何だろう、この意味


今日、たまたまつけたTV番組はTBSの「世界遺産」でした。

 

カナダの北東部にあるニューファンドランド島の「グロスモーン島国立公園」のこと。

初めて見る映像は、地球の成り立ちに対しての限りなくロマンが広がり、あっという間に惹き付けられて見てしまいました。

そこは、ちょうど「流れる氷河」の通り道だそうで、あのタイタニックも、その氷河に衝突し沈んだそうです。

 

ニューファンドランドっていう犬種がいるのご存知ですか?

 

亡き私の兄がアメリカにいる頃に買っていて、初めて会った時はあまりの大きさにビックリしたっけ。

しかも2頭いたもんだから、その迫力ったらありませんでした。

 

そんなことを思い出しながら見終わり、続けて回したチャンネルは「National Geographic」。

雑誌は好きだけど、あんまりTVは見ていなかったのに、たまたま回したんです。

そしたらなんとタイタニック号の特集でした。

 

えっ!?どういうこと?

 

タイタニックという言葉すら、一体何年ぶり?というくらいなのに。

 

またまた惹き付けられて見入ること約30分。

その番組の着地点は、海底深く沈んでいるタイタニック号は想像より早い速度で微生物に浸食され、数千年後(とはいえ遥か未来)には姿が消失してしまうだろうとのこと。

 

実は今日、両親や兄の葬儀をお願いした葬儀会社に勤める古くからの知り合いとお昼を食べていたんです。

彼女はピラティスのレッスンを受けに来てくれていて。

その時に話の流れで私は「基本的に人間も地球上の生命体なんだから、微生物の力を借りて最終的には地球に返るべき」と

張り切って語っていたんですよね。

 

もちろん、これも全部たまたまです。

 

生命体ではないタイタニックも微生物が分解するんだ、、と思いながら、地球の懐の深さに感激を覚えつつ、人間の生き方や行く末を深く感じたのでした。

 

この課題については、しっかり考えないと。

 

ふむ。。

 

面白いなあ、、毎日って。

 



上高地〜ニセコ〜高千穂からの伊勢路!


Elbrus遠征を書くべし!と思いつつ、早くも一ヶ月以上が経過…

私は絶対だめだめだぁ〜と嘆いている今日この頃。

 

言い訳していいですか?

 

って、ブログだから一方的に言い訳しちゃおっと。

 

前回のブログを書いてからの一ヶ月間、私は決してボーッと生きていた訳ではありません!チコちゃんには絶対叱られないと思います(笑)。

 

一体何をやっていたかというと。

 

まず西穂高方面へ出かけてきました。

数年前から取り組んでいる「テント担いで北アルプス縦走」ですが、今年は兄のことなど色々あって気持ちに余裕なく見送っています。しかし年に一回は、一緒に歩いている先輩と山並みを眺めたく、上高地ベースに2泊3日をテントで過ごしてきました。

 

考えてみれば、上高地っていつも素通り。

のくせに、実は高校の修学旅行で上高地に泊まっていて、その懐かしい記憶もあったりして。

 

今回は初めて大正池とか田代池とかも巡って来ました。

 

その後は急遽ニセコへ。

実は来年にかけて色々と動きがあって(これはまだ内密)、1泊2という強行でブーンと飛んで、ブーンと帰って来たのです。

 

そしてすぐに宮崎県の高千穂へ。

何年もかけて高千穂のことは取り組んでいるのですが、それが形になりつつあって、そのために行って来ました。

 

現地で大変お世話になったのは高千穂については何でも知っているベテランガイドの高藤さん。

その高藤さんのお祖父さんが、宮崎県の男性最高齢で御歳105才!一緒に過ごさせていただいた時間は、驚きを超えて感動でした。

 

感動の高千穂から戻るやいなや、連休はハイキングツアー伊勢路。

ビュワーンと名古屋へ行って、参加者の皆様と充実の3日間を過ごしたという訳です。

伊勢神宮をスタートし、小さな峠を二つ越えて、滝原まで。この3日間で歩いた距離約57km96500歩という道中でした。

 

 

そんでもってその最中に、パソコンがとうとうダメになりそうな事態になり、清水の舞台からヒュンと飛び降り、新しいiMacちゃんを購入。

あっ、ヒュンじゃないね、、

トホホな感じ。

 

はい。

そんな言い訳でございます。

 

しかし自分に喝を入れて、Elbrus遠征は早々に書き上げます!

というか忘れちゃわないようにしないと〜〜

 



エルブルス遠征〜高度順応のためウルタウへ〜


モスクワ観光を終え、全員揃ったところで翌日の朝、国内線で南南東方面、ミネラルヌィ・ドボイ(ミンボディ)に飛びました。

 

迎えに来てくれたのは小さなワンボックスカーとドライバーさん。えっ?ここに荷物全部と私たち総勢7名が乗るの?

でしたが詰める詰める→のちにこの積み重ねが大変なことを招くのですが。

<ちなみに私のスキーが一番下>

 

しかし、ロシアの道路事情は恐るべし。

よく世界仰天ニュースってあるじゃないですか。海外で対向車が来て、「うわ〜ぶつかる!」という寸前でかわすやつ。

一言でいうと、その連続でした。

片側1車線通行プラス牛がたくさんいるところで、なぜか3台ですれ違うって感じ。何回目を閉じたことか…

 

英語が全く通じないドライバーさんに連れられて行ったのは、レストランらしき建物。看板も何もないので、普通の家に入ったのかと思いましたが。

 

どうやらここでランチしながら、今回の現地ガイドを待つらしいです。しかし待てど暮らせどやって来ず。4時間近く待ってようやくやってきたガイドは、めっちゃ明るいロシア人のIvan。何とカムチャッカにガイドで行っていて、飛行機が遅れたみたいです。しかしカムチャッカとは〜〜

 

その後、再び狭い車内を過ごし着いたところは断崖が迫る渓谷の突き当たりでした。

 

こんなリフトに車ごと乗ることもあるらしいけど、私たちは荷物と自分たちだけ乗って上へ。

そこで幌トラックに乗り換え、目指すはウルタウです。

 

ウルタウエリアはジョージア(昔のグルジア)と国境を接している地帯なので、ロシア軍の管轄エリア。そこに入るための許可証を日本で取るのに時間がかかり大変だったのです。

 

すぐにロシア軍の検問所があり、一人一人呼ばれてはチェックを受けました。ちなみに撮影はNGとのことなので写真はナシです。

 

無事に全員検問を終え、さあ目指すは渓谷の奥ですが、まあその悪路のすごいこと!2時間くらいドッタンバッタン揺られ、ほとほと疲れ果ててようやく山小屋に到着しました。

<荷物と一緒に全員荷台へ>

 

<到着したのは真夜中>

 

そのドッタンバッタンも積み重ねに加えられ、翌日の悲劇へと続くのでした。



Elbrus遠征〜想いを詰め込んで〜


気がつけば8月ももう少しで終わり。

兄が亡くなって、あっという間に一ヶ月半が過ぎようとしています。

書きかけのエルブルス遠征について、再開しようと思うのですが、その前に今まで書けなかった兄の急変とどう向き合ったのか?を書いておこうと思います。

 

兄の体調が急激に悪くなったのが4月の後半でした。

3週目の立山ツアーから帰ってきた時、当時兄と一緒に暮している洋子さんから連絡が入りました。

 

体調の急な悪化と、この先の覚悟についての主治医からの話についてでした。

 

その電話を切った後、ソファーに座り込みしばらく動けず震えている私がいました。

 

緩やかに兄のガンは進行していたので、思いっきり長生きは出来ないだろうとは思っていたけど、まさかこんなに早くだなんて。

しかも、遺伝子治療の治験が始まり、その土俵に乗ることができたと、とても嬉しそうに話していたはずなのに。

 

治験というのはいろんな制約があり、なかなか難しいものです。

これまでにこの薬剤を使用していたらダメとか、この治療を受けていたらダメとか。過去のことは変えられないから、まずは土俵に乗れるのかどうか?が大きな1歩につながります。

 

しかし神様とは無情なのでしょうか。

治験のスタート前の数回にわたる全身検査で、最終的にGOが出なかったのです。結果的にしばらく無治療になったこともあり、それまで弱ってきていた身体ではガンの進行が抑えられなかったのでしょう。

 

入院はしたくないという兄の意向と、できるだけ家にいさせてあげたいという洋子さんの意向もあり、在宅で介護となりました。

 

私もできるだけ顔を見に行き、腰や背中の違和感を訴えていたのでマッサージをすることにしました。

 

悩んだのはエルブルス遠征のことです。

「行くことができるのだろうか?いや、それ以前に行っていいのだろうか?」

「万が一、私がいない時に何かあった時、私は後悔しないのだろうか?」

 

まずはたっちーに全ての状況を打ち明け相談することにしました。

 

たっちーの意見としては、

「この先、こんなメンバーでのエルブルス遠征の機会はおそらくやってこないと思うし、ゆきこさん自身にとっても、このようなチャンスは無いと思いますよ。何より、ここまでやってきて行かないのは、お兄さんが喜ぶのでしょうか?」

 

確かに兄は私がエルブルスへチャレンジすることを、本当に楽しみにしていて、心の底から応援してくれていました。

 

悩みに悩んだあげく出した結論が、

 

「行こう、そして絶対に成功して無事に帰ってこよう」でした。

 

たっちーには、「この先何かあったらキャンセルする可能性があること、そして出発した後も急な帰国があるかもしれないこと」を了承してもらい、参加させてもらうこととなったのです。

 

出発の前日、

「じゃ、行ってくるね!頑張ってくるからさ、お兄ちゃんも負けちゃダメだよ、帰ってくるの待っててね」とハイタッチしました。

本当はハグしたかったけど、さすがに仲良い兄妹でも恥ずかしいし(笑)ね。

 

そんな中、たくさんの想いを詰め込んだ遠征だったのです。

 



バイバイが言えないよ


7月15日、兄が他界しました。享年58歳。

お誕生日の前日だったので、まるまる58年間を生き抜いた人生は兄らしかったのだと思います。

 

6歳上の兄は幼い頃からカッコよくて大好きなお兄ちゃんでした。そこまで年の差があると、ケンカしたというのはほとんど無かった気がします。

どちらかと言えば、遊ばれていた?末に私が泣くというパターン(笑)。

 

アメリカ好きだった兄は、よく私に戦争ごっこをやらせました。もちろん彼はアメリカ軍。私はドイツ軍のヘルメットをかぶらされ、いらないシーツに穴を開けてそれもかぶらされ、空気銃を持たされました。

 

兄が高らかに「戦争ごっこ〜パパラッパパ〜〜〜」と言うと、私は標的にされ、連射されるのです。

 

もっと幼い頃のこと。

私はまだ三輪車に乗っていました。「俺が後ろから押してやる」と言って、家の前の道路を思い切り押され、私はカーブを曲がりきれずに大転倒し大泣きしました。もちろん兄は母から思いっきり怒られたはずですが、よく生きていたと思います。

 

そんな思い出は数えきれないほど。

 

もちろん優しい思い出も数えきれないほどあります。

 

中学2年の夏、シアトルに短期留学した時のこと。

ちょうど兄もアメリカのオレゴン州に留学していました。英語に困っていた私に「喉乾いたは、I’m thirsty、お腹すいたは、I’m hungry、何々したいは、I’d like to」とわざわざ顔を見に来てくれたんです。

 

私が高校生になった時のこと。

ちょこっとやんちゃだった私は、両親に心配をかけていました。夏休みに悪い友達とつるまないために、兄に相談し、私を海外へ連れ出すようにしたんです。

アメリカにいた兄は、日本に私を迎えに来てくれて、ハワイとLAへ連れて行ってくれました。初めての兄妹二人旅だったかも。

ハワイではレンタカー借りてドライブしたり、LAではUniversal Studioへ行ったり、楽しかったなぁ…

 

そうそう、私が留学していた頃。

当時ミシガン州にいた兄を訪ねて行ったっけ。パイロットの免許を取っていた兄は、得意げに「乗せてやるよ」といって、兄の操縦する狭いプロペラ機に乗りました。管制官と流暢な英語でやりとりした姿を見たときに、「うわ!すごい」と唸った記憶があります。

 

お互いに大人になり、距離があいた時もあったけど、とにかく仕事のたびにアチコチ転居する兄を訪ねて行っていました。

 

結婚して暮らしていたアリゾナ、その後日本に転勤になった先の神戸、横浜に引っ越してきた時は近かったし、よく行ったなぁ。

 

私が今、多くの時間をニセコで過ごし、活動拠点ともなっているのは兄がいたからこそです。

今から15年位前、当時ニセコばっかり行っていた兄に、「お兄ちゃん、ニセコで何やってるの?」と聞いても「教えてやらない」と言われていました。しかし、あることがキッカケでニセコを紹介してもらうようになり、それから私の人生は大きく変わりました。

 

今でこそ私の名前を覚えてもらっているけど、最初は誰にでも「アイクさんの妹なんだ」「へえ、妹いるんだね」なんて言われてたんです。

 

兄が50歳を過ぎ、私が40歳を過ぎたというのに、一緒にBCスキーや夏山に行ったり、SAPやカヤックに行ったり。

距離感が不思議な兄妹関係だった気がします。

 

 

それでも兄らしい反面も多々ありました。

私が乳がんになった時、手術や抗がん剤で辛い治療の期間がありました。当時一人暮らしだったのですが、「うちにおいで」と私を1年間半、引き取ってくれました。

 

味覚障害に陥って食欲がなかった時、食べられるものを買ってきてくれたり、精神的に辛くなりどうしようもなかった時、「海が見たい」というわがままを聞いてくれ車で館山に連れて行ってくれたり。

 

こうやって思い出を書いている目の前に、父と母に挟まれた兄の遺影があります。なんでそこにいるの?生きてないの?と、私の中では現実ではありません。

 

何か困った時や聞きたいことがある時に電話をすれば、「もしもし、なに?」と出てくれる気がします。

 

いつの日か受け入れられるのかなぁ…お兄ちゃん。



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