晴れて道民になりました


2019年の抱負でもある「整える」こと。

 

一応ちょこっとずつ進んでいるのですが、今日は大きな一歩を出しピヨ〜ンと飛んでみました!

 

本日大安吉日に行政的にも手続きをし、晴れて北海道民です!

 

ひと所に収まらない「風の人」でもある私は、四半世紀に渡りあちこち移り住んできました。本当に風の向くまま、気の向くまま〜(笑)。

しかし乳がんという大きな病気になったことと、父が他界したことが重なって、生まれ住んだ世田谷区に落ち着いていました。

 

まあ元々は都会っ子な訳で、別段暮らしづらいとかはなかったのですが、1年のうち、半年近くをニセコで過ごすという半々の生活に疲れ果てていました。

 

何が大変って、「あ〜!あれは東京にある」とか「あれ?どこにやったっけ」なんてことは日常茶飯事。

昨年のエルブルス行きの時は、VISA取得のために急遽パスポートが必要になり、1泊2日の弾丸東京帰りを決行したこともあったっけ。

 

そんなこんなで肉体的にも金銭的にも大きな負担がある二重生活にピリオドを打ったわけですが、いやはやこの歳になると、たくさんの荷物を背負い込んでいるから、まあ色々大変でして。

 

年末に引越ししてようやく落ち着いてきたので、住民票を移したという次第です。

 

しかしこの時期、いつもニセコで過ごしているのが普通だから、まだ完全引越をした気がしないんですよねー

GWが過ぎ、スキーシーズンが終わった時に感じるのかな?

 

まあボチボチがんばります。

 

じゃ〜ん、なんと倶知安町のキャラクター「じゃが太くん」が描かれているのだ。



東京ホテル暮らし


Vector Glide Women’s Camp in NOZAWAONENが終了し、昨日から東京ホテル暮らしが始まりました。

 

思えば度々の引越しで東京を離れたこともあったけど、両親や兄が東京へいたので、東京でホテルに泊まるというのはありませんでした。

私にとって東京は故郷な訳ですから…

 

ニセコに移住した友人たちは口を揃えて「そんなのすぐに慣れますよ」と言うけれど、なんだかまだヘンテコリンな気分。

 

昨日、飯山から新幹線に乗って上野駅で降りました。

いつもなら東京駅で降りて、京浜東北線に乗ってというルートじゃない不思議感。

元来ショッピングというものに、そんなに興味のない私は、洋服など買うにしても地元の二子玉川や自由が丘で済ませていたけど、今回はホテルに近い池袋にしようと検索する不思議感。

 

そんないろいろな不思議な出来事が、繰り返されれば当たり前になるのかなぁ…

東京のマンションから見えた風景が妙に懐かしい反面、早くニセコの生活が私にとって、当たり前の生活になりたいなと思うのでした。

 

 

 

 

なんだか今までにないセンチな気分に浸っている今日この頃です。

 

さて、気分を変えて両親のお墓参り、そして「ボヘミアンラプソディ」でも観てこよーっと。



2018激変に終わりを告げよう!


平成最後の幕が降りるまで残すところ数時間となりました。

 

この一年を振り返ると「激変」の2文字がピッタリな気分です。本来自由に生きている私は、自分で自分の向かう方向性を決めるたち。しかし周りのうねりに飲み込まれ、あれよあれよと言う間に、激流に飲まれ揉まれここまで流れてきたような気分です。

 

それが良いとか悪いとかマイナスが気持ちではなく、ゆっくり考える間がなかった状況でした。

まるで満員電車の中であがいてもどうしようもなく、あっちに押されこっちに押され、自分の意志を持つ余裕がないという感じ。

 

ゆらゆら漂うのなら大歓迎なんですけどね(苦笑)。

激流だったもんで、苦しいことも多々ありました。

 

2018激流のシメは、「お引越し」です。

わずか1ヶ月という短期間で、ニセコへの移住を決め1226日に9年間住んだマンションを引き払い、北海道への生活をスタートさせました。

 

6年間に及ぶ二重生活のピリオドを打つ予定はありましたが、こんなに早く決断する日が来るとは思いませんでした。

なので、バタバタを通り越しまるでドタバタ劇。

 

なんたって引越しを決めた時には、すでにスキーシーズンがスタートしていた訳ですからね。

半分以上東京にいない中で、スキーキャンプの準備、ピラティスのレッスン、引越しへ向けた荷物の整理etc…

 

身体が疲れるより頭が疲れ果てました。

そりゃそうですよねー

その間、なんたってスキーブーツを3回も忘れて行動してしまいましたし(笑)。

 

しかし!おかげさまで、なんとか暮らせるまでに整えたので、無事に年越しできそうです。

 

本年も大変お世話になりました。来たる2019年は「平穏」を望みながら、形を整えていきたいと思います。

 

みなさまが迎える新しい年も素晴らしい時間になりますように。

 

PS.

しかしまあ、私の生涯って絶対にドラマや映画になると思うのは、自分だけでしょうかねえ…



何だろう、この意味


今日、たまたまつけたTV番組はTBSの「世界遺産」でした。

 

カナダの北東部にあるニューファンドランド島の「グロスモーン島国立公園」のこと。

初めて見る映像は、地球の成り立ちに対しての限りなくロマンが広がり、あっという間に惹き付けられて見てしまいました。

そこは、ちょうど「流れる氷河」の通り道だそうで、あのタイタニックも、その氷河に衝突し沈んだそうです。

 

ニューファンドランドっていう犬種がいるのご存知ですか?

 

亡き私の兄がアメリカにいる頃に買っていて、初めて会った時はあまりの大きさにビックリしたっけ。

しかも2頭いたもんだから、その迫力ったらありませんでした。

 

そんなことを思い出しながら見終わり、続けて回したチャンネルは「National Geographic」。

雑誌は好きだけど、あんまりTVは見ていなかったのに、たまたま回したんです。

そしたらなんとタイタニック号の特集でした。

 

えっ!?どういうこと?

 

タイタニックという言葉すら、一体何年ぶり?というくらいなのに。

 

またまた惹き付けられて見入ること約30分。

その番組の着地点は、海底深く沈んでいるタイタニック号は想像より早い速度で微生物に浸食され、数千年後(とはいえ遥か未来)には姿が消失してしまうだろうとのこと。

 

実は今日、両親や兄の葬儀をお願いした葬儀会社に勤める古くからの知り合いとお昼を食べていたんです。

彼女はピラティスのレッスンを受けに来てくれていて。

その時に話の流れで私は「基本的に人間も地球上の生命体なんだから、微生物の力を借りて最終的には地球に返るべき」と

張り切って語っていたんですよね。

 

もちろん、これも全部たまたまです。

 

生命体ではないタイタニックも微生物が分解するんだ、、と思いながら、地球の懐の深さに感激を覚えつつ、人間の生き方や行く末を深く感じたのでした。

 

この課題については、しっかり考えないと。

 

ふむ。。

 

面白いなあ、、毎日って。

 



上高地〜ニセコ〜高千穂からの伊勢路!


Elbrus遠征を書くべし!と思いつつ、早くも一ヶ月以上が経過…

私は絶対だめだめだぁ〜と嘆いている今日この頃。

 

言い訳していいですか?

 

って、ブログだから一方的に言い訳しちゃおっと。

 

前回のブログを書いてからの一ヶ月間、私は決してボーッと生きていた訳ではありません!チコちゃんには絶対叱られないと思います(笑)。

 

一体何をやっていたかというと。

 

まず西穂高方面へ出かけてきました。

数年前から取り組んでいる「テント担いで北アルプス縦走」ですが、今年は兄のことなど色々あって気持ちに余裕なく見送っています。しかし年に一回は、一緒に歩いている先輩と山並みを眺めたく、上高地ベースに2泊3日をテントで過ごしてきました。

 

考えてみれば、上高地っていつも素通り。

のくせに、実は高校の修学旅行で上高地に泊まっていて、その懐かしい記憶もあったりして。

 

今回は初めて大正池とか田代池とかも巡って来ました。

 

その後は急遽ニセコへ。

実は来年にかけて色々と動きがあって(これはまだ内密)、1泊2という強行でブーンと飛んで、ブーンと帰って来たのです。

 

そしてすぐに宮崎県の高千穂へ。

何年もかけて高千穂のことは取り組んでいるのですが、それが形になりつつあって、そのために行って来ました。

 

現地で大変お世話になったのは高千穂については何でも知っているベテランガイドの高藤さん。

その高藤さんのお祖父さんが、宮崎県の男性最高齢で御歳105才!一緒に過ごさせていただいた時間は、驚きを超えて感動でした。

 

感動の高千穂から戻るやいなや、連休はハイキングツアー伊勢路。

ビュワーンと名古屋へ行って、参加者の皆様と充実の3日間を過ごしたという訳です。

伊勢神宮をスタートし、小さな峠を二つ越えて、滝原まで。この3日間で歩いた距離約57km96500歩という道中でした。

 

 

そんでもってその最中に、パソコンがとうとうダメになりそうな事態になり、清水の舞台からヒュンと飛び降り、新しいiMacちゃんを購入。

あっ、ヒュンじゃないね、、

トホホな感じ。

 

はい。

そんな言い訳でございます。

 

しかし自分に喝を入れて、Elbrus遠征は早々に書き上げます!

というか忘れちゃわないようにしないと〜〜

 



バイバイが言えないよ


7月15日、兄が他界しました。享年58歳。

お誕生日の前日だったので、まるまる58年間を生き抜いた人生は兄らしかったのだと思います。

 

6歳上の兄は幼い頃からカッコよくて大好きなお兄ちゃんでした。そこまで年の差があると、ケンカしたというのはほとんど無かった気がします。

どちらかと言えば、遊ばれていた?末に私が泣くというパターン(笑)。

 

アメリカ好きだった兄は、よく私に戦争ごっこをやらせました。もちろん彼はアメリカ軍。私はドイツ軍のヘルメットをかぶらされ、いらないシーツに穴を開けてそれもかぶらされ、空気銃を持たされました。

 

兄が高らかに「戦争ごっこ〜パパラッパパ〜〜〜」と言うと、私は標的にされ、連射されるのです。

 

もっと幼い頃のこと。

私はまだ三輪車に乗っていました。「俺が後ろから押してやる」と言って、家の前の道路を思い切り押され、私はカーブを曲がりきれずに大転倒し大泣きしました。もちろん兄は母から思いっきり怒られたはずですが、よく生きていたと思います。

 

そんな思い出は数えきれないほど。

 

もちろん優しい思い出も数えきれないほどあります。

 

中学2年の夏、シアトルに短期留学した時のこと。

ちょうど兄もアメリカのオレゴン州に留学していました。英語に困っていた私に「喉乾いたは、I’m thirsty、お腹すいたは、I’m hungry、何々したいは、I’d like to」とわざわざ顔を見に来てくれたんです。

 

私が高校生になった時のこと。

ちょこっとやんちゃだった私は、両親に心配をかけていました。夏休みに悪い友達とつるまないために、兄に相談し、私を海外へ連れ出すようにしたんです。

アメリカにいた兄は、日本に私を迎えに来てくれて、ハワイとLAへ連れて行ってくれました。初めての兄妹二人旅だったかも。

ハワイではレンタカー借りてドライブしたり、LAではUniversal Studioへ行ったり、楽しかったなぁ…

 

そうそう、私が留学していた頃。

当時ミシガン州にいた兄を訪ねて行ったっけ。パイロットの免許を取っていた兄は、得意げに「乗せてやるよ」といって、兄の操縦する狭いプロペラ機に乗りました。管制官と流暢な英語でやりとりした姿を見たときに、「うわ!すごい」と唸った記憶があります。

 

お互いに大人になり、距離があいた時もあったけど、とにかく仕事のたびにアチコチ転居する兄を訪ねて行っていました。

 

結婚して暮らしていたアリゾナ、その後日本に転勤になった先の神戸、横浜に引っ越してきた時は近かったし、よく行ったなぁ。

 

私が今、多くの時間をニセコで過ごし、活動拠点ともなっているのは兄がいたからこそです。

今から15年位前、当時ニセコばっかり行っていた兄に、「お兄ちゃん、ニセコで何やってるの?」と聞いても「教えてやらない」と言われていました。しかし、あることがキッカケでニセコを紹介してもらうようになり、それから私の人生は大きく変わりました。

 

今でこそ私の名前を覚えてもらっているけど、最初は誰にでも「アイクさんの妹なんだ」「へえ、妹いるんだね」なんて言われてたんです。

 

兄が50歳を過ぎ、私が40歳を過ぎたというのに、一緒にBCスキーや夏山に行ったり、SAPやカヤックに行ったり。

距離感が不思議な兄妹関係だった気がします。

 

 

それでも兄らしい反面も多々ありました。

私が乳がんになった時、手術や抗がん剤で辛い治療の期間がありました。当時一人暮らしだったのですが、「うちにおいで」と私を1年間半、引き取ってくれました。

 

味覚障害に陥って食欲がなかった時、食べられるものを買ってきてくれたり、精神的に辛くなりどうしようもなかった時、「海が見たい」というわがままを聞いてくれ車で館山に連れて行ってくれたり。

 

こうやって思い出を書いている目の前に、父と母に挟まれた兄の遺影があります。なんでそこにいるの?生きてないの?と、私の中では現実ではありません。

 

何か困った時や聞きたいことがある時に電話をすれば、「もしもし、なに?」と出てくれる気がします。

 

いつの日か受け入れられるのかなぁ…お兄ちゃん。



悪魔に取り憑かれた2月


季節は巡りすっかり春模様になりましたね。もう桜も咲いたとか?

長らくブログを停滞してしまいましたが、倶知安のネット環境もなんとか整い再びスタートしたいと思います。

 

というか、もっと前にネット整ったんですが、なんだか忙しさにかまけて&更新しない癖がついてしまったようで(苦笑)。

 

そんな私としては、まず2月のご報告をしたいと思います。長いです。

 

何を隠そう、ほっんとに大変なことが続いた月でした。

お話ししたようにまずは携帯が壊れ、それに関係してネット環境が崩壊。そんな最中に5月に行く予定のElbrus遠征のパーミッション(許可証ね)が、大変時間がかかるとのことで早々にロシアのVISAが必要になりました。

 

しかし!

 

パスポートは東京〜〜〜

 

いつもは危急時に備え、東京にいる兄に合鍵を渡しています。しかし姉が来ていたため、その鍵は姉が使っていました。そして1月2日に一緒に倶知安へ来て、6日に姉は娘と東京へ戻り、数日東京で過ごした後、その鍵はポストインしてスウェーデンへと帰ったのです。

 

なので合鍵は東京のポストの中…

 

じゃあ、自分の鍵を兄に送ればいいじゃない?って思うのが必然ですが、なんと3月15日までにVISAが必要と判明したのが、岩木山に向かう車の中でした。ちなみに2月の16日です。

 

ロシアのVISAって取得が大変なんですよ。宿泊の証明書だとか、ウェルカムレターみたいなのが必要で時間がかかるんです。

しかしそこはさすが日本でロシアのVISA取得専門の会社があって、そこにお願いをすることにしました。

 

しかし鍵を兄に送って、家に行ってもらって、パスポートと写真を取得会社に送ってもらって、などを仕事で忙しい兄にとてもじゃないけど申し訳なくて頼めません。

 

岩木山からニセコに戻るのが20日の夜。そして翌日からは5連チャンでガイド。しかもルスツステイも入っていました。

 

もう悲鳴をあげるのもできない(悲)。

 

ちなみにその時点でまだネットが回復していません。そして恐ろしいことに、確定申告はあるし、月末でいろんな支払いもあるしという悲惨な状況。

 

ルスツでのガイドが終わった翌日の26日は、いよいよネット設置の工事の予定だったので、もうすんなりいくことを祈り、その日にネットバンキングで月末の仕事をすることにしました。

 

しかし!ここで終わらない私の不運。

 

ルスツの最終日に大転倒して、顔面と肩を強打しちゃったのです。右目が内出血して頭クラクラ、肩は上がらない。優しいゲストさんに早めに終わらせてもらい、なんとか帰宅。

 

翌日はDVか?と思うような青タンができ、そして右目がどうもおかしいんです。さすがに病院へ行き、いろんな検査をしてもらいました。まず眼底骨折は大丈夫で、網膜剥離もおそらく大丈夫でしょうとのことでしたが、目がおかしい状況は3〜4か月続く可能性があるとのこと。

 

少し安心し、その日予定通りにネット設置の工事を受け、見えづらい眼を使いつつネットバンキングなどの作業をしました。

 

そして翌日始発の電車で千歳へ行き1泊2日の弾丸東京行きをしてきました。

その朝の寒かったことと言ったら…駅までは徒歩15分くらいなんですけど、マイナス16度の暗い雪道を腫れた眼でトボトボと歩いていたら、「私は何やってるんだろ?こんな52歳でこの先どうすんの?」と物悲しくなりました。

 

まあ、無事にVISA付きのパスポートになり、パーミッション申請もできたようなので、心はだいぶ復活しましたが…

 

しかしまだまだ大変なことは続く。

 

<おまけ>

細木数子さんの六占星術をチラッと見てみたら、2月の運気は「乱気」。得意分野で失敗したり、順調だったことが滞ったりして、自信喪失ぎみです。

 

だって。

 

岩木山で厄落としにチャレンジ!

 

 

 

 

 

当たらないんだなぁ…これが。



参りました…


ずーっと調子が悪いあいふぉん。どうやら、アップデートによる電源の問題に引っかかったらしく、写真を撮ろうとするとシャットダウンしてしまうことが多くなりました。

 

それは困りますよね〜

 

結果、電源の問題ではなく壊れているとのことで急遽新しくなり…

一応バックアップしておいたので、まあいいかと思ったのもつかの間。

 

電話番号が大分なくなってしまって。

しかもニセコで必要な分含めたくさん!

 

そんこんなで苦労の挙句、あいふぉんは何とか使えるようになったのはいいが、今度はネットワーク環境が死滅…

 

もう散々です。

 

あっちいったりこっち行ったり、

あっち電話したりこっち電源したり、

 

疲れました…とほほ。

 

というわけで、初の携帯で更新報告です。

 

しばし冬眠します…z z z



姉と過ごした2ヶ月間


SNSが全盛の時代、どこで何を発信しているのか?はたまたしたらいいのか?がグチャグチャになってしまうお年頃になりました(苦笑)。

 

Face bookとかインスタとか、あっという間に情報が流れ埋もれ消えてしまう日々が、少し悲しいなーと思う反面、いらない情報ばかりに埋め尽くされてしまうのもキツイしね。

 

自分に負担をかけないように、けど伝えたいことは伝えていこうと改めて思う今日この頃なのです。

何をかくそう、そもそもこのブログのタイトルは「伝えるために生きている!」です。今じゃ、かっこつけて「YUKIKO MIYANO OFFICIAL BLOG」だなんてしているけどね(笑)。

 

この秋、Swedenに住む姉が2ヶ月ほど日本に来ていました。

大抵長くても3週間くらいなのですが、仕事の変わり目などいろいろあり、初めての長期滞在でした。

年齢で3歳、学年で4つ違う姉とはあまり一緒に暮らしていません。母がとても外交的というか、目線がとてもグローバルだったので、子供たちを海外へ出すことに力を入れていたからです。

 

彼女は高校生の時にすでに1年ほど、休学してアメリカの高校へ。ちなみに私は中学生になったばかり。日本に戻り日本の高校を卒業すると、今度はすぐにスイスへと旅立ちました。

向こうで働くようになってから一旦日本に帰ってきましたが、3年くらい暮らした後、現在定住しているスウェーデンへと渡ったのです。

 

そんなこんなで、私が一緒に暮らしたのは物心ついてからだと、本当に数年だと思います。

今でこそ通話は無料アプリがあるし、メールもあるから、時間も気にせずにやりとりができるようになったけど、当時の国際電話といえば高額!

 

それでもたまにかける姉との電話がとても嬉しくて、長電話になっては母に「いい加減にしなさい!」と怒られていました。

 

この2ヶ月間、本当に楽しかった。

忙しくなる時期にきついかな〜とも思っていたけど、全くそんなことを感じないほど楽しい毎日でした。

 

来る前に「よし、一緒に行こう!」と企てていたのは、まず映画「ゴッホ〜最後の手紙〜」を観に行き、それからの「ゴッホ展」。

 

えっ?私がゴッホ?

と思うなかれ〜

 

昨年の夏にフランスGivernyのモネの家に行ってから、実は絵画に興味を持つようになった私←ほんとよ。

 

からの、吉本公演(これは私らしく)。

 

それとそれと、大橋トリオさんのライブ。

 

それからそれから、あちこち山歩き(これは報告済み)。

 

本当にあっという間の2ヶ月でした。

もっと日本にいてくれたらいいのに…

 

まあ、ずっと仲が良かった訳ではないけど、両親はとうの昔に他界し、自分で家族を持っていない私にとっては兄と姉は欠かせない大切な存在。

何かあってもすぐに飛んでこれる距離ではないけれど、これからも心は寄り添っていきたいなと思った日々なのでした。



遅らばせながら…2018年


遅らばせながら…

新年明けましておめでとうございます。新しい1年、どんな気持ちでお過ごしですか?

今年も引き続きどうぞよろしくお願いいたします♪

 

今年は抱負を述べる間もなく、もう10日が経ってしまいました。昨年宣言した週二回のブログ更新も果たせぬまま新年を迎え、抱負を述べられる立場ではないのですが。

 

まあ、絶好調にバタついているのは、いつものこと。

特に秋から冬へのシーズン移行期は、仕込みやら準備やらいろいろ相まって、とにかく猫の手でも犬の手でも何でも借りたい私です。

 

で!

ここからが本題です。

 

1月は大抵(本当に嫌なんだけど)、体調を崩す私なのですが、今年は新年早々にインフルエンザを発症。

4日木曜日の夜から少し喉の痛みが始まって(いつもの気管支炎かとビビる)、

5日は姉たちと滑りに行きましたが、温泉も夜の外食も私はキャンセルして、早めに寝ました。翌6日からはプライベートガイドが始まるので、朝早くに出発したのはいいのですが…

 

どうも調子が上がりません。

喉はどんどん痛くなるし、咳も出て呼吸は苦しいし、立っているのも辛いくらい。その時はインフルエンザとは思わずに「あ〜あ、これは絶対急性気管支炎

だわ」と思っていたのですが。

 

6日の夕方のバスで東京に帰る姉と姪っ子を送り出し、レンタルスキーを返却して、夕食の買い物(とは言っても気力なくコンビニ)後、やっとアパートへ着いたら待っていたのは除雪です。

 

とほほ。

わかってはいるけど、これが雪国生活の辛さ。

元気ならいいんですけどねー

 

なんとか車を止めて、やっとの思いでウエアを脱ぎ、脱力感のままとりあえず熱を測ってみたら、なんと39.1度!

 

ひ〜〜〜〜

 

兎にも角にも、プライベートのお客様で薬剤師さんがいたので、すぐに連絡しました。結果、その日は雪もひどく救急病院へ自力で行く自信もなかったので、暖かくして湿度を保ち布団の中へ。

 

体中痛いし苦しいしで、ほとんど寝れたもんではありませんでしたが、なんとか朝を迎え一番で病院へ。

 

で、太鼓判をバン!とおされた訳です。

 

もちろんプライベートは全てキャンセルさせていただき、いらした皆様には大変ご迷惑をおかけしてしまいました。

この場を借りて、大変申し訳ありませんでした。

 

4年ぶりのインフルエンザです。

 

私は卵アレルギーがあるので、予防接種を打つと腕が腫れて熱が出るのでダメなんですよね。

けど、本当にインフルエンザって辛いわー

もう二度と嫌だわー

 

そんなこんなで始まった新年ですが、その予兆は元旦早々からありました。

 

なんと、おみくじで「凶」を引き当てたのです。

もう、凶なんていつ引いたの?ってくらい久しぶりに…

 

今回はAだったから、まだBもあるでしょ。

気を引き締めて2018年は慎重に臨むべし!と誓う私なのでした。

 

というわけで今年の抱負は「慎」です。

 

初めて姪っ子と滑りました〜!



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