はもっとキツいのです。
久しぶりの大雨から一転、晴れ間が期待できる8/12にアタックへ。
ゲストさんたち、それはそれは頑張りました!ほぼタイムスケジュール通りに行動でき、登頂成功!
現在も活火山である羊蹄山は、キレイな円錐形のお鉢がありその姿は雄大です。眼下に広がる雲海、そのまにまに見え隠れする人々が生活する町並み。
登頂の喜びに包まれる中、山頂での素敵な時間が流れていきました。
下山後は、本当に感謝してくださり、私もやり遂げた感いっぱいで、心地よい疲れとともに大満足でした。
しかし…
なーんとなく、心に引っ掛かるものが残っていて、スカッと取れてくれないんですよね。
しかもそれがドンドンと膨らんでいき、まるで大きな風船に呑み込まれていくような気分。
なんだろう…
その時、一つのコトバが降りてきました。
Spilits of nature=自然を味わう
これは私が考えたコトバ。
山や自然への想いとして伝えたい信念。
HPに載せていますので、良ければこちらから。
http://www.activemotion.net/contents/trekking.html
今回のガイドで、そこができていなかったことが私の引っ掛かりだったんです。
ゲストさんの一番のご意向は、「全員で登頂し、無事に下山すること」なので、そこは大成功です。
けど自分が一番伝えたかったことをガイディングできたか?というと、それはNOだった。
思えば、膝の状態や体力的な問題で自信がなく、プレッシャーをかけることで奮い立たせていたんですよね。そのプレッシャーで一杯になり、ガイドとして自分が伝えたいことまで気が回らなかったんだなーと。
なんだか最近、いろんな場面でこういうことって続くなぁ…
なんじゃろね。
自分のやりたいこと=やっていること
バランス取れていれば、うまく行くんだろうけど、今はそうじゃない気がしてます。
そのバランスを取るためには、変換が必要なのかなーと。
やりたいこと=やれることへ
まだまだ思考の道は続くのだ!
]]>本当にヤバイを超える暑さが続く北海道です。
今までこんなにまで暑さが長く続くことはありませんでした←と、誰もが言ってます。
とにかく昼間は暑すぎて(ちなみにエアコンなんてありません)、何もする気なし。風が吹かない日は、何かと用事を作って車に乗って出かけるしか手がありません。
ニセコ町に引っ越しをしてからは、スーパーまで片道10km位あるから、買い出しを毎日しないようにしているんですよね。
今は、毎日スーパーに行って少しでも涼む時間を作らなければ、人間として機能しない私でございます…
とほほ。
「名は体を表す」とはよく言ったもので、「ゆきこちゃん」にとって夏は大敵だということが、よーく身に染みている2021です。
さて、とはいえですよ。
頭も身体もぼーっとしてしまうと、せっかくここまで復活してきたお膝ちゃんが、再び言うことを効かなくなってしまいます。
そんなこんなで、絶賛朝活中です!
今日は5時に起きて、愛車でチャリチャリ出かけてきました。
e-bikeを購入したもんですから、もう躊躇することなく漕ぎ出せちゃって幸せもんです。
朝もやの中、本日目指すは標高約750mの「五色温泉」。うちが約180mだから、そこそこ登りますよね。
まぁ、いちおープライドも多少ありますから、できる限りアシストの力を借りないようにをルールとしています(笑)
いや〜
気持ちよかったです。
やっぱり山の中、標高をあげると空気が全く違うし、何より景色が素晴らしくて、多少きつくても元気が出ます。
途中で汲んだ湧き水は冷たくて美味しいし、こんな時、田舎に住んでてよかったなぁ…と思えて幸せですよね。
さーて、明日はお世話になっているカフェで「モーニングピラティス」で、朝活!
昼間はシエスタ〜〜〜な、ニセコ生活でした。
]]>ここは北海道なの??というほど、毎日毎日暑い日が続いています。
庭の花壇というかお野菜コーナーらしき、プチ畑の野菜や花々の勢いが徐々に衰えていく今日のごろ…
今月の水道代金の請求が恐ろしい私でございます。
実は先日、大阪へ行ってきました。
目的は、大ファンの高橋一生さん出演の「フェイクスピア」を観劇すること。
東京公演を観たいな〜と思っていたのですが、その頃、東京は感染拡大していて、悩んでいるうちにチケットが売り切れてしまいました。
そうこうしていたら、大阪講演のチケット販売が近づいてきて、「え〜い、まずはチケットが取れるかどうかだ!」と腹を括り、ポチッとボタンを押したのです。
千秋楽だったので、半ば諦めかけていたけど、見事に当選!!
感染状況次第なので、行けるかどうかはまだ先だけど、せっかくなので大阪で会いたいと思っている知人(山の大先輩)に連絡を取ってみました。
すると、「うち泊まって〜〜」と有難いお言葉をいただき(ホテルじゃないので少し安心〜)、
その日が来るのを、じーっと待っていました。
めちゃめちゃ久しぶりの観劇、しかもNoda mapの一生さんにドキドキです。
やっぱり劇の内容は難しく(笑)、読解不能な場面も多々ありましたが、生劇の熱感にやられまくり〜〜
もうネタバレOKと思うので言っちゃいますが、「フェイクスピア」は恐山のイタコというのがキーパーソンです。イタコは死者の言葉を自分に落とし、それを言葉として発する方々。
そんな言葉の裏表には、受け取る側によってさまざまな意味や解釈を持つものです。
様々な角度からの表現が、劇中で展開していくのですが、一生さんは元より、出演者の熱量がハンパなかったです。
中でも齢80歳になるという白石加代子さんにはやられまくりました。あの膨大なセリフ量と、それをしっかり言葉にできる発声量には感服です。
もう一度観たいなぁ…と思っていたら、なんとWowowで放送するという!!
なんて素敵なことでしょう。
帰りの機上で、素敵な出来事がありました。
窓側の席に座り、パンフレットを熟読していたわたし。飲みのものサービスで回ってきたCAさんが、「フェイクスピア、ですよね!私も観たんです〜」と声かけくださり。
機内は空いていたので、しばし二人で劇の感想を語り合いました。
私は映画や劇は一人で見たいタイプ、どうやらCAさんもそうだったらしく、ただ感想を語りたいと思っていたそうです。
そうこうしている内に、眼下には津軽半島が現れて、まさに恐山を真上から眺められるという幸運にも恵まれました。
タイミング良く、大阪へ行くことができたことに感謝の気持ちでいっぱいになりました。
何を隠そう、私は幼少の頃「劇団ひまわり」に入っていました。
人生やり直せるなら、俳優の道かなぁ…と思ってもいたりして。
うんうん。
そんなことを妄想しているのも楽しいですよねっ
]]>昨日、宇宙飛行士の野口さんが言っていましたが、宇宙から台風を見たときに、地球を覆っている雲や台風の眼の大きさに驚いたそうです。
今はコロナにばかり目が向いてしまいますが、今一度、環境について襟を正すべきと思います。
うんうん。
自分に言い聞かせよう。
さて、今日は膝の現状について。
ご存知の通り、週一回ペースで山リハビリを開始し少しずつ強度を上げています。
いや!少しずつではなかった。ブログには書いてないけど、先月末に登った「余市岳」は、ゴンドラが営業していなかったので、距離も高度差も長く、もはや山リハビリの域をはるか越えてました。
歩行距離 20km
高度差 1000m
行動時間 9時間
ひ〜〜〜〜〜
さすがに、お水が少し溜まりだいぶ硬くなってしまいましたが、その後の痛みはあまりなく、ケアをしっかりしていくと落ち着いてきます。
そんな中、先月末に意を決して東京へ行ってきました。
悩んでいる今後の治療法について、その道(医療は専門性があるから)に詳しい先生を紹介してもらい、アドバイスを受けたかったからです。
結果として、20代の頃に怪我して手術した左半月板も、どうやら円板状というやつで(厚みがある)、その影響もあり全体的に膝関節が痛んでいる(変形性膝関節症の初期)とのこと。
この円板状半月板を、手術しても傷んでいる関節が治るわけではないので、効果はない。
そして一番気になっているPRP療法についても相談しました。
現在PRP療法は、進化していて新しい世代になっているそう。
その新しい世代をきちんとできる病院で受けることが望ましく、札幌の病院を教えてもらいました。
その他うんぬんあるのですが、進化しているとはいえ効果が認められる割合は60%。先生曰く、その割合の中には重度の方から軽度の方まで含まれているから、なんとも言えないとのこと。
最終的には、PRPを受けたとしても、膝にかかる負担を減らすために筋力をしっかりつけて維持していくことが大前提。
そろそろ仕事としての身体への負担を大きくチェンジさせる時なんですね。
どう考えても、今はオーバーワークというのは、自分自身が一番身に染みてます…涙。
さてさて、ニセコもこのところずーっと、どんよりしています。
ココロも身体も天気もスカーッといきたいとこです。
おまけ
先日の東京で…
私ってやっぱり東京が似合うなぁと、ふと思っちゃいましたとさ(笑)
]]>
先週は有珠山へ行ってきました。
有珠山は何かと見るので←ルスツのスキー場から綺麗なのよ〜〜
ずぅ〜〜〜と登ってみたいと思っていた山です。
というか、2000年に起きた有珠山の噴火が記憶にあって、今も噴火とともに暮らしている人々がいるということがすごいなぁと。人間って本当に強いと思います。
しかしながら近くに住んでいると、暮らしとの密接具合というのがすごいというかなんというか、、
仲の良いお友達のご主人は、マウンテンバイクで登っただの。
登山道は山菜の宝庫だの。
そんな有珠山へようやく登ることができました。
有珠山の登山口は、ロープウェイとは逆方面の噴火湾方面にあります。標高約70mから上るので、sea to summit感ありありです。
しかし残念ながら今登れるのは、外輪山の展望台まで。
とはいえ「え〜ここが火山??しかも現在も活発に活動しているの??」と思うほど、植生が豊かな森の中を登っていく道(一応、遊歩道らしい)です。
結構コンスタントに傾斜があり、またアキレス腱がずっと伸びている状態で登る(岩じゃないってことです)ので、案外きつかったです。
外輪山へ出るとこの通り。
柵もあるのでまるで牧場〜〜〜ちなみに私たちが放牧されている側です(笑)。
火口を望むと、あちこちから煙が上がっていました。
正面が有珠新山。
洞爺湖越しに羊蹄山も見えました!
展望所にはベンチもあるので、噴火湾を眺めながらのランチ〜
ちなみに、カップラーは、小さいサイズですよっ
展望所はトイレも完備していました。
そしてお腹いっぱいになった私は、自然の摂理の如くスイマーに襲われ…
噴火湾から吹く風と、鳥や虫の囁きが心地よくベンチの上でゴロンと。
いや〜腰が痛くならなかったら、すっかり眠り込んでしまうところでした。
帰りは砂利道の登山道をテクテクと降って行きました。
ずっと轍があったので、作業の車が利用するんでしょうね。
そして今回、実は私なりにミッションがありまして。
それは昭和新山の写真を撮ることです。
つい先日、違うことを目的に(あっこれは改めて書きます!)この地域を訪れたのですが、その時に伊達市方面から見た昭和新山の姿が驚愕的だったのです。
それがこちら。
最初に見た時は、TDLのビッグサンダーマウンテンかと思いました。
町から普通にこんな姿が見える、しかもこの山は昭和に入ってから噴火で生まれたのです。
元々は麦畑だったところに、噴火によってニョキニョキと生まれたって、びっくり仰天です。
そんなこんなでミッションも無事に終え、ご満悦な「有珠山・山旅」でしたとさ。
]]>車に出るときのエアコンに、ほっと一息つく季節の到来ですね〜
さあ、グリーンシーズンの始まり!
月曜日に2021登山をスタートさせました。
昨年も同じ時期にスタートさせたはいいけれど…
その後すぐに膝を怪我して、早々に戦線離脱(涙)。
思えば、6月の伊達紋別岳→怪我→8月鏡沼散策(なんとか行けた!)→10月雪のアンヌプリで再び痛め途中下山→11月ほとんど曲がらない膝で祖母山
そんな2020グリーンシーズンでした。
今年も不安はいっぱいですが、前に進まないと、、いや、進みたい!との想いをのせて、訪れたのは「オロフレ山」です。
とにかく膝がどうなるか判らないので、標高差が少なく、岩場などない場所を友達が選んでくれました。
標高約900M近くからスタートして、目指すは標高1231M。
ふむ、ということは標高差が331Mという、めっちゃ楽ちんな山行きのはずです。
しかし人生と一緒に現実はそんなに甘くありません。
アップダウンを繰り返すこと6回!しかも山頂直下は、3点支持の岩場登りという事実。
<ここは途中の「山神」というビューポイント>
膝の怪我さえなければ、なんも負担ないルートです。
まだ正座ができない屈曲度だし、踏ん張ると痛いし、そんなお膝ちゃんにとっては、「なかなかやらせるなぁ〜」という感じでした。
けどですね、頑張ったので良かったこともありました。
シラネアオイ狙いだったのですが、それはそれは見事なお花畑が広がっていました。伊達紋別岳は、塊でバッと咲いている山でしたが、オロフレは斜面一面にシラネアオイがそれは咲き乱れていました。
薄い青とも赤ともいえない色が斜面全体を包み込んでいる様相は、圧巻です。
そしてすごいなぁ、、と唸ったのは、シラネアオイの生育地には笹が生えてないんですよね。
北海道の低山って、本当に笹だらけなんです。
もうウンザリってほど、至るところに笹、笹、ササ‥
その笹パワーを見事に蹴散らし、群生している姿は、めちゃくちゃ凛々しかったです。
もう一つ良いことというか前進がありました。
それは、膝のサポーター無しで登れたこと。
スキーの時は、どうしてもサポーターを外して滑ることはできませんでした。接骨院のトレーナー先生に言われたのは、「一度つけちゃうとシーズン中は外せないですよ」と。
なので、夏山はなんとかサポーターを付けずに歩き始めてみたかったんですよね。
正直、不安要素はいっぱいだし、スキーより負荷は強くなくても膝を捻らなければならない場面が多いから、痛みがどう出るかがわかりませんでした。
時折痛みがあったけど、サポーターを付けずに無事に登山終了!という嬉しい結果です。
<平日ということもあり、山頂には他に二組のみ>
<洞爺湖〜左手は有珠山、空が近いなぁ…>
ただ、膝を捻らないためには足の置き場所を考えなければならなくて、それが結構大変でした。
左→右→左〜〜〜〜じゃ、捻られちゃう!
左→右→無理矢理もう一回右!?な感じ(笑)
あとは身体って忘れちゃうもんですね〜(えっ?普通逆じゃない?)
いやいや、研ぎ澄まされた感覚というのは鈍くなっちゃうんだということです。
いろんなことに敏感になって考えずに身体や足が動いていたのに、それが全くと言っていいほどできなくなっていました。
長い年月、いろんな経験を積ませてもらいましたが、またやり直しです。
もちろん加速していきますよー!
ここまで書いていたら、知り合いから電話が入りビックリ!
なんと、「ゆっこさん、この間オロフレ行ってましたよね?どうでした?」という質問の連絡。
こういう偶然って面白いですねー
]]>ラッキーなことに北海道地方は綺麗に晴れてくれたので、しっかり拝見することができました。
とはいえ、昨晩はオンラインピラティスレッスンがあったので、こま切れでしたが…
ちらっと耳に挟んだ話では、青いボトルにお水を入れてスーパームーンの光を浴びさせ、それを飲んだりお風呂に入れたりして身体を清めると良いとか?
いちおー
やってみました(笑)
その効果がどう出るのか??
そんな(どんな?)パワーがあると言われるこのタイミングと思い、いよいよシーズン最後のスキーを楽しんできました。
場所はシーズン中に散々滑っているアンヌプリの北斜面です。
思えば、、、
北斜面を下から上まで登るのは初めてのこと。
なんたってここは、スキー場のトップリフト降り場から、スキーを担いで20分くらい登って下までドーンと滑れちゃうのです。
ちょこっと登り返したりはあるけれど、まともに登ったのはお初です。
なんかですね、とっても不思議な気分でした。
テープを巻き戻ししているような感じ、とでも言うのでしょうか。
滑っている時は、いろんなものを目印にしています。
例えば、広葉樹から針葉樹に変わったところが停止ポイントとか、大きな杉の木より下まで滑ってしまったら、こっちのルートしかいけないとか、細い白樺林に入ったら右寄りに行くとか。
上から滑っている時の順番とは逆にそれがやってくるので、とてもとても不思議な感覚でした。
そうそう。
ついこの間のことなんですけど。
盛岡から秋田まで秋田新幹線で行きました。あっ、今シーズン最後のツアー「鳥海山」の時です。
盛岡からはもちろん進行方向へ向かって座っているわけです。それが大曲駅を出発したら、なんと車窓から飛び込む景色が後ろ向きに流れるではありませんか!
ついさっき、ぼーっと眺めていた景色が後ろ向きにドンドン飛んでいくのです。
一瞬、「やばい!これ、パラレルワールド??」と驚いてしまい、あたりをキョロキョロしてしまいました(苦笑)。
そう、そんなこともあったからかな。
前に向かっていくだけが人生じゃあ、ないんだなぁ…
なーんて思う5月なのでした。
あ!しまった。
言いたかったのは、それじゃない。
思えば昨年7月に怪我をしてしまった左ひざを抱え、11月にはまともに歩くこともできませんでした。
スキーをすることを諦めかけたこともありましたが、たくさんの方々のバックアップと応援のお陰で、こんな時期まで残雪を楽しむことができました。
言葉だけで現せないほど感謝の気持ちでいっぱいです。
2020/21シーズン、ありがとうございました!!
]]>
これ、本当に悲しくて。
なんといっても家族と呼べる人は、姉と姉の家族だけ。
昨年、最初に緊急事態宣言になった時は、もう何がなんだか訳がわからずに、不安で不安で仕方ありませんでした。
そんな状況から少しでも逃れたくて、走りまくってしまった結末が…
そう、膝の怪我という情けない話でございます。
そんな姉とは、とにかく時間さえあれば電話やメールをしています。
今ってアプリがあるから、本当に便利だし無料だし、大助かり!
思いおこせば、子供の頃から兄や姉が海外へ行ってしまっていた我が家族。寂しん坊の私は、ことあるごとに母親におねだりして国際電話をかけさせてもらっていました。
そうそう。
そういえばコレクトコールでも良くかかってきたなぁ…
「アメリカからコレクトコールがかかっています。受けられますか?」なぁんて電話があると、飛び上がって喜んでたっけ。
当たり前のように母からは「一体いつまで話してんの!!!」と怒られ(苦笑)。
今じゃ天国ですよねー
いくらでも話していられるし、時差を克服するならメッセージでもいいわけだし。
そんな訳で、ここ最近のやり取りはというと、姉から日本食のレシピを教わって、夕食を作っているのです。
日本食が大好きな姉ですが、食材が豊富にあるわけではありません。また材料があっても日本とは勝手が違うものも結構あるらしくて、それをうまく活用して、美味しそうな日本食を作っているのです。
「さつま揚げ」や「キムチ」も自分で作っちゃうんですよ。
そうそう、パン粉って日本と海外ではだいぶ違うみたいです。
日本だと本当にパン屑って感じだけど、海外だと粉なんですって。
昨日も何食べるか困ったなぁと思い、電話で相談したら「今は新玉ねぎが美味しいでしょ、それよそれ」と美味しげなレシピを教えてくれたので、早速試してみました。
新玉ねぎとベーコンの炒め煮みたいなやつ。
完成形がよくわからなかったので、若干違うみたいだけど、まぢ美味しかった!
日本食材が豊富にある日本に住みながらも、スウェーデンに住んでいる姉に日本食レシピを教わるという日々が、意外に楽しかったりするのでした。
]]>
目的は…
かどちゃんと会うこと!
かどちゃんとは、スキーヤーとしての私にとって育ての親と言っても過言ではありません。
ただ残念なことに、この育て方が悪かった(笑)。
かれこれ30年くらい前のこと。
私はカザマスキーの販売促進スタッフとして活動をしていました。その頃はスキーバブル絶頂期!なんてったって「ワタスキ世代」な訳です。
販促スタッフをWHITE CREWと呼んで、全国各地をかっこいい車で、めっちゃイケメンなスキーヤーたちが回っていたのです。
憧れたなぁ…
「私もWHITE CREWになりたい!」と、強く願ったわけです。
その当時、CREWの一人として活動していたのが、かどちゃん。
彼は学生販促をしていたのですが、私は、かどちゃんの元、ひよっこCREWとして活動をすることになりました。
しかーし!言われたのがこの一言。
「俺は女とは仕事をしない」
今じゃ、セクハラどころかモラハラだか何だか、てんこ盛りのひとことですよねー
負けん気だけは持ち合わせていた私は、「絶対こいつに認めさせてやる!」と誓い、それはそれは奮闘しました。
最終的には認めてもらい、いまだに続いている切っても切れないご縁が続いているのです。
まぁ、この縁の太いことったら(笑)
大体、毎年一回くらいは遊びに行っているけど、考えてみたら飲んだくれるか温泉行くか。
今回は初めてゆっくり春の田沢湖観光をしてきました。
この後ろ姿が、かどちゃん!
鳥居の向こうに広がる秋田駒ケ岳の残雪姿が美しかった〜
ベタだけど田沢湖といったらこれ!
水芭蕉がきれ〜〜だけど、この直後に親子グマが出没して通行禁止になったとか!?
かどちゃん曰く、冬眠から覚めたクマは胃のなかを洗浄するために、水芭蕉を食べるそう。
座禅草も発見
いや〜
やっぱり北東北は楽しいや。
また行こっと。
]]>それにしても今年はあれだけ極寒&豪雪だったのに、3月に入ると、一気に気温が上がり、あっという間に雪解けが進んでいます。
普通なら3月いっぱいまで、冬将軍が忘れ物を取りに来たような寒波が数回やってくるのに。
まあ、一軒家住まいになり初の冬がこれだけの大雪だったので、私としては…
「もう充分です、はい。
冬将軍様、ご苦労様でした。また来年のお越しをお待ちしています」
という心境なんですけど(笑
春到来とともに、すっかりユルユルな気分になっている私。
コロナ禍での、のんびりした過ごし方にすっかり馴染んでしまい、まぁ仕事の遅いことったら!
結構こんなんで人生いいのかも?なぁんて思ったりもしております。
そんな春の一日に、お友達に誘われて、ご近所カフェでランチをしてきました。
そこでの会話の流れでなんとなく、こんな質問を受けました。
「ゆきこさんって子供の頃、何に興味持ってたの?それが自分が本当にやりたいことって言いますよね」
ふむ。
一体、私は何が好きで何に興味をもっていたんだろう?
そう考えると、幼稚園の頃は身体が弱かったので休んでばかりいた記憶があります。とはいえ、ものすごく活発でした。写真を見ると飛んだり走ったりしているものばかり。
小学校の卒業文集に「将来なりたいものはバレーボール選手」って書いたくらいだから、基本的に頭を使うより身体ってタイプでした。
やっぱり身体系かぁ…
そう思うと、今やっていることは共通点があるよなーと思いながら、ふと姉に聞いてみようと思い、電話をしてみました。
開口一番!
「そんなの決まっているじゃない、あんたは布団かぶって射的で取った人形並べて、学校ごっこやってたでしょ、それが一番好きだったのよ。だから今、先生っぽいことやってるんでしょ」
確かに!
私は妄想、空想が大好きでした。
お祭りで兄が取ってきた射的の人形をもらっては並べて、あーでもないこーでもないと頭の中でグルグルと「学校ごっこ」をやっていたのです。
そういえば、兄に「あの人形とって」とか「あっちがいい」とねだっていた自分の姿が浮かんできます。
お祭りの射的って覚えてます?
何段かになった棚があって、そこには赤い布が敷かれていて、その上におもちゃやらお菓子やらが並べられ、射的の玉を当てて、それを下に落とせると貰えるってやつ。
一番下の段が撃ち手に近くて落としやすく、そこに小さな人形がたくさん並んでいました。
私はおもちゃとかには興味がなく、一番簡単に落とせる人形が欲しくて仕方ありませんでした。
兄が射的を持った右手を、グーンと伸ばして人形に狙いを定め、バン!と撃ち落としてくれると大喜びだった記憶が蘇ってきました。
そうだ、そうだよー
懐かしいなぁ‥
私の将来は、射的と出会った時に決まってたのねー
そんな私なのに人形を並べるのに飽きると、次は花札を並べていました。
そう、これもまるで今の私そのもの。飽きっぽいっていうやつです(笑
花札は隣に住むおばあちゃんが教えてくれて、座布団敷いて、その上で花札をやっていたんですよね→これ幼稚園のときから。
なぁんだ。
結局、子供の頃好きだったことを今はちゃんとやってるんだなー。
ブログを書いた後に、そうだそうだと今飾ってある人形系を集めてみたら、こんなにあった!しかも共通点なくテンデンバラバラ〜
という気づきのある、うららかな春なのでした。
]]>いや、正確に言うと大切にしようとしているけど、つい忘れがちになっちゃっているのが現実。
直感って難しいですよね。
行くべきか、行かざるべきか?
買うべきか、買わざるべきか?
持つべきか、持たざるべきか?etc.
毎日たくさんの岐路(そんな大げさじゃないことばかりだけど)に立たされます。
昨日、ちょっとしたことに迷いました。
今日はスキーに行くべきか、行かざるべきか?
こころの声は「行きたい!今日滑っておきたい!」って言うんです。けどその反面「膝にまた水が溜まってきてるでしょ、今日は休まなきゃだめよ」って声も聞こえるんです。
ベッドの中にいる時から自問自答を始め…悶々モンモン。
顔洗って、お湯沸して白湯飲んで、行くならそろそろ着替えなきゃって時にも、まだ決められない。
こころの声に従うのが最善と思いきや…
直感が働きました!
今日はやめとくって閃いたのです。
果たしてそれが良かったのか?わからないけど、直感を鍛えていくのが大切なんだなーって思い出したのでした。
こころの声と直感を見極めるのって案外難しいですよね。
直感が働いて、曲がった先に出会えた羊蹄山〜
]]>
昨日は気温がプラス10度まで上がりました。
と、思いきや本日は日中でもマイナス5度で、北風小僧がぴゅーぴゅー唸っています。
満を辞して、、、
昨日は小樽の美容院へと、いそいそとお出かけです。
いや〜久しぶりの都会の香りにワクワクが止まりません(笑)
基本ワタクシメは世田谷のお嬢様ですからね←この歳になると自分で言っちゃいます。
デパ地下だのカタカナ文字の美味しいものだのを、フツーに食せる環境だったわけです。そんなワタクシメが、一番近いスーパーでも約10km離れているという田舎生活。
どんなに自然派になろうが、アウトドア大好きだろうが、根っからの都会っ子気質はいまさら無くせません!
しかも雪道の心配がないというわけですから、ルンルン気分でドライブしてきました。
出かけの朝、いつも通りに玄関を出るとまずは上を見上げ「雪庇チェック」から始まりました。降雪がある日々は、「どれだけ育ったのだろうか」「まだ落ちないだろうか」などなどを心配しつつ、落雪注意のオレンジコーンを置きにいきます。
昨日は気温が大幅に上がる予報だったので、遠くからチェックしながら適切な場所にコーンを二つ置いて、小樽へと向かいました。
あまり満足ではないけど、一応都会の香りをクンクン嗅いで家路へと着きました。まだうっすら明るいうちに家に着いたら、な、な、なんと!!
雪庇ちゃん、姿たちもありません!!
ええっ??
どんなに暖かくても、頑張ってしがみついて居心地良さそうにステイしていたのに…
あーん、どこへ行っちゃったの??
落ちてしまったのか、はたまた気温と日射にやられどんどん小さくなってしまったのか?
なんだろう?
この消失感は??
思えば12月の半ばから、あんなに苦労してきたというのに、いなくなったと思ったら、とてつもない寂しさが私の心を覆い尽くしていました。
いつの間にか、雪庇ちゃんの親にでもなってしまったのだろうか。
なんとも不思議で珍妙な気持ちを味わいながら、3月5日に「雪庇観察日記」の幕を下ろしましたとさ。
]]>実はもう一つ闘っていることがあります。
何を隠そう、それは「雪庇」です。
具体的に言うと「屋根の雪庇」です。
そもそも豪雪地帯なので、屋根の雪がどうなのか?は大きな課題でして。
昨冬は、時間があるかぎり家を建てる付近の様子を見に来ていました。
道路はどうなるのか?
家々の屋根にはどんな風になるのか?
Etc.
しかしながら、昨年は異例なる暖冬&小雪ということで、今から思うと全く参考になりませんでした。
月日は一年たち、気がつけばこの冬は低温&豪雪…とほほ。
おかげさまでスクスクと雪庇が育ち始め、途中、小休止したり、ちょこっとばっかし小さくなったりしながら、現在も新しい形となって無事?に育っています(笑)
私は結構マニアックらしく←そう思ってなかったけど、皆がそう言うの。
よく言えば凝り性、悪く言えば変わり者らしいです。
乳がんと闘っていたとき、兄の家に居候していました。
家の目の前が公園で、そこにはたくさんのミドリガメがいたんです。毎日、そこをゆっくり散歩していた私は、せっかくだからとミドリガメの観察日記を頭の中でつけていました。
そう。
何が言いたいかというと、今回も「雪庇観察日記」をつけているのです。
正確に言うと、写真を撮って、天候とともにどんな風に変化(進化)するのか?です。
これは12月の初め。冬の陣の始まりです!
あれよあれよという間に、ペローンとしてきちゃったのがお正月過ぎ。この頃はとにかく毎日寒くて、しかも風がなかったから大きく育つよりペロンとなったと思われます。
流石にこれじゃ、ということでお知り合いの方たちが雪庇落としに来てくれました(感激!)
再びスクスクと育ち始めたのが、この姿。この時は風が強い日もあったりして、部分的に落ちたりなんだのしながら、一生懸命屋根にすがりついた雪たちがこうなったようです。
その後は、もうとどまることを知りません!
もはやアート!!
して、気温が上がり、すがりつけなかったものたちが姿を消しましたが、再び猛烈な低気圧が訪れ、今はこんな姿です。
はい。
私は悟り始めました。
そうなんです。
雪庇も私の膝も、思えばみな同じ。
風雨にさらされ、太陽に温められ、さまざまな事象によって右へ行ったり左へ来たりするのだなぁ…と、感慨深くなった今日この頃でございます。
ちゃんちゃん。
]]>
実を言うと今シーズン、「羊蹄山に登り滑れたら御の字だな〜」と思っていましたが、なんとなんと1月末に行ってきてしまいました。
考えてみたら、羊蹄山は案外登りやすい山です。
というのも、標高1100mくらいまでだったら、そんなにきつい登りではなく(場所を選べばね)、負荷は高くないのです。
逆に言うと、イワオヌプリとかニトヌプリのような急斜面を登ることに比べれば、行動時間は長いけど、もしや行けるかも?という心の声がしまして(苦笑)。
しかしながら…
ちょうどゲストさんが入れ替わり立ち替わり来てくれているタイミングだったので、ちょっとばかり滑り過ぎていたようで。
なんとかかんとか騙し騙し登れましたが、膝がかなりパンパンに膨れてしまいました…涙
そんなこんなで、先日2回目の水抜きとなってしまいました。
今、インソールで通っているのがニセコインターナショナルクリニックです。
この病院には色々とお世話になっていて、そうそう、キリマンジャロの時にワクチンの予防接種や薬を相談していたとこです。
私の膝を見て先生曰く。
「あれあれ、だいぶ溜まっているようですねー。一度抜いてカクテル注射しますか??」
ゆ「むっ、カクテルって?」
先生「お酒のカクテルみたいに混ぜて注射ですよ。今日はステロイド、ヒアルロン酸、痛み止めの三種類、来週からはヒアルロン酸と痛み止めを4週続ける治療です。」
ゆの心“カクテル〜〜私の膝は大歓迎だわ〜〜〜”
というわけで、三種混合のカクテル注射を打ってもらいました。
今のところ、腫れも痛みもないし快調です!
だけれども、そもそもの筋力をつけていかないと、これは付け焼き刃という事実は消せません。
また羊蹄山にシュプールを刻める日を夢見て、がんばります。
]]>いえいっ!
それは。
とうとうバックカントリースキーへ行ってくることができました@月曜日。
ぱちぱちぱち〜〜〜
お友達ご夫婦にお願いして、あまりキックターンして登らなくて済む斜面に同行してもらいました。
その日は寒く(登り始めはマイナス10度)、3-40cmの新雪が積もっていたから、さあ大変!
雪が軽かったことは幸いでしたが、ラッセル三昧です。
今年はガイジンさんがいなくて空いているのは最高ですが、いつもガンガン登っているガイジンさんがいない=先に登っている人がいない=ずーっとラッセル!というわけなんです。
私もちょこっとお手伝いしましたが、ほぼほぼ、お二人がラッセルをしてくださり、本当にありがたい思いでいっぱいです。
相当疲れたに違いないです〜
登れたのが嬉しかったなぁ。。
弱っちくなった身体にズシッとかかるザックの重み、持久力なんてどっかへ行ってしまい上がる息遣い、風の音、雪の香りを全身で受け止めながら、足を一歩また一歩と前へと出す仕草。
ドクドクドクと波打つ鼓動。
自然あふれる地球という星に生まれ、ちっぽけな命を精一杯使って「生きる」ことを実践しているんだという感動に包まれました。
「すべてのことに意味がある」というコトバ、私は嫌い。
なぜなら、これだけいろんなことが降りかかってくる私には、納得いかないコトバだから。
だけど今は少しだけ、怪我をしたことで「今一度自分の人生、そしてこれからの生き方を考えなさいよ」って言われている気がしました。
うん。
明日も精一杯、大切に時間を積み重ねます!
]]>
謹賀新年!
いろんなことが起こり過ぎた2020年が終わりを告げ、新しい一年が始まりました。
星読みの世界では、2020年12月22日に200年続いた「土の時代」から「風の時代」へと時が動いたそうです。
そう、風です!
そういえばだいぶ前に土の人、風の人」というタイトルでブログを書いていました。
http://blog.team3.main.jp/?eid=1087308
まさに私の時代〜〜〜
と言いたいところですが、さすがに吹っ飛びすぎるのも何なので(というか、もう疲れた)、2021年の幕開けは「ゆっくりゆっくり慌てずに」をテーマとして過ごしております。
元旦はスキーではなく、スノーシューで近所を探検してきました。
せっかく郊外へ引っ越したので、家の前からシューを履いて裏山へ!
ニセコらしいスタイルを楽しんでみました。
そして二日は、いよいよオフピステへ!!!
オフピステだと、軽く滑るというわけにはいかないから、常に力を入れ続けなければなりません。
はてさてどうなるんだべか??
うん!なんとか滑れましたよーぅ。
少し斜度のあるところでは、左外足ターンで怖くて踏み込めずに体重が後ろになって、スキーがブーンと走ってしまい、若干ビビりましたが、なんとかなりました。
その時に痛みはなかったので、これが自信へと繋がります。
「できるを積み重ねる」ことができました。
嬉しかったー
本当に嬉しかった…
自分で言うのもなんですが、この一ヶ月半、本当によく頑張ってきたと思います。
11月半ばは、眠ることもできないほど痛みと闘っていたのですから…
11月20日に、膝に溜まった水を抜いてもらった時は、左腿は右より2cmも細かったんです。
「力を入れる」ということって一体なんだっけ?
というくらい、左足に力が入らずにいる自分がいました。
そこからのリハビリは血反吐を吐くほど努力しました。これ冗談じゃなくホント、そして今もよ笑。
なんたって本日三日は、雪が良さそうというのに滑りに行かずに、午前中みっちりリハビリと筋トレをしたんですからー
誰か褒めて〜〜
頭なでなでして〜〜
そんなこんなで、今年の所信表明というのは、ありません。いや、できません。
とにかく「できるを積み重ねる」ことを、神様の前で誓ってきました。
実は、あともう一個誓ったことがあるけど、これは内緒ね。
うふふっ
今年も引き続き、どうぞよろしくお願いいたします。
]]>そしてワタクシ昨日「雪上デビュー」しました!!
いえ〜いブイブイっ
一昨日夕方に接骨院へ行ったら、先生が急に「明日でも行ってみますか」という嬉しいお言葉がありまして。
そこからはバタバタと準備をして、昨日無事に2時間ほどゲレンデに立つことができました。
いや〜
かなり緊張の2時間でした。
スキーを滑るのに、こんなに緊張したのって13年前の乳がんからの復帰の時以来です。
涙は出なかったけど、嬉しかったですよぉ。
リフトでぐんぐん山に登っていく様とか、ぎゅっぎゅって言う雪の音とか。
肝心の膝ですが、多少痛かったです。
滑り出してちょっとしたら、ビキって音がして何やら引っ掛かりが取れたような感じになりました。すると少し動きが楽になったような感じ。
とにかく転ばないために力が入りづらい左脚に集中して、スキーがバタつかないことと、左膝が内側に入らないようにと努めました。
すると段々と筋肉や関節が協調して動き出し始め、徐々にスムーズに。
途中で、そうだ!
というひらめきがあって、その体幹部分の意識をプラスしたら痛みが、スーッと軽減もしてくれました。
シメシメ。
この感覚はレッスンで使おっと(笑)
滑ったと言っても、ゆるゆるとゲレンデを降りた程度ですが、ようやく一歩前進です。
そしてふと心に響いたのが…
できるを積み重ねる
私、宇宙兄弟という漫画が大好きで、全巻Kindleに入っているのですが、また読み返しているんですよね。
その中で、弟の日々人が月面で窒息死寸前になったことで、パニック障害を起こしてしまう場面があるのです。
宇宙服どころか閉塞感があるだけでパニックになっちゃうのです。
それを乗り越えるために、彼は単身でロシアに向かいます。そこにいる、コスモノートの英雄・イヴァンは日々人がPDを乗り越えるために作戦を練ってくれるのですが、その作戦が「できるを積み重ねる」ことなんです。
まずはパーティとかで使うメガネと鼻がついたお面をかけさせ少し歩くこと。
それができたら次は目出し帽をかぶって…
というように「できる」経験をさせることによって、「よしこれならいける、さあ次は」とステップアップしていくのです。
まさに私もそうなんだなぁと思いました。
まずはゲレンデを、ゆったり大きめなターンで気持ちよく滑ること。
そして昨日の初日は膝が大丈夫そうだったら、少し長く雪の上に立っていられる(ブーツを履いている)時間を作ってみようと思っていました。
そこまではクリアーです。
さてまた明日滑りに行きます!
明日もまた「できるを積み重ねる」よう取り組んでみます。
おっとその前に、これからストイックな筋トレ頑張りまーす。
]]>もうこんな生活を送っていたら、「復帰できないんじゃ??」と心配になっちゃうほど、自分に集中する時間を過ごしておりますです(笑)
今日は私が今どんなトレーニングをしているのか?というお話。
まぁ、これはあくまでも私の感覚なんですけど。
筋肉ってトーンがあると思うんですよね。
力が入るし張りがあるし動けるしって感じのやつ。
すっかりそんなもんはどこかへ飛んでいってしまった私なのですが、次段階として、このトーンを取り戻そうと取り組んでいる次第なのです。
毎日、2〜3時間かけてトレーニングをしています。
内容はというと、まずはあちこち身体を緩めます。
これには相当時間をかけていて、なぜなら、3回もの大きな手術を受け、オマケに(本当は返却したい)交通事故にも遭っているから、身体の歪みに関しては相当なハイレベルなのです。
次に骨の整列を整えたいので(人体模型のように笑)、引き攣れている筋膜や筋肉をピンピンと呼吸で伸ばしていきます。
これは多分伝わらないと思います→長年かけた知恵なのだ。
そしてここからはピラティスの出番!
中心(背骨ね)を伸ばすことを意識しながら、お腹にしっかり力を入れていきます。
ほんで、ぶら下がります!!
前はぶら下がるのが大変だったけど、今はピラティスマシンちゃんがおうちにあるので、気ままにぶら下がれるのです。
懸垂には程遠いけど、肩に力を入れるように「懸垂もどき」も、しちゃいます。
私は上半身が弱いので、ここをしっかりさせることにより、この後の筋トレでも姿勢が崩れづらく効果的になるという訳なのです。
ここまできてようやく筋トレができるのですから、もう時間がいくらあっても足りません。
筋トレは接骨院の先生からの指示のものと、石井先生からのをミックスさせながら、あと必要と思われる上半身トレーニングを入れています。
その数12!
そしてそして最後にトーンを上げることを、プラスするようにしました。
これはですね、単純に言うとピラティスのエクササイズです。
筋トレで行った部分強化を、動きの中で同調させたり協調性を持たせたりさせることです。
そうですねー
例えば、上腕二頭筋を鍛えようと腕を曲げ伸ばしするじゃないですか。これはイメージつきますよね?
その動きを片腕だけで行わずに、両腕で異なった動きをする感じです。
右腕を曲げたときに、左腕は伸ばす。今度は逆に右を伸ばして左は曲げる。
と言ったような感じ。
それを呼吸に合わせながら、もう少し複雑な動きをしていくのです。
う〜ん、言葉での説明は難しいので、ごめんなさい!
で、最後はストレッチ。
使った筋肉と今回ダメダメちゃんになってしまった部分を、念入りにノビノビさせちゃいます。
シメは15分のアイシング。
そんなんで、あっという間に3時間くらいは経っちゃうんですよね。
しかしながら、家にいることが多く、これじゃあ頭はモヤモヤしちゃうので、今日は午後から雪上ウォーキングへと行ってきました。
夕焼けがキレーでした!
]]>たった10日しか経ってないのに、あっという間に季節は真冬。
考えてみれば結構降り続いていますもんねー
そんな中、土曜日にいよいよスキー場がオープン。
なんというのか…
町がっていうか、周りがザワザワしている空気が流れているんですよね。いよいよ始まったぞ的な(笑)
あ〜あ。
つまんなーい。
毎日毎日ひたすらリハビリ。
しかも強度が上がってくると痛くなることも多いから、「またぶり返したんじゃ??」とビクビクな日々。
もう完璧なトラウマです。
考えてみれば4ヶ月も痛みと付き合って、しかも10月後半からは痛くて痛くて眠れない日々が1ヶ月も続いてたんですもんね。
自分で言うのも変ですが、よく耐え抜いたなーと。
いや、耐えちゃダメだったんですよね。悲鳴を上げていたんだから。
でもリハビリだけやっている訳にはいかないから、せっかくできた時間に「溜まりに溜まった事務仕事をきれいにするかー」なぁんて、思ってるのですが、案外時間がないのです。
今は週3回、隣町にある接骨院へ。
先生がですね、学生時代は小樽北照でスキー選手をやっていたし、今はスキーメーカーのトレーナーもやっているという経験があるので、話が早い!
目標を設定して、痛みと膝の状態をみながら負荷を少しずつ上げてトレーニング内容を設定してくれています。
今日は久しぶりに自転車もOK出たので、エアロバイクで軽く心拍数も上げちゃったりして。
いつも「やり過ぎないで!」と釘をザクッと刺されながら、リハビリに精を出してます。
]]>
それにしても11月2週目に実に40cmという大雪が降ったのに、一旦すっかり解けました。まさかあの雪の量が全て溶けるとは…と思ったけど、今感じるのは、大地がしっかり冷えないと、いくら雪が降っても溶けちゃうんだなーってこと。
当たり前といえば当たり前だけど、町に住んでいると案外気づかないものなんですね。
昨日、MRIの結果が出て診察がありました。
結果としては、やはり外側半月板を損傷していました。
その元々の原因は、私の外側半月板ちゃんは、なんと三日月ではなく円板状になっているそうです。
ユーフォ〜〜〜ってやつじゃないですよ。
たまにあるんですって。
普通は、三日月のごとく中心部へこんでいて、膝にかかる圧を分散し衝撃を吸収しているそうです。
円板になると、中心がへこんでないので(肉厚ね)大きなストレスがかかっているそう。
姉に話したら面白い例えを言っていました。
お尻が痛いときに敷くドーナツクッション。
真ん中が空いているからお尻が直接当たらずに、痛みが軽減されますよね。その穴が空いてないので負担がかかっているって感じです。
長年かけて受けていたストレスが、7月に東京で爆発して、半月板が一部ペロンとめくれ上がったのでは?と言うことでした。
そしてレントゲンに写っていたんですけども、外側の脛骨に、チョンとトゲのようなものが出ているんですよね。
そのトゲをなんて言ってたかなぁ…?
忘れちゃいましたが、そのトゲとペロンとめくれた部分も近いから、お互いに干渉し合っている可能性があるらしいです。
治療というのは、前回ヒアルロン酸的な注射を打ってもらったので、あとは細くなってしまった筋肉の回復のみです。
手術の可能性を聞いたのですが、半月板の手術は膝軟骨に負担をかけやすいので、先生としてはあまりおすすめじゃないそうです。
朗報としては、私の軟骨ちゃん、とても良い状態みたいです。
だからこそ、手術はやりたくないと、、
それにしてもです。
測ってもらったら、ぬぁんと右足に比べ左の太腿ちゃんたら2cmも細くなっていました。
お尻の筋肉も触ってわかるほど落ちてるし。
ともかく必死で頑張らねばです!
今日は先生からOKが出たので久しぶりにお散歩へ行きました。
そんな訳で冒頭の大地を感じることができました。
うん、歩けるってしあわせだー
]]>さてどうなったか??
負のループからは多分抜け出せたとおもます〜〜パチパチパチ。
しかしながら考えてみれば、今のコンディションになるまで本当に大変でした。
特にここ一ヶ月くらいは、痛みとの闘いが酷くて、心身ともに疲弊し始め、正直先週はウツ状態に陥っていました。
「もうダメだ。ここでは暮らせない」
「こんな痛みを抱えたまま生きていても仕方ない」
「たった一人でこの先どうしたらいいのだろうか」
などなど。
聞くところによると、脳が痛みを感じる部分と嫌な記憶をストックする部分は近いとか、、、
なので痛みがあるとネガティブになりやすいそうです。
しかしそうは聞いても、実際に痛みが取れないと、「これは私のせいじゃない。脳が勝手にさせているんだ」と思い込むことってできません。
だって現実に痛くて痛くて眠れないし、日常生活を送ることも不可能になってきているのですから。
怖いことです。
なぜこんな状況にまで落ちてしまったかというと。
元はと言えば、ジョギングに明け暮れていた6月頃に感じた膝の痛みを軽視していたことだと思います。
アイシングをして腫れが引いたのをいいことに、身体のケアやトレーニングをお座なりにして、また少し走ってみたりと無理をしていました。
そして7月に東京で電気が走ったような衝撃的な痛みに襲われ、タクシーでなんとかたどり着いた整形外科が悪かった。
そこできちんとした診断を受けれずに、半ば頭にきて自己判断で運動を開始してしまったのです。
そこからはアップダウンの繰り返し。
運動してはアイシングしてとだけで、脚の筋力をトレーニングすること(大きな筋肉ね)をせずに、「大丈夫、私にはピラティスがあるから」とたかを括ってしまっていました。
そして一番大きな要因としては、「いつも元気で前向きにいなきゃ」「私は元気を人に与えることが好き」という、自己ブランディングを大切にしすぎていたのです。
そんなことが重なり、どんどんと負のループにハマっていったのだと思います。
先週、東京ピラティスがあり在京しました。
もう痛くて仕方なかったけど、今月で東京クラスを終了するにあたり最後まできちんと全うしたく、ビッコ引き引きレッスンをしました。
正直、痛みで涙が出てきていました。
膝の腫れと脚のむくみで、膝を伸ばすことも曲げることもできないのです。
乳がん手術後から、ずっと身体全体のコンディショニングをしてくれている石井先生が、そんな私を見た途端。
「ゆきこさん、すぐにMRI撮ったほうがいい」
と助言してくれて、そこからは早い展開となりました。
戻ってすぐに地元の総合病院へ。
ちょうど札幌から膝の先生が来る日だったので、その先生の診察を受けました。
MRIは明日撮ってもらうのですが、レントゲンと診察での結果は「外側半月板損傷」の可能性が高いとのこと。
そしてひどい痛みは、膝に水が溜まっているからとのことで、抜いてもらい、ヒアルロン酸的なものを注射してもらいました。
もう劇的に改善です。
膝の裏側のプニュプニュしている柔らかい部分には、脚の神経がたくさんあって、水がたまると刺激して痛いそうなのです。
痛みから解放されると、なんと世界が輝いて見えることか!!
おかげさまでうつ状態は何処へやら〜〜と、すっかり元気を取り戻しました。
まだ正式な診断は出ていませんが、「痛みの開放とこれからの方向性」が見えてきたことで、また前向きに過ごしていけそうです。
と、やっとそうなったのに…
コロナの感染再拡大で、シーズン最初の初滑りキャンプは中止になりそうです。
とほほ。
まだまだ苦難の道は続くのかなぁ。
]]>確か昨年も同じ日に少し雪が降ったけど、薄ら白くなった程度だったので、びっくりというか参ったというのが本音な私。
と言うのも…
今年は一軒家に引っ越しをして、新しづくしで、何がなんだか大混乱なんです。
例えばですね。
・灯油ボイラーを使うのが初めてで、暖房機器の使い方に右往左往。
・灯籠を運んでもらった(先祖から受け継いだもの)ので、人生初の雪囲いをどうする??
・除雪屋さんと打ち合わせをしたはいいが、なんと契約は12月1日のため、昨日は来ない。
・ママさんダンプやシャベルを、どこに置くのが一番使いやすいか。というか、フックにかけないとしまえない。
などなど。
もうてんてこ舞いな日々を送っております。
あっ!話が全く飛びますが。
「てんてこ舞い」という言葉の由来って知ってます?
天岩戸神話を歩くに書いたんですが(著者だから言ってもいいよね)、芸能を始めたと言われる神さまのウズメノミコトが、岩戸を開くときに踊った時の様子からきてるんです。
木の桶を裏返し、その上でそれはそれは忙しく踊ったそうです。
その時の「テンテコテンテコテンテコ」というリズムから、「てんてこ舞い」という言葉が生まれたそうです。
ちなみに〜
木の桶の上で踊ったことから「舞台=台の上」も始まったそうですよ。
神話って面白いでしょー(笑)
話を戻しまして。
そんな気ぜわしい毎日なのですが、実は夏に怪我した「肉離れ」がいまだに癒えず、シーズンインまで、あと少しと差し迫り、かなり焦っている私なのです。
なんだか今年は身体あちこちにガタがきている感じ(涙)
少し良くなったかなぁと思い、ちょこっと山へ登ってみたり、歩いてみたりすると、腫れて痛みがひどくなりというのを繰り返しているのです。
札幌の整形外科でレントゲンを撮ってもらっても、はっきりとした原因がわからず、、、
いやはや、大変困ったちゃんです。
ただ一つ言えるのは、痛めた方の左足を庇い続けているから、筋力が相当落ちてしまい且つ硬くなっているのは確か。
自己判断だけど、おそらくその悪い方向へズンズン進んでしまったのかなぁと。
月曜日に倶知安にある接骨院に通い始めました。
ここの先生はスキー経験豊富な方で、現在もスキーチームに帯同するなど、その道のプロなので、なんとか改善方向へ向かうべく努力の毎日です。
あ〜〜
負のループから脱出したい!
いや、するんだ!!
心奪われる朝陽に誓ったのでした。
]]>
相変わらず、高千穂の皆さんは優しく暖かく迎えてくれまして…
高藤さんはもちろんのこと、「あすかラーメン」の佳朗さんに初子さん、一度だけご挨拶したっきりの「旅館・神仙」の女将くみさん、「高千穂山の会」の佐藤会長に小笠原さん、「民宿まろうど兼観光協会長の飯干さん、「ゲストハウスさんかく」のあすかさんetc.
<高藤さんご本人が写っている写真を持つの巻>
高千穂町長さんにもお会いできたし、観光協会の方々にもご挨拶できたしの大満足の旅でした。
それにしても、今回の旅もディープ!
高藤さんが出す出す(笑)
今更ながらに、そんなとこあるの??って場所に案内してくれました。
本に書けなくて残念〜〜〜
だけど高千穂の魅力は、これなんです。
有名どころの観光地以外に、これでもかってくらい発見があって、「また行きたい!」ってなるんですよねー
もちろん、今まで何回も訪れた場所にも再発見もあり、飽きないな〜という感じ。
今回のとっておきがここでした!
この参道入口で、高藤さんの軽トラックに乗り換え。
しかしながら3人だったので、一番耐えられるだろうの判断で、私が軽トラックの荷台へ。
参道とはいえ、途中道路が陥没したところに砂利が敷いてあったり、台風の影響であたり一面枝や葉っぱだらけの中、上がる上がる。
いや〜
道中、めちゃめちゃ飛び跳ねましたよ。よく振り落とされなかったと自分を褒めたい!
写真に収められなかったのが残念無念…(動画はなんとか撮ったけど、写真はブレまくり)
訪れたのは、「鳴滝神社」の上宮です。
神社のすぐ横に滝がありました。
その日は水量少なかったけど、その分近づけたので、みそぎを受けているような感覚に…
祠の中にいらっしゃったのは、天照大神様だそう。
稲穂を抱いていらっしゃいました。
3人それぞれが思いのまま、空間を過ごし共有し、とても清々しい時間でした。
これだから旅はやめられないね!
]]>今日はレッグウォーマーを履いているワタクシでございます。
コロナのばかーっ!
に脅かされる日々を送る中、少しずつ「オンライン化」というのを取り入れている訳ですが、それができるのは今のところピラティスです。
いや、できるというかオンラインレッスンのお陰で身近にいる方以外にも、参加してくれるようになり、有難いなーと感じる今日このごろ…
となると、「もっと何かできないかなー」と、つい自分を追い詰めちゃうのが私の悪いクセ(苦笑)。
ずっとずーっとずぅ〜〜〜と課題だったことをオンラインでやってみることにしました。
それは何かと言いますと。
「ピラティスって一体何なのよ」
「なんだか難しい」
「え〜キツいんじゃないの」
というイメージを払拭するような動画を撮ることにしたのです。
かなり長い前置きですが、その動画のことを言いたいのではなくてですね。
そんなこんなで春から、めちゃめちゃピラティスと向き合う時間が長くなっている中で、ふと「私にとってのピラティス」というのを考えるようになっているのです。
ひとことで言うと。
私にとってのピラティスは、「QOL向上のためのツール」です。
そもそも、ボロボロだった身体でもスキーを続けるために模索した中で出会ったもの。その後の度重なる大病での手術や治療でのリハビリ、そして交通事故からの復帰etc.
今では、元気に山に登って滑るためだったり、冒険や旅に出るためだったり。
ピラティスという存在は、私にとっていつも変わりません。
時折気になるのが、「ピラティス=スポーツ」になってしまう人がいることです。
エクササイズが出来たとか出来ないとか。
あの人よりうまくいかないとか。
スポーツでは必要なものでもピラティスには必要ないと思うのです。
好きなスポーツのためとか、毎日を健やかに過ごすためとか、目標を持った生活を送ってもらうために、「じゃ、ピラティスで身体を整えて、心を前向きにしましょ」ということなんだなーと。
コロナ禍じゃなかったら、忙殺された日々になっていて、大切な初心を忘れていたんじゃないかなーと痛感しています。
ふむふむ。
たまには振り返らないと…ですね。
]]>
考えなければわからないほど月日が経っているのは、決して私だけではありませんよね。
なんたってコロナ渦が続いているわけですから。
しかし人は凄いというか不思議なもので、何とかかんとか形を変えて、それなりに楽しさを追求するものだなぁ…と強く感じる今日この頃です。
私もそのうちのひとりでして。
「道南の旅」へと繰り出してきました。
道南は北海道の中でも抜群に歴史が深い地域です。
昨年、姉たちと2泊3日で旅をして、その片鱗を覗き見てしまい、歴女としてはなんとしても行かねば!と強く心に決めていました。
そして今回は、セカンドステップです。
初日は、国道5号線をゆっくり南下し、最初の宿泊地「東大沼キャンプ場」を目指しました。運転をしていたら、ふと目に止まったのが「旧幕府軍上陸の地」という看板です。
慌ててUターンをして立ち寄ってみました。
おお〜〜〜〜
なんとこの地に榎本武揚率いる艦隊が新天地を目指し上陸したんだとは!!
雄叫びものです←歴女だからね笑
そして上陸の日は暴風雪だったとか…
最初から波乱万丈だったんですね。
私が訪れた日は、風がそこそこあったとは言え、波もなく穏やかでした。
彼らが上陸を目指したのは、初冬のころ。運が悪く暴風雪になったけど、その中でも内浦湾に面した東側を選んだのは、必然的にそうなってしまったのか?はたまた最初から冬の日本海は避けたのか?
うーん、、
聞いてみたいところです。
<さすが道南!立派な栗の木があるなんて>
<ここであの名曲ができたとは…知らなかった>
さて!
今回は2泊ともキャンプをしました。
考えてみれば、山ではテント泊が多いわけだから当たり前のようにキャンプだけど、車で乗り付けるキャンプというのは、あまり経験がありません。
いや〜〜
めっちゃ楽しいし楽ちん。
クーラーボックスにはビールやワインがキンキンに冷えてるし。
炭焼きでジンギスカンとかジュージュー焼けちゃうし。
トイレは電気がついて水栓だし。
テン場はフラットな芝生の上でふかふかだし。
枕持っていけるし←おかげで熟睡〜
石の上とかじゃなく大きな椅子に座っていられるし。
やばいです。
これ、絶対クセになる。
近頃、コロナで密密を避けてグランピングとか流行っているというのが、めっちゃ納得しちゃいました。
あれ?
歴史のことをもう少し書こうかと思ったけど、随分筆を進めてしまったので、今日はこの辺でおしまいということにしますか(苦笑)。
道南、まだまだ行くつもりです。
完璧にアンテナに引っかかりました。
]]>本当にあっという間に夜になり、気がつけば朝が来るという毎日を送っています。
やることてんこ盛り!
楽しいけど、ちと大変。
よくよく考えてみると、もしコロナじゃなく普通に仕事に追われる日々だったら、この引越しは一体どうなったのだろうか?と、恐怖がよぎっている私でございます。
今までは倶知安という、一応人口12000人の町に住んでいました。駅まで歩いて行けたし、スーパーも徒歩圏内で、かなり便利な立地でした。
引越し先は、お隣のニセコ町。小さなスーパーが一軒あるだけの人口約5000人の小さな町です。
私は転々と引越しをして土地を変えてきましたが、いつもそこそこ便利な町に住んでたし、なんてったって東京女子ですから(笑)、都会の生活が当たり前なのです。
今の家へ引越しをするにあたり、一番悩んだことがあります。
それは毎日食材を買うことできなくなるし、面倒くさい時にお惣菜を買えばいいやっていう生活が、一体どうなるのか?ということ。
しかしですねー
夏はお野菜が豊富で、少し歩けば農家さんの無人野菜スタンドがあります。
それにご近所では、みなさん菜園をやっていて、お裾分けがいっぱいあるのです。
<お隣さんから頂いた新鮮お野菜>
お友達からはお裾分けのお裾分けもあったりして。
<お友達がブルーベリー農園で摘んできた、甘くて口がとろける〜>
<これはウチの畑から!のツルムラサキ。とは言っても育てているのはお友達>
なんて幸せな生活なんだー!!
今日も、お友達から電話があり、「とうもろこしたくさん貰ったから届けに行くよー」と電話があって、ブーンと車で来てくれました。
そんなこんなで、ニセコの田舎暮らしを堪能しております♪
]]>7月にブログを更新したのは、わずかに一回という始末…
情けないっていうか、もっと仕事しろって感じです←自分に戒め
昨今、SNSなど様々な発信ツールがあって、しかも簡単にできるから、「ブログじゃなくてもいいんじゃない」って声が聞こえてきそうですが、13年にも及ぶ私の人生が綴られてきているので、絶対やめたくないのです。
これをお読みくださっているみなさま。
絶対にやめないので、気長にお付き合いくださいませ♪
そしてここだけは宣伝だけではなく、私の本音を書いていきます。
さてご報告が遅くなりましたが、7月22日に、兼ねてから挑んでいた書籍出版の夢が叶いました!
なぜ宮崎県の高千穂なのか?
どんな風に引き寄せられていったのか?
などなど。
お読みいただくと時系列でお分かりいただけると思いますが、いろんな出会いや経験が、初の書籍出版への原動力になっています。
そして取材という大義名分のもと、通い出すこと2年を経て、本というカタチになりました。
思えば原稿に取り組んでいた昨年の秋は、まだコロナの「コ」の字もない頃です。スキーシーズンと重なる頃は一心不乱に書き続け、お尻が床ずれ?と思うほど痛くなりました。
しかし、出版日を夢見て、そして記念パーチーを開くんだ!
という目標を設定し、がんばりました。
自分で言うのもなんだけど、本当にがんばりました←誰か頭撫でてね。
それがなんということだ!!
世界中がコロナという猛威に包まれ、旅行どころか移動も自粛。
人も集まれない状況に陥り、全てが総崩れです。
「旅」というテーマのため、出版社から中止や延期を言い渡されるかと内心ビクビクしていました。
手元に実物の本が届いたときは、感動の嵐に包まれると共に、正直気が抜けました。
「あ〜〜本当に現実になったんだ」という達成感の中で、緊張の糸が切れたのでしょう。
高千穂の旅のキッカケは、亡き母の言葉です。
その母は文学が大好きで、60歳をすぎても大学に通い日本語の勉強をしていました。
母の墓前(正確には写真)に報告をしたら「草葉の陰で喜んでいる」とのことです笑
]]>
考えてみれば当たり前のこと。雨が降らなかったら、農家さんは大困りですから。
しかし東京みたいに、一日中シトシトと降り続くとかはあまりありません。
今朝も朝は素晴らしく晴れあがっていたと思いきや、お昼頃から黒雲に覆われ雨降り。しかし、今はまた青空が覗いています。
植物たちは太陽と雨を浴び、どんどんと成長しながら彩り深くなるのが、楽しい毎日です。
そして!
今日は嬉しいことがありました。
スウェーデンの姉に向けて、小包を送れたのです!
あれは5月の初めだったかな。
日本食が大好きな甥っ子と姪っ子宛てに、色々と買い物をしてパッキングをしました。EMSだと500gごとに料金が変わるので、最後の最後におせんべを買いに行って、ジャスト2,5kgにしたのです。
「よし、全てはOK」満足したけど、念のため、郵便局でしっかり測ってもらってから封をしようと、段ボール箱を抱えて、いそいそと郵便局へ向かったのです。
そしたらですね。
「あ〜!今日から規制が変わって、ほぼどの国も送れなくなっちゃったんですよ」だと。
もう呆然と立ち尽くしてしまいました、、、
つい、2日前に調べたときは大丈夫だったのに。
なんですぐに送らなかったのかと、自分を責め責めモードに入り、沈みきってしまったのです。
しかも、私は食べない「赤いきつね」とか「ラ王の醤油味ラーメン」とか、ふりかけとか、、、
なんだかスウェーデンとも関係を絶たれて、広い日本でたった独りになった気分にまでなっちゃって、当時はかなり落ちてしまい、実はヤバかったです。
その時、姪っ子に送った写真がこちら。
前回送ろうと思った時より、倍の重さになって、送料なんと9800円!
でもま、首を長くして待っている姉や子供たちを思うと、そんな痛手も嬉しい悲鳴なのでした。
あー
よかったよかった。
]]>前回ブログを更新し、決意を新たにしたというのに、この間私は一体何をやっていたのか?
情けないと思いつつも、しっかりまた一つ大きくなりまして。
世界中が、多くの不安を抱える中、私の合言葉が決まりました。
2020GOGO!
勘の良い方なら、この意味はわかると思います(笑)
コロナのバカー!に襲われた2020だというのに、何を隠そう、私は二つの大きなことにチャレンジしています。
一つ目は、
とうとう本の出版まで、あと一息になりました。
今、手元には最終ゲラというものがきています。この先、もう修正はできないので、穴が開くほどチェックチェックです。
原稿を書くだけではなく、本を出版するということは、いろんなことをやらなければなりません。それも全て初めてのことなので、毎回勉強です。
この時期によくもまぁ、ですが、何年も何年も努力を重ねてきたことなので、赤子を産み出すような気持ちです。
二つ目は、
私の近くには知っている方も多くいますが、ピラティスのスタジオ兼自宅を建築中です。
一昨年、ニセコ地区に気に入った土地を見つけ購入し、昨年建築の予定でしたが、色々と準備が整わず、今年の着工になりました。
しかしながらにコロナ発生!という不運に見舞われたわけです。
いや〜
一時は全てを諦めかけましたが、多くの方のご協力のもと、来月完成予定まで進んでいます。
いつも応援してくださる方から記念樹をいただきました!寒桜〜
それにしてもさ。
人生の中で、なんでこんなタイミングで初のことだらけなの??
って感じです。
しかもコトが大きい!
正直、5月の半ばまで精神的にやばかったです。
この先どうなるか?
どころか家のローンも抱えて良いのか?
私一体どうなる?
大きな賭けでした。
けど、強く思ったのは「経済を止めない!」です。
私にとっては、今人生の中で一番大きなお金を使っています。
最後になりますが、オンライン・スキーヤーズの無料トライアルを実施することになりました。これもまた初めてのことなので、どうなることやらですが、ちょっと楽しみ♪
さて、どうやらまだ人生が残っているらしいから、がんばんべ〜
]]>
感染爆発がなんとか落ち着き、39県では緊急事態宣言が解除されました。
私はまだ緊急事態宣言下の北海道ですが、私の住む後志管区は制限が少し緩和されてきています。
しかしこの先再び波がやってくると言われ、まだまだ気を緩めてはいけない今日この頃です。
先日noteを始めたご報告をしましたが、粛々と(結構)頑張って書いています。いや、これがなかなか面白い!
今まで数々行なってきた旅を深く掘り下げているのですが、自分で言うのもなんだけど「旅のまとまり感」が半端ない。
旅の様子をツラツラ書いているだけでは、旅は終わってないんだとの気づきが、私を奮い立たせております。
お時間あればぜひ読んでみてください!
で、♡マークをポチッと押してくれると、めっちゃ喜びます。
そんな感じで新しいことをスタートさせている訳ですが、今強く感じていることがあります。
それは、コロナだからということで今を終わりにしちゃいけないということ。
説明すると、誰もが今を乗り切るためにネットを工夫していると思います。しかしいずれ必ず収束すると言われているコロナですが、その時に工夫したネットはどうするのでしょうか。
私が考えているのは、その場しのぎにしないことです。
もちろん形を変えるのはアリですが、継続できるものを提案することなのかなーと。
この数週間、様々な勉強をしています。
それは今まで私が全くやってこなかったと言っても過言ではない、ビジネスについてです。
これまで私の活動はオフラインでした。そして、北海道へ引っ越しをしてから、今まで私を支えてきてくれた顧客の方とのつながりが薄くなってしまう場面が多々ありました。
それは、オフラインのみの活用だったからだという気づきがあったのです。
もちろん主軸であるオフラインは変わりません。
顧客の方にとってのオフラインを強いものにするため、オンラインなどのインターネットを駆使していくことがこれからの時代だという気づきがありました。
現在、進行し始めた事項がいくつかあります。
これは今年発売予定の「旅のエッセイ本」と絡ませていくと面白いなと考えて始めました。
何年も前から本を出したい!という想いがようやく実現へとこぎ着けそうで、本当に嬉しく赤子を育てていくような感覚になっています。あっ、まだ産まれていませんが。
なので、産まれてきた赤ちゃんを育てていくために、今から準備をしている、というワケです。
現在、関東地方の顧客の方のみへレッスン動画を限定配信していますが、これを継続させながら、新しい形で展開していく準備をしています。
もちろん東京クラスが再開した時には、対面のクラスが主軸になりますが、ネットとの組み合わせで、より強固なものになるはずです。
そして姿勢を整えることの大切さを、より多くの方々へ伝えたいとも考えています。
これはサポーターの方々のヘルプもあり、早々にまとまりそうです。いや、まとめなければ。
北海道に拠点を移し、月に二回行っていたスキーヤーズが月一回となりました。昨年がその初年度でしたが、そのためにおこっていた顧客の方の変化について、懸念していました。
それは圧倒的に体力や筋力が落ちていたことです。(すべての方ではありません)
オンラインを取り入れ、より効果的かつ持続的な体力向上へ取り組んでいきます。
私は毎日ニセコでブラブラしているわけではありません(笑)。
今あるものを守り、そして変化を受け入れながら、新しい時代へと突入していきましょう!
]]>
「まいった〜」「一体どうなるんだ」と、不安いっぱいで
胸が潰れそうな反面、結構覚悟を決めた人もいるのでは?
3月からピラティス東京クラスを中止し、4月からのスキーガイド業も全てをストップする
決断をした当初、私も混乱していました。
「いつになったら元に戻るんだろう」
不安で眠れない夜が続き、もがき苦しみましたが、あるときストンと自分の中に
何かが降りてきてこう言いました。
「戻りたいという気持ちを捨てなよ、新しく変わろうよ」
すると頭の中に溜まってグルグルと渦を巻いていたドロドロの血が
頭のてっぺんから、スーッと宇宙へ流れ出ていきました。
「からだ軽っ!」
そう考えると、今これだけ時間があるというのはとても大切なこと。
膝を抱えて不安になっているなんてもったいないことに気づきました。
大好きな私のコトバ。
「転んだら起きればいいだけ、もちろん何を掴んでね」
うわ〜
私の人生、何回転ぶんだろう。
だけど今回は地球人全員で転んだんだから、みんなで一緒に起きよっ
もうだいじょうぶ。
やるべきことはたくさんある!
noteを始めました。
2007年から始めたこのブログですが、13年という月日の中で私も成長し
変わってきました。書いた記事は相当数に上りますが、まとまりがないなーとも
感じてました。
今やりたいことは「旅」をテーマとした記事をまとめて発表していくことです。
一時は死の淵まで行きかけた私ですが、薄皮を剥ぐように少しずつ日常を取り戻し、
今では病気になる前より、元気力は数段階アップしています。
そんな私が体験してきた数々の旅や冒険の記事を、今だから話せることなどを織り交ぜながら
私なりの旅の価値観をお伝えしたいと思います。
よかったら読んで「スキ」してくださいね!
さあ、今日も一日丁寧に大切に過ごしていきましょう。
]]>
この公園は、アフリカの大地溝帯(グレートリフトバレー)の断崖の下に広がり、その中にある弱アルカリ塩湖のマニャラ湖を中心に森林や草原が国立公園を形成しています。
大地溝帯とは、アフリカ大陸を南北に縦断する巨大な谷のこと。
この地溝帯ができることで、最初の人類のヒトへの進化が始まったという仮説もあるとか。このあたり調べてみると、めっちゃ面白いですよ。
とにかく森と水が豊富!
特に樹木の中を走る道が多いので、急に動物が出てきてビックリすることったら。
体当たりされたら一巻の終わり。
そしてものすごーく遠目だけど、最後の最後でクロサイも見ることができました!
このBlack Rhinoは乱獲によって絶滅の危機に瀕しています。ここマニャラでも数頭しか生息していないとか…
人間の欲望というかエゴが地球環境を一気に変えている現実がここにあります。
湖の周りは沼地になっていました。
グルグル回っていると、沼地のボス・バッファローのこんな光景にも遭遇。話には聞いていたけど、本当にアマサギって背中の上に乗っかっているんですね。ほのぼの〜
とにかく鳥の種類と数が凄かったです。
鳥大好きなFrancisが、辞典を片手に(あっ、片手はハンドル)相変わらず「あーでもない、こーでもない」と教えてくれます。
たくさん見たけど印象深かったのが、この綺麗なお口の方。
クラハシコウというコウノトリの仲間だそう。結構大きかったです。後で調べたら1.4~1.7Mもあるんですって。お膝も赤い〜
そしてそして圧巻というか言葉を失った光景がこれ!
一体何万羽??という数のフラミンゴ。
湖にピンク色に輝く帯が幾重にも連なっていました。お写真はタッチーからいただき!
いやいや大興奮のサファリツアーも無事に終了しました。
わかったことは一回では足りないってこと(苦笑)。
もっと動物の生態を調べておいて、また行きたいなぁ〜
キリマンジャロは、もちろん素晴らしく楽しかったけど、やっぱりサファリの存在に地球を感じさせてもらったことが一番印象深い旅だったと思います。
かなり時間を要してしまいましたが、これにてアフリカ遠征ツアーは終了です。
]]>
ここは驚くほど大きいなクレーターで形成された自然の楽園だそう。イメージとしては、底の広いお椀のような感じ。
その底は南北約16km、東西約19kmあり標高約1800m、クレーターの淵は標高約2300~2400mというから、結構な高地にあります。
ここでひとつ。
どのようにして巨大なクレーターが出来上がり、それがどのような作用を及ぼしているのか?
数千万年前、多くの巨大な火山活動が始まりました。
その中のひとつが大噴火して、地面の中に空洞ができ、それが一気に沈下して出来たのがカルデラです。
このクレーターの中には、枯れない湖があります。
なぜ水が枯れないのか?
その秘密は外輪山を利用して、ほぼ毎朝キリが発生するからなのです。
インド洋の湿った空気が東から来る貿易風で運ばれ、外輪山にぶつかって上昇。すると急激に冷やされキリが発生するのです。
キリは木々にあたり結露して水となり、地面に蓄えられます。それが伏流水となり、クレーターの底に湧き出し、一年中枯れない湖を生み出しているという訳です。
ほー…
自分で言うのもなんですが、まるで学者みたい(笑)。
実はこれ、つい先日TVでやっていたンゴロンゴロの特集からなのでした。
しかし自然の摂理というには、本当に素晴らしいし動物が生きていくためには、理にかなっていると唸ってしまいます。
話はそれますが、その摂理を無視して開発を続ける私たち人類。この先どうなっていくのでしょうか。
そしてここはその自然の摂理を守り、人間と自然が見事に共存しています。この地域に住むマサイ族だけが放牧のために、唯一クレーターへ入ることが許されています。他は何人たりとも許可なしには入れません。
ですので、もちろん検問があります。
Francisが許可を取る間、しばし展望台からの絶景を望む私たち。
いよいよクレーターの底へ。
急坂をグラングラン揺られながら下っていく道すがら、双眼鏡を覗いていると、いるわいるわの黒い点!
それが一体何なのか?
象にシマウマ、バッファロー、ヌー、数種類に及びアンテロープ、グランドガゼルにトムソンガゼル、ライオンとも遭遇です。
鳥もたくさんいました。
アフリカオオノガンにアフリカクロトキ、何やらワシらしきものも。
Francisは鳥好きらしく、指をさして色々と教えてくれるのですが、英語名だからよくわからないし、私は一番後ろの席だったのであまり聞こえません。
「ま、あとで写真で確認すればいいか」
と、あまりにも普通に動物や鳥がいるので、気持ちがのんびりしてきちゃいます。
お昼はこんな感じで、水辺に車を止めて外へ出られます。
ヒポを眺めながらのんびりと〜
今日も一日、恐るべしアフリカサファリ。
大はつきませんでしたが、満足です。
えっ?なぜ大満足じゃないかって?
この日の宿はあまり良くありませでした。
初日に泊まった町だったのですが、部屋は暑くエアコンなし。しかも最初は扇風機が壊れていて蒸し風呂のよう。
ちと残念。
お金出せばね〜
クレーターの淵にあるロッジに泊まれるらしいんですけど。
そうだ、言い忘れたことがありました。
ンゴロンゴロの名前の由来は、マサイ族が釣れている牛の首についている鐘の音から付けられたそうです。
ゴロンゴロンゴロンゴロン…ゴロンゴロンゴロ
]]>
三日目は巨大クレーターの「ンゴロンゴロ保護区」へ向かいますが、その前にマサイ族の村を訪れることになりました。
費用は70ドル/1グループとのこと、もちろん事前にリクエスト必須です。
キリマンジャロのポーターさんの中にもマサイ族出身という人もいたし、サファリでも見かけていたので、とても気になるマサイ族。
何が凄いって、見渡す限りサバンナが広がる中で、牛を連れて歩いている姿です。杖なのか長い棒だけ持って、ひたすら歩いている姿。
えっ?食べ物は?お水は?
一体どこから来て、どこへ行くの?
と言った疑問だらけなのです。
円形に作られ柵で囲まれた村に到着すると、あっという間にマサイ族の民衆が外へ出てきました。
みんなマサイシュカという綺麗な布を纏っています。女性たちは首飾りやイヤリングなども着けて、オサレ〜です。
すると歌を唄い始め、男性たちの歓迎のダンスが始まりました。あっという間にシュカをかけられ、私たち女性は首飾りをかけられ、女性陣の中へ。
続いてコンペティションダンスというのが始まりました。そう、あのジャンプする有名なやつ。なんでも一番高くとべた男性は、一番綺麗な女性と結婚できるらしいです。
もちろん我がチームの男性陣も挑戦←めっちゃ、負けてましたけど(苦笑)。
ダンスが終わり、いよいよサークルでできた村の中へ。
中へ入るとびっくり!
村の真ん中はお土産屋さんがズラーっと並んでいるんです。
いや〜何やら不吉な予感。
その後、住居に案内してくれましたが、これがまたすごい。
竹の枠組みに牛の糞と泥をこねて作った家は、ほったて小屋と言っても過言ではありません。中は薄暗く、いくつかのベッドと、キッチンという名の土が盛り上がったカマドらしきものがありました。
天井には、ひょうたんらしきもので作った哺乳瓶が、いくつか掛かっていました。
一通り暮らし方の説明を受けると、次は学校へ。
たくさんの子供たちが勉強をしていましたが、なんだか私たちを待ち構えていたかのように、大声で本を読み出したと感じてしまった私です。
入り口にはしっかりDonationと書かれた箱が置いてありました。
そして外へ出ると予感的中〜
土産物スペースに連れて行かれ、何かを買えと言う。お土産やは、それぞれの家の持ちスペースがあって、さっき中へ入れてもらった家のスペースから買えということでした。
<買いなさいと言われている私の後ろ姿>
まあ、そのくらい仕方ないかと思っても値段がありません。いくつか手に取ると、今度は家の裏に連れて行かれ、交渉が始まりました。
しかし法外な値段で、またまたびっくり。
もちろん値切りましたが、とは言ってもお土産やで買う価格の10倍はする感じ。
買うもんか〜〜〜と思ったけど、たっちーが「まあ、寄付と思ってさ」とボソっと呟いたので、木でできたキリンの置物とビーズでできた小物入れを買うことにしました。
いや〜
恐るべしマサイ族!商売上手です。
こうやって古タイヤを活用したサンダルを履いているけど、みんな腕時計もしているし、フツーにスマホも持っています。
しかし、他民族はどんどん生活様式を変えている中で、マサイ族だけが唯一、古くからの暮らしを守っているとか。
そう思うと、私にはそのような大切なものってあるのかなぁ…と思いつつ、頭の中に大好きなケミストリーの曲がループをし始めました。
“変っちゃいけないものを、守れるように変われたら”
さて、なかなかインパクト強かったマサイ村をあとにし、ンゴロンゴロのクレーターの中へ向かいますが、長くなったので続きは次へ。
]]>
前置きとして。
今、私は夢の実現のために、追い詰められています。
昨日の夢はスキーに出かけるところから始まりました。
スキー場らしきところに着いたはいいが、私は忘れ物に気づきました。家に取りに帰らないと、と慌てるのですが何故か車はなく、バスで帰らなければなりません。
出発しかけたバスを見つけ、追いかけると運転手さんが急ブレーキでとまってくれて、乗せてくれました。
しかしバスは札幌行きで、運転手さんに私の家の場所を言うと、途中の駅で降りてそこから電車に乗れと言います。
見知らぬ駅に着き、降りたわたし。
電車の時間まで余裕があって、ブラブラと駅ビルのお店を見て回ってます。(結構この時、客観的)
ふと気づくと電車の時間まで5分くらいしかなくて慌ててホームへ行こうと駆け出します。
けど行けども行けども違う電車のホームへ行ってしまい、めっちゃ焦るほど、駅の端っこに行っちゃったりして。
ぎゃ〜〜やばい!と戻ろうとするけど、今度は足が空回りして前に進めません。
昔見たアニメの世界。足だけが回転しているけど、実際は進まないってやつ。
ジリリリリリリリ〜〜〜〜!!!
目覚ましがなって起きました。
しばし、自分がどこにいるのか何をしているのか、わからずにベッドの中でボー然としてました。
そして基本的に心臓がちっこい私は、現実でもその夢にうなされながら、1日が過ぎてゆきました。
私はチキンハートです。
しかもひよっこのハートです。
今日、寝る前には「枕さん、枕さん、良い夢見させてくださいな」とお願いして寝ようと思います。
]]>出発前にたまたま観たBBCのセレンゲティ特集を、ガン見していた私は頭の中で大妄想が始まっています。
その番組はアフリカの過酷な季節を、様々な動物たちがどう生き抜いていくのかをテーマにしていました。
動物たちの中には主人公がいて、その主人公をめぐり繰り広げられるリアルなドラマを映像とナレーションで放送していたのです。
主人公には名前がついていました。
例えば、ハイエナの群れをまとめる雌のアッキーナや、心優しい雄ヒヒのラフィキなど。
群れを見かけると、そこにめぐる様々なドラマが想像でき、それが大妄想となっていたのでした。
<アッキーナに見えてしまう…>
<お土産屋さんにも寄りました>
セレンゲティN.Pへ入るには、ンゴロンゴロ保護区を抜けていきます。そこは大きなクレーターで形成された動物の保護区なのですが、ここは翌日に行くので説明は次の機会に。
抜けていくときに通るのは、クレーターの淵です。
しかしそこがめっちゃ悪路!
右に左に揺れることったら!
しかも車とすれ違うと、その砂埃が酷いので、埃まみれになりました。
しかし、そんな淵の悪路の中でも普通に象の群れが出てきたり、キリンがいたりと動物天国に声も出ません。
そして火口縁から斜面を下っていくと、そこにはセレンゲティの大草原が広がっていました。
<人類発祥の地!>
考えてみたら私は地平線というのを見たことがないことに気づきました。
人生早くも半世紀を越え、世界中いろんな国を旅してきていると思います。それにも関わらず、地平線には巡り会ったことがありません。
圧巻です。
セレンゲティは、約14,763 k?の広さがあります。一体どれくらいかと言うと、東京、神奈川、千葉、埼玉を合わせたより大きいと言えば、想像つきますよね。
<チーター>
<二頭のメスライオン>
大満足で本日のサファリも終え、今宵の宿へ。
今日はサファリのキャンプサイトです。そう、サファリの中に泊まれるのです。
ちょうどセレンゲティの真ん中あたりらしいです。
<まずはこれから〜>
キャンプと言っても、今流行りのグランピングのような感じ←多分。なぜなら経験なし。
点在している居室テントには大きなベッドに洗面所、トイレ、バスが完備され清潔感溢れること大満足。
<テントの目の前はこんな風景が!>
なんと言ってもシャワーの使い方がめっちゃ素敵!
浴びる前にお願いすると、日中の太陽で温水になったお湯をテントの外にあるバケツに入れてくれるのです。
一人が使っていい量は20リットルとのこと。
テントから大声で「I am ready for taking a shower!」と叫び、シャワーがスタートしました。
使い方は、天井からぶら下がった鎖が2本あり、一つを引っ張るとお湯が出て、もう一つを引っ張ると止まります。
20リットルだと流しっぱなしじゃすぐになくなるとのことで、オンオフ、オンオフを微妙に調整しながら浴びます。
サファリでのお水の大切さは動物も人間も同じなのでした。うんうん。
埃まみれの身体を綺麗にして、次なるは洗濯です。
洗濯は外に置いてあるポリタンクを使用せよ、とのこと。
ジャブジャブと洗濯していると、遠くにはインパラの姿が〜
全てが刺激的で感動的で、ココロもカラダも解き放たれた二日目となりました。
]]>ザブンザブン浴びれないのが残念だったけど、チョロチョロでも気持ちよかです。
身も心も綺麗になり、早速のディナーへ。
タンザニアに到着した日の夕食はホテルで取ったのですが、これが待たされることったらありゃしない。いきなりアフリカタイムのお出迎えでした。
しかもそんなに美味しくなかった。
という訳で、この夜は街へと繰り出したのです。
待ちに待った乾杯の瞬間がやってまいりました〜
いやー本当に美味しいことこの上なし!
しかし全員で写真交換をしたというのに、記念すべき乾杯の写真は無し。誰も撮らなかったくらい、みんな欲していたのでしょう(笑)。
行ったのはこのお店←唯一、Shigeさんがこの写真だけ撮っていてくれた
そして翌朝から、今回のメインイベント(これ多分みんなマヂでそう思っていた)と言ってもいい「サファリツアー」へGO!
荷物は必要なもの除いて、再びホテルへ置いておきました。
サファリツアーのガイドはFrancisという陽気なAfrican guy。
若干わかりにくい英語だけど、運転の腕は間違いなさそうです。
大量のお水やらお弁当やらをランドクルーザーに積み込んで、出発しました。
本日の目的地はタランギーレ国立公園(N.P)。
到着すると、中に入る手続きなどいろいろあって、少々待たされます。その間に、私たちはランチタイム。
それにしても多くのツアー会社がサファリカーを出していて、これがまた全てランドクルーザー。
まあ、勢揃いした姿のかっこいいことったら。
綺麗な舗装路を走る日本のランクルに、違和感を感じてしまいました。やっぱりこの車はアフリカのような悪路を走るように設計されているんですよね。
そしてランチタイム中に、お弁当を狙ってくる輩もいます。
本当に隙を見せたら最後、かっさらっていくすばしっこさと言ったら、腹が立ちます。
タランギーレN.Pは、元々クロサイの保護区として設置されたそうですが、残念ながら今は見られなくなったらしいです。
草原、川、丘など豊富な地形の中にゾウをはじめヌー、シマウマなど様々な動物が生息しています。
そして圧巻なのはバオバブの巨木たち。樹齢数千年のものもあるとか。
しかし、ゾウはバオバブの木を噛んで樹液を吸うために、木の幹までくり抜かれた悲惨な姿もあります。
近年では、住宅が増えたため他のN.Pとの行き来ができなくなり、ゾウの個体数が増え過ぎたために起こっている現象だとのことです。
やはり人間の存在が野生動物へ与える影響というのは大きいのです。
初めて訪れたサファリ。
一番強く印象に残ったのは、多種多様な動物たちが近くに共存している姿です。
キリンやゾウ、シマウマにガゼル全てが近くにいるのです。もちろん草食動物だけじゃなく、肉食動物も近くにいます。
ライオンだってハイエナだって、いつも獲物を狙っているのではなくお腹が空いた時だけ。
だから近くで共存している姿があるのです。
<捕食直後のライオン、近くにはヌーまたはバッファローの死骸がありました>
<一番見たかったのが野生のキリン!人間と同じ、首の骨は7つなんです>
<水辺に集まる動物たち。ゾウ、キリンそして遠くにはシマウマの群れが写っています。たっちーの名作>
これを動物園で見ることは決してありません。
やはり動物園は作られたもの。人間に都合の良いように動物を区分して、その生態を展示しているのだと思いました。
その日は街のホテルへ泊まりました。
<中央がFrancis>
赤土の上に露店が立ち並び、村人が普通に生活をしている中、大きな門と塀に守られた空間の中へ…
オリの中で安全に暮らす動物の姿とオーバーラップしてしまいました。
もちろん私にとっては守られているから居心地は良かったけど。
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気づけば年は明けて2020年になっているじゃないか。
今年の抱負も宣言しないまま、あと一週間で一月も終わりだという。
残すところはサファリなんだけど。
あまりにも刺激的なことが多すぎて、どう整理したらいいのかわからないのが事実なんです。
ちょうど出発前のこと。
たまたまTV番組でセレンゲティ国立公園のサファリの特集をやっていました。全4回全てを録画して2回見ました。
もうイメージが湧きすぎて頭が爆発するぐらい興奮しました。
それを頭に焼き付け現地へ行くとなれば、全てが感動の嵐だったわけです。
ということで少し時間ください。
サファリは想いもあるので時間がある時にしっかり伝えていきたいと思います。
一番お気に入りの写真がこれ!
サファリというとライオンとか象とかがクローズアップされるけど、こんな風に水辺のオアシスがあります。
この近くにはキリンもいたのよ〜
さて話は現在のこと。
相変わらず毎日忙しいです。
12月は2回も本州でスキーキャンプを開催したし、年明けもゆっくりする間なくガイドが始まっているし。
その最中にスウェーデンから姉もやってきたし(もう帰ったけど)。
というわけでお察しの通り、風邪を引きました。
どう考えても完璧に過労です。疲労を通り越して過労。
考えてみればもう孫がいてもおかしくないお年頃。
そろそろ自分の行く末を考えなきゃなーと考えてしまうのです。あっ、今更って感じですよね(苦笑)。
そんな弱気な私ですが、今シーズン、雪が遅く今も少ない状況が続いているけどゲレンデ滑っていても楽しいし、オフピステに行ければ嬉しいし。
オプピステは笹が出ていたりブッシュに拒まれたりと、何かと苦労は多いものの新しく降り積もった雪の中を滑れるだけで幸せだ〜と痛感しています。
こんなに幸せな瞬間を味あわせてくれる「スキー」に出会えた人生に感謝しないとね。
うん、感謝の気持ちを持ちつつ行く末を考えよっと。
]]>
お腹を下し熱があるという。
高山病ではなく、何か細菌にあたったようでした。
前の晩は一緒に夜景見ながら、元気いっぱいだったのに…
診断はできないけど、私が持ってきた抗生物質を飲むことになりました。
トラベルクリニックで予防接種を受けたときに、先生に持っていく薬を相談していました。私は抵抗力が弱いから、旅先で細菌にあたった時ように薬を処方してもらっていたんです。
「お腹壊したり吐いたりした時に熱があるようだったら、この薬を飲むように」
と言われた症状が全く同じだったので、望みを託して。
とはいえ、すぐに効く訳ありません。
しかし下山できる場所ではなかったし、上がるしかないとの判断でアタックキャンプ地まで行くことになりました。
いや〜相当辛かったと思います。
あの体調で4600mまで登り切ったんですから、驚くべき精神力だと思いました。
もう一人の女性であるSちゃんも、高山病の症状が出始めていて、辛そうです。
反対に高度障害が出ていたShigeさんは、徐々に回復し(やっぱりさすがです)、逆に体調が良さそうなのが何よりでした。
なんとかかんとか4時間かけて、バラフキャンプ地に全員無事に到着。
遅いランチを食べた後に、翌日のアタックに備えて仮眠タイムです。
しかし興奮もしているし寝れるもんじゃありません。
ブラブラしたり、またストレッチしたりとゆっくり過ごしました。
ここまで来て初めて現れたマウエンジ峰
Spo2は83
心拍数90
まあこの標高ならまずまずって感じです。
Day6、アタックの日を迎えました。
0:45起床 さっむい!
1:30 Tea & Cookie Time
2:30出発
山頂でご来光を見る場合は、もっと早くに出なくてはならないけど、みんなの判断で少し遅い出発にしました。
どうやら薬が効いてきたようで、たっちーも大分回復してきています。とはいえ通常の50%位みたいですが。
ゆっくりゆっくり歩を進め、みんなで登っていきます。
かなり寒いと聞いていたので、最強の厚着をした私。ちなみに上は6枚、下は4枚。流石にそこまでの厚着は不要で、途中相当脱ぎました(苦笑)。
山頂への道は難しくありません。ほぼ砂礫帯を登っていく感じです。Pole pole〜
暗闇の中を登り始めましたが、だんだんと東の空が明るくなってきました。するとオレンジ色の光をまとったマウエンジ峰(5149M)の姿が現れてきました。
マウエンジは、すでに眼下にあり順調に高度を上げてきているのが分かります。
たっちーから言われていた「自分の楽な呼吸に歩くペースを合わせる」を言い聞かせながら、一歩一歩登っていきます。
だんだんと急な登りになり、息が上がってきました。足が重く、思うように上がりません。
でも幸いに頭が痛いとか気持ちが悪いということはなく、ただただ身体の重さがのしかかってくるだけでした。
最後は気力との闘いです。
ほんとに最後の一滴を振り絞り、ステラポイント(5756M)へ到達しました。
ここはお鉢に上がったところです。この後はお鉢をぐるっと回り最高峰を目指していきます。それにしてもお鉢の大きいことといったら!
考えてみれば富士山の1.5倍はあるわけですもんね。
温暖化の影響でものすごい勢いで減っている氷河
ほとんど横移動なので、もう息が上がることもなくみんな笑顔で一緒に歩いて行きました。
8:15アフリカ大陸最高峰のキリマンジャロ(5845M)登頂!
アクシデントは色々あったけど、ここまで来れました。
しかも全員です。
たっちーの恐るべき回復力は見事としか言いようがありません。笑顔も戻ってよかったよかった。
どこもそうですが、標高の高い場所に長いは禁物です。絶対的に酸素が足りない状況なわけだから、身体に相当負荷がかかっているからです。
その後は富士山の砂走りのような下山をしながら、アタックキャンプまで一気におりました。
それにしても私は下山が苦手。
エルブルスの時も登りは順調だったのに、降りのスキーで高山病を発症してしまいました。
まあ、これはショートターンして転んだからですが(苦笑)。
気をつけながら下山したけど、やっぱりだんだん頭が痛くなってきました。
アタックキャンプで頭痛薬を飲み小休止し、なんとか回復。
15:30ハイキャンプ(3800M)に到着です。
長い一日が終わりました。
標高下げたこともあり、緊張から解放されたこともあり、この日は夕食後一回もトイレに起きずに熟睡!
実に10時間以上寝続けました。
翌日Day7、いよいよ下山です。
朝食の後、HappyGod始めガイド、ポーターたちとお別れのご挨拶です。ガイドは下まで一緒だけど、ポーターたちはここで最後になります。
まずは登頂への祝福のお言葉。そして「皆さんがこうやって来てくれるから、私たちには仕事があり、生活ができます」と真剣な眼差しで語る、HappyGodの顔が忘れられない記憶になりました。
低木帯を抜け、樹林帯に入ると、人が生きていける大地へと戻ってきた気持ちが広がります。
12:30ムエカゲート到着にて下山完了。
こんな素晴らしい経験を積むことができた遠征、そして機会を恵んでくれたたっちー、最後まで励まし合って登ってくれた仲間に感謝の気持ちでいっぱいです。
]]>
バランコキャンプは、山かげなので寒い!
朝陽がなかなか当たってくれません。
しかしながら、歩いた後と朝の2回、洗面器にHOT WATERを出してくれるんです。もう天国ですよ。ありえます?
あ〜いつもサービスしてくれる彼、名前忘れちゃった(涙)
もっと早くブログ書けていれば忘れてないのに←反省。
なんとなくなんですけど、ポーターさんの中でも順位みたいのがあると思います。英語ができれば、接客係になれるけど、喋れなければ荷物をもつ係、みたいな。
出発するとすぐにバランコウォールを越えていきます。一番高いところは標高4,250M。
岩が滑りやすいので要注意とのこと。
所々で三点支持がありますが、思ったほど大変ではありませんでした。
そして登り切ったところにはウフルピークの絶景が広がっています!
上部に少し氷河を纏い、岩と砂礫で完成された姿は、アコンカグアと瓜二つ。
アコンカグア遠征へ一緒に行った、タッチーも稲さんもみんなで「うわ〜すげぇ」と大騒ぎ。
そして11:45にカランガキャンプへ無事に到着。標高3,950M。
今回の遠征で、私は心がけていたことがあります。
それは身体をしっかり整えておくこと。
高度のトレーニングができなかったから、それならばと少しでも酸素を取り入れられる身体にしておこうと思ったんです。
私は、乳がんの胸部手術の影響で肋間筋が硬くなってしまいました。
肋間筋は呼吸の時に使う筋肉なので、硬くなると呼吸に影響がでてしまいます。
なので、一番気をつけていたのは、肋骨を柔らかくしておくことでした。
今日はかなり早くキャンプ地に入ったので、入念に体操やストレッチをして身体をほぐしました。
こういう時間がしっかり持てるのはラッキーだと思います。
その晩の夕景と星空は、言葉を失うほど美しかった…
天の河がウフルピークから、タンザニアの町へと続いています。
「タンザニアの人にとって、キリマンジャロは太古から繋がる大切な心なんだろうなぁ」
そして一夜明け。
大変なことが起こりました!
我がリーダー、たっちーの具合が悪くなってしまったのです。
ひゃー
Shigeさんに続き、たっちーまでも…
つづく←年越さないようにがんばります(笑)
]]>
昨晩もお決まりのトイレタイムはありましたが、とにかく満天の星空が綺麗なので、いつもよりトイレに行くのが嫌ではありません。
こぼれ落ちてきそうなほど満天に輝く星空が〜〜〜
これが雨だったり雪だったりすると最悪なんですけどね(苦笑)。
今日からは2日かけて4000m〜4600mあたりを登ったり降ったりしながら横移動し、高度順応をしていきます。そして3日目に4600mのアタックキャンプへ入るという行程です。
まずは4600mのラバタワーという溶岩でできた大きな岩を目指します。
道は急ではなく平坦で丘を登っていくような気分。
歩き始めると摩訶不思議な植物が目に入ってきました。
「とうもろこしのサヤを剥いたら、中に黄色の粒々が入ってない!残念〜」
と言ったような植物。
名前はジャイアントロベリア。
下の方の葉中に水を溜め込んでいるそうです。
歩き出して4時間半で、最初の目的地ラバタワーに到着しました。
ここもキャンプ地ですが、我がチームはここでランチを取って先に進みます。
しかしランチというのに、ダイニングテントも用意されていて殿様&お姫様ツアー。
良いのか悪いのか…
登っている途中から、なんとなく様子がおかしかったチームメイト1名の調子があまりよく無さそうです。
どうやら高山病を発症してしまいました。頭痛と吐き気です。
本日の行程は、ここが一番高いので標高下げて楽になればいいのですが…
がんばれ、Shigeさん!
しかし私も、ここまで登ってくる最中、若干頭が重い感じがあったので要注意です。
そこからは下りです。
下りが苦手な私がポールを準備しました。
メインガイドのHappygodから「ポールが長すぎるよ」と指摘されましたが、「アタイはプロのスキーヤーだい!」と反抗しながらも、超慎重に降りて行きました。
しばし降りて振り返ると、ラバタワーが見えます。
横から見る姿はタワーではなく、そそり立った断崖。
地球の創世記、この地ではどれだけの噴火が繰り返されたのでしょうか。
想像しただけで震えがきてしまいました。
今日のキャンプ地・バランコキャンプが近づいてくると、切り立った岩山の合間に巨大な植物が見えてきました。
予習のために見ていたDVDで知ってはいたけど、その存在感に言葉を失いました。
ジャイアントセネシオ(キク科)
見た目は木のようだけど、日本でもお馴染みのキクの仲間です。びっくりです!
幹の中が空洞になっていて日中に温められるため気温低下にも耐えられるとか。
また葉は枯れても落ちないので、それも断熱材の役目をしているそうです。
標高4000mなのに、なぜこんな巨大な植物?
それにしてもキリマンジャロの豊富な山容は、驚きの連続です。
石がゴロゴロして砂だらけでひたすら歩くだけ、というイメージを持っていた私が恥ずかしい。
百聞は一見にしかず
肝に銘じました。
本日の行程
3,750m〜4,600m〜3,940mのバランコキャンプ地
移動距離 10.75km
行動時間 7時間45分
]]>毎日このtea timeというのがあって、お茶とおやつを出してくれます。とにかく水分を取ることは必須なので、暖かいお茶は助かります。
そしてその後はHot lunch!
いや〜かなり有難いし何よりシェフの腕前は完璧。めっちゃ美味しいんです。
贅沢ですよね、歩いた後に何もしなくてもお茶や食事のサービスがあり、ましてや暖かいものとなると。
幸せ度100%です。
休憩したあと、夕方に高度順応のため標高約4000mあたりまでプラプラと散策しました。とにかくゆっくりゆっくりpole pole〜
段々ペースがわかってきて、歩くことだけじゃなく色んな動作にリズムが出てきた感じがします。
photo:Shige
ふむ、よしよし。
ちなみにKilimanjaroは山脈に属さない独立峰では世界で最も高い山です。
東西約50km、南北約30kmというとてつもなく大きな山で、西から東へシラ峰(3962m)、キボ峰(5895m)、マウエンジ峰(約5149m)の3つの成層火山で成り立っています。
私たちは西側から登ったので、シラ峰も間近で見ることができました。
が、あまりにも広大で説明してくれたけど、どれがpeakだか解らなかった(苦笑)。
photo:Shige
1時間ほどでテントに戻ると、今回のガイド始めポーターたちと自己紹介タイムとなりました。
一人一人名前を言ってご挨拶。
全員で19名ものスタッフなので、さすがに名前は覚えられないけど、できるだけ顔は覚えようと努力せねばです。
なんたって共同装備はもちろんのこと、自分の荷物まで持ってもらっている訳ですから。
自己紹介の後は誰からともなく歌が始まりました!
Kilimanjaro〜♪Kilimanjaro〜♪
みんなで手拍子しながら大合唱!いや〜楽しかった。最高です。
どうやらWelcome songな感じで、その後はキャンプ中にこの歌が響いてました。
ちなみに私はだいぶ覚えましたよ(笑)。
他のパーティですが、こんな感じ。
photo:Shige
前の晩はまだ熱帯雨林の中だったので、景色はあまり見れませんでしたが、森林限界を越えたので景色はまさに絶景!
午後から曇が広がり姿を隠していたキボ峰も夕景のなか、輝いていました。
雲海の下にはアフリカのサバンナが広がる〜
遠くのお椀みたいな山は、アフリカで5番目に高いMt.Meru(4562m)
ちょっと登ってみたい気もする。
]]>
<手前の荷物は、私たちがポーターさんに預けた荷物>
ちなみにゲストテントは3人用テント3張りだったので、私は優雅にお一人様生活。普段、そうそう「ゆったりテント泊」は無いので、どこにどう荷物を置いて、どこに身を置けばいいのかがわからない貧乏性(笑)。
まあ、3泊目くらいからはすっかり広い生活に慣れ、ゆったりストレッチとかしてましたが(笑)。
前回のブログで書き忘れましたが、初日の晩から朝晩2回のSpo2チェックが始まります。Spo2とは、経皮的動脈血酸素飽和度のこと。小難しいけど、要は身体の中にどれだけ酸素を取り入れられているかってことです。
平常範囲は96~99%です。
標高が上がれば上がるほど空気中の酸素量は減りますので、大体富士山位で平地の1/3、標高5000m位で半分、エベレスト山頂となると1/3ほどになります。しかも呼吸で体内に取り入れられる量はもっと減り、富士山で半分、5000mで1/3、エベレストでは1/4だとか!
前のブログでも書きましたが、今回私にとっての高度順応のチャンスは、出発前の週の富士山のみでした。
ちなみにエルブルスの時は富士山に2回、アコンカグアの時は5回登っていました。それにプラス「MIURA BASE」の低酸素トレーニングも受けていました。
しかし、北海道に拠点を移してしまったために富士山へは行けないし、ましてやMIURA BASEに通うなんということは夢のまた夢。
出発前は相当焦っていたし、正直、自分のコンディションがどうなるか全くわからない不安状態でのチャレンジでした。
ちなみに昨晩の私のSpo2はというと、91~92%。心拍数は100です。
何回か高所を経験してきたので、大体の自分の陥りやすい状況というのがわかっているのですが、Spo2はまずまずですが、若干心拍数が高めです。私の場合、心拍数が上がりすぎると、結果的にSpo2が下がってきて高度障害を発症しやすいので、初日の晩から高山病の予防薬として使用されるダイアモックスを1/2錠飲み始めることにしました。
それが功をなしたのか解りませんが、体調は問題なく次なるキャンプ地へと出発となりました。まあ、正直ここで体調が崩れ始めていたら、この先は相当まずいことになると思います。
低木帯を歩いていく道からは、目指すUFURU PEAKが望めます。
その内に低木の中に様々な岩が目立ち始め、そこを彩るかのように花々が咲く登山道が続いていきます。
とにかくお花が不思議で綺麗です。日本とは違って肉厚でトゲトゲしているけど、嫌味がない感じ。
熱帯雨林からうって変わった山の様相の変化、そして目の前にそびえるPeak、振り返るとアフリカの大地から湧き出る雲海が広がり、ただただ感動しながら登っていました。
行動時間約5時間程度で、予定通りに二日目のシラ2キャンプ(標高約3,750m)に到着です。
この日のキャンプの様子は次回に繰り越し〜
]]>
この後どういう風なスケジュールかと言いますと。
1、MOSHIのホテルに一泊し登山の荷物準備。登山に必要のない荷物はホテル預け→6泊7日のキリマンジャロ登頂へ。
2、下山後、また同じホテルに一泊しサファリツアーの荷物準備。サファリに必要のない荷物はホテル預け→3泊4日のサファリツアーへ。
3、サファリから戻ったらまた同じホテルに一泊し、全ての荷物をパッキングして帰国。
という具合です。
とにかく赤道直下、しかし高地登山あり、サバンナ地帯のサファリツアーありという複雑な気候なので荷物に悩んだことと言ったら伝えきれません。
まあこの荷物に関しては、後日ゆっくりお伝えするとして、まずはアフリカ大陸最高峰へGO!です。
登頂の祈願を祈ってカンパ〜イ!
キリマンジャロビール、かなり美味しいです。
翌朝、現地ガイドの方々が迎えに来てくれて一路マチャメルートの登山口へ向かいました。
キリマンジャロはバリエーション豊富なルートがたくさんありますが、たっちーが選んだのは、少し時間がかけながら高度順応をして全てテント泊となる、山の南西から登るルートです。
一番メジャーなのは山小屋泊で登れるマラングルートで、日数も短いので日本人にも人気が高いそうです。
が、後にも先にもこのルートで大正解!
町を出発し郊外へと向かうと、思ったより集落が多いことに気がつきました。その集落ごとに多くの人が集まり、露店で物を売ったり、何やら話し込んでいたり。そして何をやっているのかは不明だけど、必ずバイク野郎集団がいて、停めたバイクにヘルメットをかぶりバイクにまたがっているんです。これについては最後まで謎でした(苦笑)。
そしてバナナ農園を横目に標高をどんどん上げ、標高約1800mの登山口に到着です。
いや〜、人がいるわいるわで大賑わい。
考えてみたら私たち5名に対して、ガイドさんポーターさんなど19名がつき、総勢24名という大所帯になるんですから、他のチームもいればそうなりますよね。
登山口ではポーターさんたちの荷物チェックが行われます。一人に対して持っていい重量は20kgと決まっていて、測りで厳しくチェックしていました。
ちなみに思ったより涼しく、半パン姿だったたっちーは長パンに履き替えていました。
さていよいよ出発です。
現地ガイドはリーダーのHappyGodと、サブガイドのArnoldのお二人です。「Pole pole〜」と幾度となく言われながら、熱帯雨林の中を歩き始めました。
Pole poleとは「ゆっくりゆっくり」というスワヒリ語。
1日目は、熱帯雨林と次にやってくる低木帯との境目にあるキャンプ地・マチャメキャンプ(標高約2,835m)まで、約11kmの道のりです。
熱帯雨林、ものすごく楽しみにしていたのですが、想像以上に素晴らしかったです。日本じゃ絶対見られない種類のよくわからない巨木あり、キリマンジャロにしか咲いていない花々あり、おまけにモンキーまで登場してくれて、いきなりキリマンジャロの豊かな自然に大満足でした。
<インパテンス・キリマンジャリカ>
<エバーラスティングフラワー>
]]>
まずは応援してくださったみなさまに、心よりお礼申し上げます。
と、堅苦しい挨拶から始まりましたが、ここからはいつも通りにゆっちん口調で、スルスルっと遠征の様子をお伝えしていきたいと思います。
いやいや、本当にがんばりましたよ(自負)。
ブログでの奮闘ぶりを読んでいただければ、その姿がわかるかと思いますが…
新千歳空港からDOHA経由でキリマンジャロ空港へ。
行きは乗り換えがスムーズなので、フライトタイムは26時間くらい。初のカタール航空でしたが、これまたサービスはいいしご飯は美味しいし、なかなか快適です。
もりもりご飯を食べ、ワインを飲み、映画を見てご満悦の旅でしたが…
ここで何もなく終わるはずが無い、私らしい旅の始まりがやってまいりました。
羽田から、DOHAまでの座席はエコノミーにも関わらず、アメニティーやら何やら付いていました。何が良かったかって枕も付いていたんです。
いや〜快適、快適と枕を使いながら、ふとあることに気づきました。
「そうだ!せっかくポーターさんが荷物を運んでくれるのだから、テント生活をより快適にするために、この枕をGETしていこう」という悪だくみです。
DOHAに到着し飛行機を降りるときに、なるべく周りに気付かれないように、そそくさと枕をバックパックに押し込めました。
しめしめ(笑)。
初のDOHAターミナルでしたが、さすがは世界のハブ空港。広いし、綺麗だし、活気あふれています。
次の便のゲートがまだ決まってなかったので、しばし待ち、ゲートがわかってからみんなでカフェに入ることにしました。
「そうだそうだ、みんなに枕を自慢しよっと」と、バックパックをガサゴソしていた時です。
「あれ?飛行機の中で使っていたポーチがない!」
もうそこから慌てたのなんのって、広いことに感激していたターミナルを、「なんでこんなに広いのよぉ〜」と泣きたいばかりに駆けずり回ることになってしまったのです。
なぜそこまで慌てたかというと、中に大切なコンタクトレンズが入っていたからです。
以前、ギリシャのKefaloniaに行った時に荷物が3日も届かず、とても大変だった記憶が新しかったため、16日分のコンタクト半分の8日分を、手荷物としてポーチに入れていたのです。
とにかくダッシュしてインフォメーションへ。それぞれに時間がかかるので、待つこと数十分、イライラしながら聞くとトランスファーデスクへ行けと指示。
言われた通りに向かってみるけど、なかなか見つからずに階段で上へ上がったり下へ駆け下りたり。
ようやくトランスファーデスクにたどり着き、係りの人に事態を説明しました。
あなたが乗ってきた飛行機は遠くにあるから、時間がかかるとのこと。これから人を向かわせるから少し待ちなさいとの回答でした。
待つこと30分。
結果は…
発見できず、、、とほほ。
しかし私は待っている間に色々と考えました。
もし見つからなかった場合にどう対処したらいいのか?
残りの8枚を二日ずつ使えばいいということに気づいたのです。しかしそれには保存液とコンタクトを入れる容器が必要です。
とにかく乗り換えに急がなければならなかったので、その希望は滞在予定地のMOSHIという町に託すことにしました。
まあ、リーダーたっちーには、「アフリカ人は目が良いんだから、コンタクトなんて使ってないよ!」と、無情にも言い放たれましたが(涙)。
「あ〜あ、、しょっぱなからとんでもないことになってしまった。こんなんでキリマンジャロを楽しめるんだろか…前回のエルブルスではビンディングが壊れて大変なことになるし、全く私はなんでこうダメダメちゃんなんだろう」と嘆きつつキリマンジャロ空港へと身体は無事に到着しました。
しかし心はウキウキです。
ずーっと昔から行きたかったアフリカの大地を踏みしめているんですから!
機内預けの荷物は無事に出てきて、現地のエージェントの方とも合流し、一路町へと向かいました。
たっちーがすぐにドライバーに説明してくれて、途中でドラッグストアへ寄ってみることに。
ドラッグストアと言っても、町の小さな薬屋さんって程度。はい、ありませんでした。
もう一軒あるからということで、次のお店へ行くとそこも同じくらいの小さなお店です。半ば諦めつつ聞くと、ありました!!
なんとオプティーフリーの箱が輝いています!
「中にコンタクトを入れる容器が入っているか?」と聞くと、「ないよ」とつれない返事。
それでも保存液があったのだからヨシとし、あとはホテルでなんか策を相談してみることにしました。
やるなぁ、アフリカ!
目が悪い人もいるのね〜
結果として、箱の中には容器もありメデタシメデタシ(笑)。
しかし中に入っていたのはコンタクトだけではありません。
何はともあれ、最重要品のコンタクトが半分あるのだから不幸中の幸と、自分を納得させた初日になりました。
]]>昨年、富士浅間神社から6合目まで歩き、その続きで山頂を目指す「富士山ハイキングツアー」を予定していましたが、考え抜いた末にキャンセルしました。
1泊2日の富士登山ですが、遠く北海道へ移住した私にとって富士山はとっても遠い山になってしまったのです。
なんてったって3泊4日かかる!
金曜日中に御殿場まで入って宿泊→翌朝のバスで五合目→高度順応のため8合目あたりの山小屋に宿泊→山頂に登り下山→バスで御殿場へ行き宿泊→翌日に羽田から北海道へ帰る
という長い道中になるんです。
最短だと、初日になんとか五合目まで行って泊まり、翌日に日帰りで登頂し下山。御殿場かどっか泊まって翌日に帰るって感じでしょうか。
しかし今回はお客様をお連れするツアーにしたので、ゆったりプラン。
いや〜〜〜
さすがに台風でどう転ぶかわからないのにツアーを強行するのは、辛かっただけの山登りになっては申し訳ないし、キャンセルは必須でした。
が!!
私はキリマンジャロへ向けて高度順応をしておきたかった、いや、すべきなのです。
私一人でも強行に行くべきか…
仕事も準備も何もかもたまっているので、若干だけ潔く(笑)全てをキャンセルしました。
実を言うと、この間の自転車の翌朝から蕁麻疹が出てしまっていたのです。多分疲労が原因ではないかと。
私、自分で言うのもなんですが、本当に身体が弱いんです。子供の頃から。
しかし、精神的に良くありませんよね〜
最後の調整ができなかったのです。
そんな気持ちを払拭すべく、そう、私には蝦夷富士があるではありませんか!
キリマンジャロはアタックの日は標高差1500mほど登り、その後3000m近く下山するハードな行程です。
日曜日にソロにて、とにかく息をあげて登ろう!と決意し挑んできました。
大汗かきかき、水分ガブガブ飲んで、息がハアハアするまで心拍上げてのトレーニングです。キツかった〜
正直、8合目すぎたあたりで足がもつれて転倒する始末(涙)。
でも、山の上はすでに紅葉が始まっていて、そんな景色を見たら少しだけ気持ちがクールダウンできました。
そして6合目で、なんと一緒にエルブルスへチャレンジした仲間の沢田さんとバッタリ会ったのです。激励もしてくれて、本当に力になりました。
さてこれが吉と出るか凶と出るか?
神のみぞ知る訳ですが、今回のチャレンジにあたり私が不足していると思える体力面の強化は多少できたんじゃないかなと自分に言い聞かせています。
ちなみにその前の週末は初の日高へ。
遥かなるペテガリ岳に登ってきました。これまた遠いのなんのって、遥か遠くにどころかどこにあんの?って感じでした。
しかも急登、急降の連続でして。
高度順応という一抹の不安を抱えながらになりますが、残すところ4日!
頑張ります。
]]>なっちゃったという表現は、まさに正解で何となく寂しい気がする今日この頃なのです。
東京で暮らしているときは、「暑い!もうだめ!」って騒いでいたのに、ゲンキンなものです。
昨日はトレーニングの日!と決め、4回目の羊蹄山トレーニングへ行くつもりでした。
高度順応での富士山になかなか行けないので、それなら体力アップだと思い、すぐ目の前にそびえ立つ羊蹄山があるではないか!という訳です。
登山口から山頂までの標高差が約1500m位なので、キリマンジャロアタックに向けてはバッチリなのです。
が…
どうしても仕事が立て込んでおり、1日費やす羊蹄山は諦め、久しぶりに自転車でチャリチャリっと羊蹄山山麓1周のロングランに行ってきました。
一応、元自転車チーム「柿ドロボー」のメンバーとして、何だかんだと自転車は漕いだ経験があります。1日100kmとか、秩父の山とか。
けど、ニセコは何たって自転車の本場なので皆さんマジで走っていて、あまりにも恥ずかしくて「自転車やってました」なーんて言えません(苦笑)。
と言い訳しつつも…
少し遠回りしたり、寄り道したりして昨日は反時計回りに約50km、時間にして4時間半位は走ったかなー
初めて踏み入れる道もあったし、いつも車で行く場所もあったし、なかなか発見も多々あって楽しかったです。
やっぱり自転車で風切るのも気持ち良いし、なんてたって興味あったらすぐに停まれるところが楽しいですよね。
しかし、5kmも続く緩やかな登りや、最後の最後に向かい風の長い直線など、北海道ならではの苦しさも体験し、大満足のサイクリングでした。
トレーニングと言えども、楽しまなきゃソンソン♪
久しぶりに訪れた「曽我神社」。車だといつも素通りしちゃう場所@ニセコ町
ニセコ道の駅で大好物をゲット!大切に持って帰りました(笑)
ちょっとした上り降りに一喜一憂〜@真狩村
今日はたくさん集合していたダチョウたち@真狩村
羊蹄山の湧き水が、これでもかと流れ出る吹き出し公園@京極町
]]>過去よりも未来さ〜
という訳で色んなことが起こっている毎日ですが、重くのしかかっていたことの一つに区切りがつき始めてきたので、いよいよ来月挑む「キリマンジャロ登頂」へ向けて、スイッチをポチッと押した次第です。
まあ、かなり遅すぎるのですが…
基本的に予防接種は受けなくて良い(現地までのルートによる)のですが、色々と考えてみたら身体の弱い私は、まんまと何かが起こる可能性が高いわけで、それじゃあイケナイ!と予防接種を受けることにしました。
しかし、東京と違って病院がたくさんある訳でもなし、しかもお盆休み直前という事実。慌てて、美緒先生に相談したら、なんとニセコでもトラベルクリニックをやっている病院があるではありませんか!
すぐに電話して昨日相談をしてきました。
ニセコインターナショナルクリニック
https://www.niseko-nic-jp.com
希望として残り一ヶ月という段階で出来る限りのことをしたいと先生に懇願したところ、予防接種って1回で済む訳じゃなく、数週間置いてから2回もあるし、3回のもあるし、生ワクチンだから入荷まで4週間かかるというのもあるし、とにかくスケジューリングが大変ということが解りました。
けど、先生曰く「例え1回でも打っていけば免疫は上がるから、やるに越したことなし」とのこと。
必要な予防接種の優先順位を考えて、結果として以下の予定になりました。
A型肝炎→これは2回受けられる。
破傷風→本来なら3回が望ましいけど、残念ながら出発までに1回のみ。
麻疹→出発までに1回。ちなみにこれは「はしか」というやつでした。近年、流行っているんですってね。
マラリア→これは予防薬で、出発の1日前から飲み始め帰国後1ヶ月間も飲み続けなければならない。抗生剤だから迷い中。なぜなら私は抗生剤にあまり強くないし、今回行く場所は、ほぼほぼ標高1000m越えだから蚊の媒介が少ないのかと。
ダイアモックス→これも経口剤。高所へ行った時にお守りがわりに持っておく。ちなみにAconcaguaでは使いました。
予防接種で、ちょこっと恐れているのが副作用。なんといったって私はインフルエンザの予防接種で熱を出すタイプなのです。
は〜…
いつもながら、チャレンジへ向けては多くの努力が必要だから、準備から楽しまないと!と自分を奮い立たせている今日この頃なのでした。
]]>気がつけば6月!
私ったら5月はブログを一回も書かず…ダメダメちゃんだぁ。
何やっていたかというと、GWでスキーキャンプは全て終了し(あっ、報告はFBにて)、その後は色んなお片づけやら何やらやっておりました。
しかもこの間、2回も東京行きがありまして。
高千穂にも取材に行ったりして。
あいも変わらず、あっち行ったりこっち行ったりしております。
そんな私ですが、いよいよグリーンシーズンへ突入!
「ニセコ羊蹄山岳会」という地元で活動している会があり、そこへ入会させていただき、グリーンシーズン最初の活動は白樺山へ清掃登山。
お花がめっちゃ綺麗でしたよー
悲しいことにお花に全く知識のない私ですが、少しずつ覚え始めています。そんな訳で覚えたてホヤホヤの頭の中を披露しちゃいますか(笑)。
ミヤマアズマギク
ハクサンチドリ
ツバメオモト
そして日曜日は、イワオヌプリの偵察へ。
ちょうど山開きがあり、夏山登山の安全祈願をしながら山頂へゆっくり上がってきました。
少し残雪もありましたが、こちらも花々が綺麗にお出迎えしてくれて、植物に勢いを感じました。
つい一ヶ月前まで滑っていたのにね、すごいね自然って。
と言うわけで、ニセコファイナルキャンプにて、気持ちよく滑走した斜面をチェックチェック!
使用前、使用後的な感じですが。
夏のニセコ探訪はまだまだ続きます!
]]>とにかく左外足に乗りづらく、軸がしっかり取れないのを悩んでいました。
人のことは分かっても、自分のことって本当にわからない。
春になって練習する時間が増えたので、手を変え品を変え、あーでもないこーでもない。
それでもピンとこなくて悶々としておりました。
先日、久しぶりに洋一さんと滑りました。
近くにいてもね、お互い忙しいからなかなかタイミングって合わないもので…
洋一さんはお知り合いが多いから、あちこちから声がかかります。たまたま会ったショップの若い男子たちと、一緒に滑ろうとなりまずは一本。
ニセコですからね〜
一本と言っても相当な距離だし、この間派手に大転倒したから、慎重に滑りながら、やっぱり調子が悪い。
むーっ…
そんな矢先、洋一さんが若い男子たちにアドバイスをしていたのを横で聞いてたんですが、ピン!ときちゃって、閃いちゃって大変!
別に難しいことじゃないんです。
普通に当たり前に意識しているはずのこと。
けど、いつの間にかその意識が弱くなって、というか多分、抜け落ちちゃったくらいに身体の感覚として忘れ去られていました。
どういうことかというと、「スキーのトップを踏むくらいの意識」。
ポジションを前にというのは、いつも意識していたけど、身体の中でそれが体現できていなかったのです。
なぜならスキーは用具を使うスポーツだから、体性感覚を用具と繋げないとダメなんですよね。
言葉で説明するのは難しいけど、要するに「スキーのトップを踏むくらいの意識を持つことで、自然とポジションは前に出る」ということです。
その次の一本の調子の良いことったら!
あ〜この感覚を忘れないように。
そしてシーズンオフに入ったら、イメトレも使いながら用具と身体をつなげていこっと。
またしてもスキーが楽しくなって仕方ない春なのでした。
]]>
3月半ばで、連日続いたスキーの仕事もようやく一段落。
荷物もぐちゃぐちゃ、気持ちもぐちゃぐちゃ、おまけに身体はドヨ〜ンと疲れているのを色々片付けようと思いきや…
雪が降ってしまう訳で…
「もうこれで最後だよね〜」
「ラストパウダー楽しまないと!」
などと言いつつ、滑る滑る。
もうどうにも止まらない!という様相の中、ローカルスキーを楽しんでいます。
この間の日曜日は、友達に誘われて「ニセコ連峰縦走ツアー」に参加してきました。
チセヌプリの麓からスタートして、岩内湾へ向かって滑り降りるロングコースです。昨年まではもう少し短いコースでも可能でしたが、途中にある新見温泉が営業をやめてしまったので、除雪が入らなくなり、奥まで行けなくなってしまったのです。
遠かったけど久しぶりにニセコ連峰の奥まで行けて大満足!
しかもお天気最高の日曜日というのに、人がほとんどいなくて、大自然を満喫できました。
距離:18.2km
行動時間:7時間30分
そうこうしていたら、昨年エルブルスへ一緒にチャレンジした仲間から連絡があり、ニセコに遊びに来るとのこと。
これまた久しぶりの再会でハイテンション!
やっぱりね、「同じ釜の飯を食った」とでも言うのでしょうか。苦楽を共にして、一つの目標へ一緒に向かった仲間というのは、言葉じゃなく通じ合う何かがあるような気がしています。
しかもなんてたって、最後に一緒に滑ったのがエルブルス山頂からのスキー。おまけに下山で転倒した私はスキー中に高山病になり、フラフラで滑り降りてきた訳です。
それ以来のスキーだったので、名誉挽回?
と思いきや…
1本目からまたしても大転倒!
ストックは上に飛んでいき〜
私は下へグルグル回転し〜
外れたスキーは下へ滑っていってしまい〜
全て回収して助けてもらいましたとさ(苦笑)。
さてと、明日からは「ゆっこツアー」にて南八甲田縦走スキーです。
函館まで車でブーンと行って、北海道新幹線で青森さ行ってくるべ。
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