今の私がある理由・立教ワンゲルの山小屋へ


先週、私が初めてスキーをつけて雪遊びを始めた場所に行って来ました。そこは奥利根の上ノ原という場所です。
父は立教大学のワンダーフォーゲル部に所属していて、その山小屋に幼い頃から良く連れて行かれていたんですよね。
 

私は3兄姉の末っ子なので、必然的に小さい頃から連れ出されていました。聞かされていたのは3歳のころには、全ておさがりセットで滑るというか、雪と戯れていたそうです。
 
当時はやっと電気が通ったという山小屋。もちろんTVもないし電話もありません。そういえば、年末の紅白歌合戦やレコード大賞を初めて観たのは、ここで年越ししなかった中学生の頃だったような?
しかも一番近いバス停からは、大人の足で徒歩1時間の登り。私はというと、歩けなくなると荷物などを運びに降りてきてくれる、現役部員のお兄さんが引くソリに乗っけてもらっていました。
かなり仙人のような子供だったんでしょうねえ(笑)。
 
スキーはというと、もちろんリフトはありません。一番近い民家の方が管理人さんをしてくれていたんですが、その方がつけてくれたロープトゥを使うか、歩いて登るかでした。
 
ちなみにロープトゥって言っても、ワイヤーロープがグルグル回っていて、それを手で掴むだけのもの。幼い私は握力もないから、一人では使えず(どうしてもズルズル落っこちちゃうんです)、現役の学生のお兄さんとかが後ろから支えてくれていたけど、辛かった記憶があるなー

 
そんな私には、ふたつの大冒険がありました。
 
ひとつは山小屋の裏手からツアースキーで、湯の小屋温泉まで行くこと。時間的な事とかは全く覚えていませんが、往復していた記憶があります。多分、温泉に入って、父たちは一杯引っ掛けて、またスキーつけて戻ってきていたんでしょうね。
 
そして時折、宝川温泉まえ足を伸ばしていた記憶もあります。この時はどうやって行ったんだろう?
まだ父が生きていたら、今更ながらに聞きたかったな。
 
もうひとつの冒険は、帰る際にはバス停までの登りをスキーで滑り降りること。
徒歩1時間って言ったら結構な距離があり、とても楽しかったんです。
 
そうそう、その中でも辛かった記憶もあってですね。
なぜか山小屋から一番に出発させられた時があったんですよね。多分まだ小学校低学年だったのに、ひとりぼっちで。
言われたのは父親からのこの一言「バス停まではずっと真っすぐだからな。行けば解るよ」。
 
颯爽と滑っていったのはいいけれど、一本道じゃなく分かれ道があったんです。どっちへ行っていいのか解らない、ひとりぼっち、となれば子供のことだから、急に不安になります。
ギャンギャン泣いていたら、後ろから滑って来た兄だか姉だったかに見つけてもらい、何とかバス停まで滑っていったんですよね。
 
その話を聞いた父は高らかに大笑い。
全くもって凄い育てられ方をしたもんです。

 
しかし今更ながらに、DNAとここでの数々の経験が今の私を形成しているんだなーと感じます。
ゲームや遊園地に行くより、スキーしていた方がよっぽど生のスリルがありますもん。そんな私だからファッションとかブランドとかには、どうしても馴染めないんだろうなー

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